第6話「煙の向こうに、声がある」
村、というより集落と呼んだほうが正確かもしれない。
木造の建物が十数棟、不規則に並んでいる。
屋根はどれも苔むした石板で、煙突から細い煙が二本、三本と空に溶けていた。
蓮はエルフの三歩後ろをついて歩きながら、スマホの画面をそっと確認した。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:░░░░░░░░░░░░ 0%
変わっていない。
当然か。村に着いただけだ。
入り口——というか、低い木柵と開けっ放しの門らしき隙間——をエルフが迷わずくぐる。
蓮も続こうとして、止まった。
柵の前に、子供が二人いた。
人間の子供に見えたが、耳が少し長かった。ハーフエルフ、だろうか。
年齢は小学校低学年くらい。
二人はぽかんと口を開けて蓮を見ている。
エルフが何か言った。
言葉はわからない。でも声のトーンは穏やかで、子供たちが少し緊張を解いたのは読めた。
エルフが蓮を指さし、また短い言葉を続ける。
子供の一人がこくんと頷いて、走り去っていった。
「……お使いでも頼んだ?」
独り言だとわかっていても、声に出してしまう。
Ariaがいれば聞いてくれたのに——そう思いかけて、蓮は首を振った。
電波がないのはわかってる。
今は目の前のことだ。
―――――――――――――――――
村の中は、思ったより生活感があった。
洗濯物が風に揺れている。どこかで金属を叩く音がする。
焚き火の匂い——じゃない、薪で何かを煮ている匂いだ。煮込んだ肉か、それとも植物か。
混ざったような香りが鼻の奥に貼りついた。
エルフが一軒の家の前で立ち止まった。
他の建物より少し大きく、扉に何かが彫ってある。文字だろうか、それとも紋様か。
どちらにしても読めない。
エルフが扉を三回、一定のリズムで叩いた。
返事はなかった。
もう一度。
今度は少し間を置いてから、また三回。
沈黙が続く。
エルフが小さく息をついた。眉が微妙に寄った——苛立ちではなく、困惑に近い感じだ。
蓮はその表情を横目で観察しながら、建物の窓をさりげなく確認した。
薄い布のカーテン越しに、明かりがある。
つまり、在宅だ。
——いるのに、出てこない。
何か理由があるのか。それとも蓮のことを警戒しているのか。
「転移者」という存在が珍しいと、第1話のクエストログに書かれていた気がする。
——いや、そんなログなんて存在しない。俺がそう推測しているだけだ。
蓮は軽くノックしようとして、手を止めた。
エルフが先にやっている。俺が勝手に動くべきじゃない。
ただ、このまま待つのも非効率だった。
スマホのメモ帳を開く。
さっとイラストを描いた。棒人間が二人、扉の前に立っている。吹き出しに「?」。
ついでに、カーテン越しの明かりを指さしながらエルフに画面を見せた。
エルフが画面をちらっと見て、蓮を見た。
少し、目を細めた。
——笑ってる、わけじゃない。でも驚いてはいる。
エルフが今度は扉ではなく、窓枠を指の背でこつこつと叩いた。
それから、低く、短い言葉を言った。一言か二言。
間があった。
カーテンがわずかに動いた。
―――――――――――――――――
扉が、ゆっくり開いた。
出てきたのは老人だった。
人間ではない——でも、エルフでもなさそうだ。耳の形は人間に近いが、眉が白くて太く、額に細い線の刺青のようなものが走っている。
身長は蓮より低く、背中が少し丸まっている。
老人は蓮をじろじろと見た。
上から下まで。スーツを。スマホを。靴を。
蓮は自然と背筋が伸びた。
なんだろう、この感じ。品定めされているような、でも敵意はない。
老人がエルフに何か言った。
エルフが短く答える。
また老人。また答え。
会話が続く。
蓮には一言もわからない。
でも——視線が変わった、とわかった。
さっきまで「何だこいつ」という目だったのが、「なるほど」に近い目になっている。
細かい変化だ。でも蓮には読める。
老人がため息をついて、また扉の奥へ引っ込んだ。
「……入っていいってこと?」
エルフが手をひらりと振った。
どうやら「そうだ」という意味らしい。
蓮は靴のまま入っていいのか一瞬迷って、エルフの足元を確認した。
土足のまま上がっている。了解、ここは土足文化か。
家の中は薄暗く、植物と何か甘ったるいものが混ざった匂いがした。
棚に瓶や乾いた草束がびっしり並んでいる。
薬師、か。それとも魔法使い?
老人が椅子に座り、小さなカップに何か注いだ。
蓮の前に置く。湯気が出ている。
受け取るべきか迷う。
——毒、ではないと思う。多分。
エルフが自分のカップを迷わず手に取ったのを見て、蓮も手を伸ばした。
老人がまたエルフに話しかけた。
今度の声は、少し柔らかい。
エルフが頷いて、蓮の方を向いた。
口を開いて——
言葉が出てこなかった。
当たり前だ。俺にはまだ何もわからない。
エルフが一瞬困ったような顔をして、それから老人を見た。
老人が何かを言い、エルフが蓮を見て、自分の口に手を当てた。
それから、老人を指さした。
口に手を当てる。老人を指さす。
蓮はその動作の意味を考えた。
口。声。言葉。
老人を指さす。
——この人が、言葉に関係した何かができる?
スマホのメモ帳を開く。
棒人間二人。吹き出しに「……」。もう一人の老人から出る矢印。吹き出しに「!」。
エルフに見せた。
エルフがその画面を見て、ゆっくり頷いた。
深く。はっきりと。
QUEST進捗がわずかに動いた気がして、蓮は画面を確認した。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:█░░░░░░░░░░░ 12%
——やっぱり。
翻訳魔法を使えるのは、この老人だ。
老人が何か言いながら、棚の奥から小さな木箱を取り出した。
蓮はカップを両手で持ったまま、その動きを目で追った。
箱の中に何があるのか。
なぜ0%ではなく12%なのか。
——まだ何かが足りない、ということだ。
老人が箱を開けた。
中に入っていたのは、薄い石板のようなものだった。
表面に細かい文字が刻まれている——文字、か? それとも記号か?
老人が蓮に向かって、一言だけ言った。
言葉は当然わからない。
でも、手を差し出していた。
石板を、こちらに渡そうとしている。
蓮は一秒、考えた。
受け取るべきか。
これが翻訳魔法の鍵なのか。
それとも——
老人が再び、同じ一言を言った。
今度は少し強く。
蓮は手を伸ばして、石板を受け取った。
その瞬間、石板がかすかに光った。
青白い。まるで画面の端が光るような——いや、それとも違う。
内側から滲んでくるような光だ。
一秒で消えた。
老人が蓮の顔を見て、何かを言った。
言葉はわからない。
でも今度は、少しだけ——本当に少しだけ——音の意味の輪郭が見えた気がした。
気のせいかもしれない。
気のせいじゃないかもしれない。
村に着きました。
老人、何者なんでしょうね。
次話でいよいよ翻訳魔法が動き始めます。
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