第15話「帰る、場所」
茂みが、揺れた。
リエナが半歩前に出た。
右手が腰の弓に伸びる。
矢はまだ抜いていない。でも、いつでも抜ける体勢だ。
蓮は少し後ろで息を止めた。
草の葉が分かれた。
出てきたのは——子供だった。
十歳くらい。
男の子。茶色い髪が乱れている。膝が泥だらけだ。
目が赤い。泣いていたのか、それとも今も泣きかけているのか。
リエナの手が、弓から離れた。
子供が蓮を見た。
それからリエナを見た。
リエナを見た瞬間、少し表情が変わった——怖い、という感じではなく、知っている顔を見た、という感じだった。
「リエナ、だ」
子供が言った。
「……ロク」
リエナが低い声で言った。
呆れているのか、安心しているのか、判断がつかない声だった。
―――――――――――――――――
ロク、という名前の子供は、村の子だった。
リエナが連れて行った村——翻訳魔法の老人がいるあの村の子だ。
一人で遠出して、帰り道がわからなくなったらしい。
「なんで一人で来た」
リエナが膝をついて、子供と目線を合わせた。
声は低いままだが、さっきより少し柔らかい。
「……薬草、採りたかった。お母さんが熱出てて」
「一人で来るな。危ない」
「でも」
「でも、じゃない」
子供——ロクが口を閉じた。
俯いた。
蓮はしゃがんだ。
「お母さんの熱、いつから?」
ロクが蓮を見た。
警戒している目だ。知らない人間を見る目。
「昨日から」
「高い?」
「……わかんない。でも、すごく苦しそうだった」
蓮は鞄を開けた。
救急ポーチを取り出した。
解熱剤が二錠、残っている。現実から持ち込んだものだ。
「これ」
ロクに差し出した。
「水と一緒に飲ませてあげて。熱が下がるから」
ロクが薬を見た。
見慣れないものを見る目だった。
「大丈夫なのか」
リエナが蓮を見た。
「俺の世界で使われてる薬です。解熱剤。副作用は——まあ、大丈夫です」
リエナが少し考えた。
それから、ロクに言った。
「信じていい」
ロクが蓮を見た。
また蓮を見た。
それから、小さな手を伸ばして、薬を受け取った。
―――――――――――――――――
村まで送っていくことにした。
来た道を戻って、さらに北へ。
「村まで、どのくらいかかりますか」
「一時間半ほどだ」
蓮は少し考えた。
町から村まで二時間。採取地の川は町の外れから十五分。
Fランクに許可されているのは町の外れまで——つまりロクはその先、許可範囲の外まで一人で来たことになる。
それで迷ったのか、と合点がいった。
ロクは蓮の隣を歩いた。
最初は少し離れていたが、十分ほどで距離が縮まっていた。
子供は警戒が解けるのが早い。
「お前、どこから来たんだ」
ロクが聞いた。
「遠いところ」
「エルフじゃないよな」
「人間です」
「でも耳が丸い」
「人間は耳が丸いんです」
ロクが蓮の耳をじっと見た。
それから自分の耳を触った。ロクの耳は少し尖っていた。ハーフエルフか。
「リエナの友達?」
「……まあ、そんな感じです」
リエナが前を向いたまま何も言わなかった。
否定もしなかった。
蓮は少し意外に思った。
―――――――――――――――――
村に着いた。
ロクの家まで送り届けると、扉が開いて、中から女性が出てきた。
三十代くらい。顔色が悪い。でも子供の顔を見た瞬間、表情が変わった。
「ロク——どこ行ってたの」
「お母さん、熱下がった?」
「まだだよ。心配したんだから」
女性が蓮を見た。
リエナを見て、少し安心した顔になった。
「リエナが連れてきてくれたの?」
「こちらの方が薬を」
リエナが蓮を示した。
女性が蓮を見た。
「……ありがとうございます」
「水と一緒に飲んでください。一錠で大丈夫です」
女性が薬を受け取った。
また蓮を見た。
何か言いかけて——
「どちら様、ですか」
「転移者です」
少し間があった。
「……そうですか」
女性が深く頭を下げた。
それだけだった。
―――――――――――――――――
村を出たのは夕方近かった。
来た道を戻りながら、蓮はスマホを開いた。
QUEST #003「██████」
進捗:████░░░░░░░░ 33%
また動いていた。
薬草を届けたから——ではなく、ロクを送り届けたからか。
それとも解熱剤を渡したからか。
まだわからない。
でも確実に動いている。
「進捗が増えました」
「何が条件だ」
「わからないです。でも——人を助けると動く気がします」
リエナが少し黙った。
「QUEST #001も、人の救助だった」
「そうです」
「……関係があるのかもしれない」
蓮はスマホを見た。
文字化けしたクエスト名。
QUEST #003「██████」
——このクエストの正体が、少しだけ輪郭を見せた気がした。
町への道を歩きながら、そんなことを考えた。
ギルドに戻って、薬草を納品した。
報酬は小さな銀貨が三枚だった。
リエナに渡した。
「借りの返済の一部として」
「……受け取っておく」
夜、ギルド近くの宿に泊まった。
リエナが手配してくれた。
部屋は狭かった。
でもベッドがあって、毛布があった。
横になった瞬間、一気に眠くなった。
目を閉じる前に、スマホを確認した。
バッテリー100%。
QUEST #003、33%。
クエストは、まだ終わっていない。
ということは——まだ帰れない。
帰れるのは、いつだろう。
現実では今頃、どのくらい時間が経っているのか。
母は。友人は。大学の授業は。
考えが広がりかけた。
——いや、今は考えなくていい。
目を閉じた。
意識が、ゆっくりと落ちていった。
ロクという子供、また出てくるかもしれません。
QUEST #003は33%——まだクエストは終わっていません。
帰れない夜、蓮は何を考えているのか。次話もよろしくお願いします。
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