第3話「知識は、役に立った」
森の中に、足音だけが続いた。
エルフの歩き方は静かだった。
折れた枝を踏まない。葉の湿った部分を避ける。
まるで森の地面に、自分だけが知っている地図でも描いてあるかのように、迷いなく足が動く。
対して蓮は、五歩に一度は枝を踏み、土に足を取られた。
(この人、明らかに慣れてる。)
当たり前だ、と思い直す。
エルフは森の生き物だ——たしかAriaに聞いたことがある。
森での索敵能力が高く、木々の間を素早く移動できると。
……その答えを聞いて二時間もしないうちに、本物と並んで歩いているとは思わなかったが。
エルフが立ち止まった。
木の根が複雑に絡み合った場所で、彼女はゆっくりと腰を下ろす。
左肩に刺さったままの矢が、動くたびに微妙に揺れた。
痛みはあるはずだ。なのに表情がほとんど変わらない。
ただ、眉の端がわずかに寄っている。それだけが、痛みの証拠だった。
蓮はリュックを下ろし、救急ポーチを取り出した。
―――――――――――――――――
「抜く。矢、抜く」
言葉が通じないのはわかっている。
それでも声を出しながら動いた。沈黙よりはましだ。
矢を確認する。
刺さり方は——思ったより浅い。
肩の筋肉の外縁部に刺さっている。深くは入っていない。
矢じりのかたちは単純な平刃。返しはついていない。
(これなら、まっすぐ引けば抜ける。)
問題は、抜いた瞬間の出血だ。
止血のタイミングを外すと、傷口を余計に広げることになる。
蓮は消毒液を染み込ませたガーゼを二枚、あらかじめ用意した。
一枚は抜いた直後に傷口を押さえるため。
もう一枚は念のため。
「少し痛くなる。覚悟して」
通じていないのに、そう言った。
なんとなく言わずにいられなかった。
エルフがこちらを見た。
深い緑色の瞳が、蓮の目をまっすぐに捉える。
逃げない、という意思表示なのか、それとも単に観察しているのか——判断がつかなかった。
でも、少なくとも拒否はしていない。
蓮は矢の根本をゆっくりと両手で持った。
息を吸う。
(まっすぐ。ブレずに。)
引いた。
エルフの肩が、びくっと震えた。
声は出なかった。
唇をきつく結んだまま、ただ、小さく息を吐く。
蓮はすぐにガーゼを傷口に当て、圧迫した。
血が滲んだが、想定の範囲内だ。
三十秒、押さえ続ける。
―――――――――――――――――
静かだった。
風が木の葉を鳴らす音だけが続いた。
森の奥で、鳥が一声鳴いて、また静かになった。
血が止まるのを確認してから、消毒液を傷口に垂らす。
エルフの体がわずかに強張った。
消毒液はしみる。それは現代も異世界も同じらしい。
「もうちょっと」
包帯を取り出し、肩に巻いていく。
きつすぎず、緩すぎず。
腕の動きが妨げられないように、でも傷口がずれないように。
高校の保健委員だったころに習ったことが、こんな場所で役に立つとは思わなかった。
包帯を固定する。
処置、完了。
蓮は一歩引いて、作業を見直した。
問題はない。
少なくとも、このまま歩ける程度には処置できている。
エルフは動かなかった。
しばらくの間、自分の肩を見下ろしている。
包帯を指先でそっと触れて、また蓮の顔を見た。
何かを言いたそうだった。
言葉が出ないのではなく、言葉が通じないと知っているから、言わない——そんな表情だった。
蓮はスマホを取り出し、メモ帳を開いた。
棒人間を一つ描く。
矢が刺さっている場所に×印をつけて、その上に○を重ねる。
傷が「なくなった」という絵のつもりだ。
エルフは画面を覗き込んだ。
一秒。
また蓮の顔を見た。
そして、かすかに——本当にかすかに、口の端が動いた。
笑った、とは言い切れない。
でも、笑いに近い何かだった。
蓮はその表情から目を離せなかった。
一秒か、二秒か。
気づいたら、視線を外してスマホの画面に落としていた。
QUESTの画面を開く。
QUEST #001「人物の救助」
進捗:████████░░░░ 67%
三分の二。
まだクリアではない。
(救助って、これだけじゃないのか。)
処置は終わった。
でも、クエストはまだ終わっていない。
「救助」——その言葉の意味を、蓮はもう一度考えた。
傷を治すだけではない、ということだ。
安全な場所まで連れて行く。あるいは、彼女が自力で動けるようになるまで側にいる。
どちらかが、残り三分の一の条件かもしれない。
エルフはまだ座っていた。
蓮と目が合うと、また短く何かを言った。
言語はわからない。
でもその声は、さっきよりも、少しだけ柔らかかった。
蓮はリュックを背負い直した。
どこへ行けばいいかはわからない。
でも、動かないよりは動いた方がいい。
「歩けるか」
ジェスチャーで——立ち上がる動作をして見せた。
エルフはしばらく蓮を見てから、ゆっくりと立ち上がった。
左肩をかばいながらも、足取りはしっかりしている。
二人は、また歩き出した。
今話でついに応急処置が完了しました。
保健委員の知識、まさかこんなところで活きるとは……
蓮もそう思ってると思います(笑)
クエストはまだ67%。次話でどうなるか、ぜひ続きを。
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