第六話
第一章の最終話です。
古びた看板は、変わらずそこに建てられていた。ここに来れば何かが変わる予感がしたのだ。根拠はない。二度と戻ってくることが出来なくてもいいと思った。終わりのない闇に怯えながら過ごすよりは、ずっといい。
私はイヤーマフを外して、リュックの中に押し込んだ。風に揺られた木々の会話は、心地よく耳に馴染んでいった。
入り口を越えるのは、思いの外なんてこともなかった。細道を歩み始めても、気持ちは落ち着いている。自然しかない道を進む。未開の地を切り開くような気分だ。
両端の茂みは時折、横道を携えている。先に何があるか分からないその道も魅力的に感じた。見たい。知りたい。前向きな感情で心が揺らぐ。初めての感覚だ。
ここは間違いなく私が見つけた、私だけの世界だ。感情を隠す理由もない。清々しい風に髪が靡く。気持ちがいい。
細道は唐突に開けた。立ち並んでいた木々が途絶えて、視界全てを広い丘が占領する。狭い細道からは想像もつかない程の景色だった。
赤にピンク、黄色、青。色も形も様々な花が一面を覆っている。広がる丘はそのものが花畑に埋め尽くされていた。丘の外周を囲むように、細道と同じ木々が並んでいる。
公園という割には、目立った遊具など何もない。外界から遮断されていて、ここはまるで異空間だ。
「綺麗、ですね……」
私は本心でそう呟いていた。細やかに吹く春風が頬を撫でる。軽やかな空気に身を委ねた。
「はーくん!こっち!」
丘の向こう側から響いた幼い声に、私は思わず隠れ場所を探した。木陰はいくらでもある。一番近くて高い木の袂に身を隠して、花の丘を覗いた。
「待て、莉空。はーくんの遠くに行ったら駄目だぞ」
「はーい」
小さな女の子が姿を現して、すぐ後ろを背の高い青年がゆったり追いかけている。二人とも同じ栗色の髪が柔らかく広がる。
「おはな!」
「お花、綺麗だな」
「せーちゃん、ほしい?」
「ううん。持って行かないよ。せーちゃんには、楽しいお話を聞かせてあげよう」
花を摘もうとする女の子を青年が嗜める。女の子は素直に花から手を離して、その場を駆け回った。時折立ち止まっては、手にしたジョウロで水やりをしているようだ。
「あっち?」
私が身を隠すこちらを指差して、女の子が首を傾げる。公共の場なのだから悪いことではないはずなのに、見つかってはいけないような気がした。私は数歩、後ろに身を引いた。
「あっちは行かない」
「だめ?」
「そう。駄目だよ」
青年は両手でバツを作りながらそう言った。
「そろそろおうちに帰ろうか。せーちゃんが起きているかもしれないから」
「ねんね、おわり?」
「そうだな。元気があるか、見に行こう」
「いく!げんき、あるかなー」
青年が両手を広げれば、女の子はその腕の中に飛び込んだ。そうして二人は、丘の向こうに消えて行った。
辺りを見回して、誰もいないことを確認する。賑やかな空気は静かに消えていた。
丘の頂まで歩みを進める。花畑には二人の足跡が残っていた。私は無意識のうちに、もう見えなくなってしまった背中を追いかけた。
丘を超えたその先には、公園の外周に沿って古い生垣が建てられていた。木々との境目がどこだったのかは分からない。生垣は腰程までの低いもので、外界との境のようだった。向こう側は元来た世界よりも、もっと幻の物のように見えた。
ポツンと現れた家は静かに存在していた。古びた小さな洋館のようだ。いくつもある窓はどれもカーテンがぴったりと閉められていて、中の様子を伺うことは出来ない。
「ただいまー!」
女の子の声が遠くに聞こえた気がした。ここはもう、私だけの世界ではない。向こう側には踏み込んでいけないと思った。
『そうだ。お前がいていい場所ではない』
目の前の聖域に心が震えて、どうして菖が怒るのか、私には分からない。
「分かっています」
洋館に背を向ける。そうして意識の外側で、きっとまたここにやって来ることを確信した。決して菖には悟られないように。
時系列が行ったり来たりしてしまう構成を書くのが下手で、読みにくい文章になってしまいました。
読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。
次章から、もう一人の主人公のパートが始まります。
今回も全員がお気に入りのキャラクターたちです。是非読んでいただけたら嬉しいです。




