第四話
朝目覚めると部屋の中は荒れていた。棚に戻したはずの本は床に落ちていて、何枚ものページが破かれていた。
眠る前の挨拶を姉さんと交わしてから私はベッドに入った。浅い呼吸を落ち着かせているうちに、意識がぼんやりとしていったことは覚えている。
それからの記憶は全くない。すっかり眠っていたはずなのに、身体は酷く疲れていた。
部屋の鍵は昨夜と変わらずにかかったままだ。窓の外に明るさを感じて、昨日から続いていた長い緊張はようやく解けていく。
「ここまでやってくださったのは、久しぶりですね」
咎める相手はここにいない。私の呆れた声も、今朝は独り言になって消える。前兆は感じていた。予感もしていた。だから、さほど驚かない。
「やはり昨日のことは、あなたにとってストレスでしたか」
物が散乱した部屋の中を片付けながら反省をする。思い当たる節はいくつもある。
「もう少し相談をしてください。これでは私ばかりが損をします」
普段は割と静かな方で口数も少ない。けれど、こうなった朝は自然と饒舌になる。それが私は大嫌いだ。止めようと思っても止められないのだ。
「今日は返事もしてくれないんですね。全く困ったものです。あなたのことは嫌いではありませんが、これだけはやめてもらえませんか」
普段は話し合いが出来る彼は、時たまこうして強い存在感を残して去って行く。破けた本のページを拾い上げようとして、私の手は止まった。
『オレは許さない』
それは記憶を消す呪文が書かれたページを塗り潰すように書かれていた。乱暴な文字は、紛れもなく私が書いたものだった。
私とオレは、物心ついたときから共に生きている。誰もが心の内に違う自分を持つ。そういうものだと思っていた。
始まりは小学二年生の頃のことだ。
「あなたの親友は誰ですか?」と聞かれる授業があった。忘れもしない。
それは国語の授業で、二匹の蛙が登場する物語を聞いた後のことだ。先生はクラスの児童にそう尋ねて、親友同士のペアを作らせた。
ああでもない、こうでもないと、皆賑やかにペアを組んでいく。私は辺りを見回すことも出来なかった。ただ唇を噛んで、下を向いていた。
「梓くんは先生とペアになりましょうね」
一人残された私は、黙ったまま先生に頷いた。膝の上で硬く握り込んでいた拳は震えた。
こうして、友達が作れずに一人の時間が多かった私は、その日の夜に空想の友達と出逢った。それがオレだ。名前を菖といった。
『一人で寂しいか』
「うん」
『オレとお前はいつも一緒だ』
「あなたは誰なの?」
『菖だ。オレはお前で、お前はオレだ』
自分にだけ聞こえる声と、私は自然と会話をした。実体を持たない彼を、私は認めた。恐怖は感じなかったし、それが異常だとも思わなかった。
全てを理解した訳ではなかった。けれど、この出逢いに私は救われた。
それから菖は、孤独を癒す私の友達となった。
菖から話しかけられることはあまりない。会話を始めるのは、基本的にはいつだって私だ。菖に対して真剣に物を言う。時には考え込んだり笑ったりする。
これが、私の周囲に馴染めない気質に拍車をかけたように思う。
内気で控えめな性格は、妄想癖がある変わり者、という噂を裏付けた。噂は本当だったし、私のことを守ろうとしてくれる仲間はいなかった。
中学生になってイジメの対象になったことは、必然だったと自分でも思う。男の子らしくないと笑われて、何を考えているか分からないと避けられた。
そのたびに私は菖に話しかけた。彼はいつでも反応をしてくれた。
「菖さん。話しかけてもいいでしょうか」
『どうした。今は話したい気分じゃない』
「教科書が失くなりました。他の持ち物も見当たりません」
『それがどうした。いつものことだろう』
菖の声に欠伸のような吐息が混じる。会話はもう、終了の合図だ。




