第5話「一回じゃ、終わらない」
電車が、消えた。
正確には——電車の中にいた自分が、消えた。
窓の外の景色。吊り革。向かいの席に座った知らないサラリーマン。
それが全部、白い光に塗りつぶされた。
次の瞬間、足の下に土があった。
森だった。
また森だ。
木の種類も光の差し方も、もう見慣れた感じがある。二回目というのは、意外と早く「見慣れる」ものらしい。
蓮は立ち上がり、スーツのズボンの膝についた土を払った。
今日は大学で発表があった。
そのためにちゃんとした格好をしてきたのに。
(最悪のタイミングだ。)
でも、パニックにはならなかった。
一度経験していると、こんなにも違う。
驚きよりも先に、確認すべきことのリストが頭に浮かんだ。
スマホを取り出す。
バッテリー、満タン。電波なし。コンパスは動いている。
Ariaを開く。
「QUEST #002を受信しました」
テキストが表示されている。
タップして開いた。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
クリア条件:翻訳魔法を習得せよ。
進捗:░░░░░░░░░░░░ 0%
期限:なし
(また来た。そして、また新しいクエストが出た。)
蓮はアプリを閉じ、空を見上げた。
木漏れ日が、さっきより角度が高い。
昨夜と同じ森なら、昼に近い時間帯だろう。
大学の発表は、午後二時からだ。
現実の二時間が、異世界でどれだけの時間になるかはまだわからない。
でも——前回のことを考えると、余裕があるとは言えない。
(急ぐ必要がある。)
そう思った瞬間、気づいた。
急ぐためには、エルフを探すしかない。
翻訳魔法のことを知っているとしたら、彼女だ。
でも、どこにいるかわからない。
コンパスを開いた。
前回、エルフが連れて行ってくれた草地は北北西の方向にあった。
そこを起点に考えるなら——まず北北西へ向かうのが筋だ。
歩き始めた。
―――――――――――――――――
十分ほど歩いたとき、背後で枝が踏まれる音がした。
蓮は立ち止まった。
振り返らずに、息を殺す。
(動物か、人か。)
もう一度、音がした。
今度は右手の藪の中から。
「……そこにいるのはわかってる」
日本語で言った。
通じないのはわかっている。でも黙っているよりはいい。
藪が揺れた。
銀色の髪が見えた。
エルフだった。
向こうから来た。
正確には——ずっとついてきていたのかもしれない。
気配を消しながら、蓮の動きを確認していたのか。
エルフは藪から出てきて、腕を組んだ。
何かを言う。
口調から判断すると——呆れているような、問い詰めているような。
「また来た」
蓮は言った。
それしか言えない。
エルフは蓮の格好を見た。
スーツのジャケット、革靴、鞄。
前回とは明らかに違う服装だ。
上から下まで、ゆっくりと視線を動かして——また何かを言った。
今度は、からかっているようなイントネーションだった。
「うるさい」
蓮は言った。
通じていないのに、つい言った。
―――――――――――――――――
蓮はリュックから——正確には鞄から、スマホを取り出した。
メモ帳を開く。
棒人間を二人描く。
一方の口から波線を出す。もう一方の頭に、はてなマークをつける。
「言葉を通じさせたい」という絵のつもりだ。
前回も、同じ絵を描こうとしていた。
あのときは、エルフが先に動いてくれた。
今回も、エルフは画面を覗き込んだ。
じっと見る。
それから蓮の顔を見た。
何かを言う。
指を立てた。
人差し指、一本。
(一、という意味か。)
それから、エルフは空中に指で何かを描いた。
ゆっくりと、丁寧に。
曲線と直線が交差するような、複雑な図形。
魔法陣のようなものかもしれない。
最後に、エルフは自分の口を指さして、蓮の耳を指さした。
(口から、耳へ。言葉が通じる、ということか。)
蓮は頷いた。
エルフが小さく頷き返した。
それから、また歩き始めた。
今度は蓮の隣を、並んで。
三歩後ろではなく、隣を。
それだけで、何かが変わった気がした。
―――――――――――――――――
歩きながら、蓮は考えていた。
一回では終わらない。
それは今、はっきりした。
QUEST #001が終わったら、QUEST #002が来た。
次が終わっても、また次が来るかもしれない。
(いつまで続くんだ。)
Ariaに聞きたかった。
でも聞けない。
Ariaに聞いたら——また転送される可能性がある。
そのことに、今さら気づいた。
「エルフってどんな生き物?」で転送された。
「翻訳魔法って何?」で転送された。
どちらも、異世界に関係する質問だ。
つまり——Ariaへの質問の内容が、転送のトリガーになっている。
異世界に関係する質問をすると、飛ばされる。
そして、その質問の答えが、クエストの内容になる。
(仕組みが、少し見えてきた。)
頭の中で整理していると、エルフが立ち止まった。
開けた場所に出た。
昨夜の草地ではない。
もう少し広い、村の入り口のような場所だ。
木造の建物が数軒、木々の合間に見えた。
煙が細く上がっている。
人の気配がある。
エルフが振り返り、蓮を見た。
それから建物の方を見た。
また蓮を見た。
「行くぞ」という顔だった。
蓮は頷いた。
(翻訳魔法が、あそこにある。)
確信はない。
でも、そう思った。
スマホをポケットにしまい、一歩踏み出した。
今日の発表は——たぶん、間に合わない。
電車から転送、しかもスーツで……(笑)
蓮、少しずつ「仕組み」に気づき始めてきましたね。
次話でついに村へ。翻訳魔法まで、もう少しです。
感想・お気に入り登録、お待ちしています!




