第2話「絵と、沈黙と、エルフの目」
最初にやるべきことは、処置を続けることだった。
矢を抜いた後、傷口からじわじわと血が滲んでくる。
消毒液を少し含ませたガーゼで押さえると、エルフの女が一瞬だけ顔をゆがめた。
痛みをこらえている、というより——驚いている、という顔だった。
「動かないで」
言葉は通じない。
でも、こういう場面で使う声のトーンは、多分万国共通だと思う。
俺は低く、ゆっくり言った。
エルフの女が動きを止める。
銀色の瞳が、じっとこちらを見ていた。
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包帯を巻きながら、冷静に状況を整理する。
クエストは「人物の救助」。
おそらく、この応急処置がクリア条件だ。
でも、傷を塞いだだけで終わりなのか。「安全な場所まで連れて行く」とか「仲間のところへ届ける」とか、もっと続きがあるのか。
Ariaに聞こうとした。
——反射的に。
画面を開いたら、QUEST #001の表示があるだけで、メッセージ欄は沈黙していた。
当然だ。電波も通信もない。Ariaはここでは答えてくれない。
ポケットにスマホを戻して、エルフの女を見る。
彼女は俺の手元を観察していた。
包帯を、消毒液の小瓶を、鞄の中身を。
警戒しているというより——興味を持っている目だった。
「……とりあえず、話しかけてみるか」
独り言だ。返事は期待していない。
「俺の名前は及川蓮。あんたは?」
エルフの女が、ぱちりと瞬きをした。
何かを言う。
柔らかい音の連なりで、日本語には聞こえない。
それでも一語、はっきりと区切った音があった。
名前、だと思う。
「……もう一回」
エルフの女が繰り返す。
聞き取れなかった。音として認識できるが、どこで区切るのかわからない。
俺はスマホを取り出して、メモ帳を開いた。
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絵を描くのは、得意ではない。
でも、ヘタでも伝わる絵というのはある。
まず、棒人間を二つ描いた。
片方に矢印を描いて、「俺」と自分を指す。もう片方の棒人間には、銀色っぽい髪の線を足した。
「俺」の棒人間から「あんた」の棒人間へ、小さなハートを描く。
敵意がない、という意味で。
エルフの女が画面をのぞき込んできた。
距離が、さっきより少し縮まっている。
表情が動く。笑うわけではなかったが、口元の緊張が、ほんの少しだけほどけた。
それから、彼女は手を伸ばして——スマホの画面を指でなぞった。
ゆっくり、確かめるように。
なんだろう、この感覚。
まるで、生まれて初めて触れるものを確かめる手つきみたいだった。
スマホそのものに、見覚えがないのかもしれない。当然か。ここは異世界だ。ガラスの板が光を発する機械など、存在するわけがない。
「それ、スマホ。道具だよ。武器じゃない」
言葉は通じない。
でも、言いながら考える。俺には今、Aria以外に「考えを整理する相手」がいない。
独り言でも、声に出したほうがいい気がした。
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次に、矢のイラストを描いた。
それを「×」で消して、エルフの女を指す。
彼女の眉が少し上がった。
「矢が刺さってた」「俺が抜いた」「だから大丈夫」——その三つを、絵と記号でなんとか伝えようとした。
絵心のなさが恨めしい。
エルフの女は画面をしばらく見て、俺の顔を見て、また画面を見た。
それから、一言だけ言った。
わからない。
でも声のトーンが、さっきと変わっていた。
敵意じゃない。戸惑いでもない。
なんというか——「なぜ?」という感じだった。
なぜ助けた、と聞いている。
そう思った。直感だけど、外れていない気がする。
「クエストだから、かな」
Ariaが俺に言った。「人物の救助」。
あんたを助けろ、と。
でも、それだけじゃない気もする。
矢が刺さって血を流している人間を——人間じゃないけど——放置できる理由が、見当たらなかった。
合理的とか危険とか、そういう話じゃなくて。
ただ、放っておけなかった。
「……説明できないけど」
エルフの女が、じっと俺を見ている。
銀色の目は、感情を読みにくい。
でも、見ている。ちゃんと、俺を見ている。
「とりあえず、立てるか?」
俺は立ち上がって、手を差し伸べた。
言葉は通じない。でも、手を差し出すという動作は——きっと伝わる。
数秒の沈黙があった。
エルフの女が、そっと手を取った。
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立ち上がった彼女は、思っていたより背が高かった。
耳の先が、俺の目の高さより少し上にある。
傷のある右肩をかばいながら、でも足取りはしっかりしていた。
俺たちは森の中に立っていた。
木々が高い。夕暮れなのか、空が橙と紫の間の色をしている。
遠くで何かが鳴いている。鳥の声——かどうかも、ここではわからない。
エルフの女が、ある方向を指した。
俺を見て、また指す。
「……あっちに行けってこと?」
頷いているように見えた。
スマホを出してコンパスを確認する。北北西。
向こうに、何がある?
わからないまま、俺は歩き出した。
彼女の少し後ろを、一定の距離を保ちながら。
Ariaはまだ何も言わない。
クエストの進捗バーが、少しだけ動いていた。
絵で会話、という発想が我ながらリアルだなと書きながら思いました笑
次話ではエルフが「翻訳魔法」の存在をどう伝えるかが焦点です。
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