船出し
四十一
すべての準備が揃っていた。夕方4時だ。東京の父さんと母さんも墓参で帰ってくる。数日前に頼んでいた貸し客布団も届いている。加代が、僕を呼びに来た。おお、ごめん、行こうか。僕の姿はすべて木綿の脚絆、股引、打ち掛け、鉢巻だ。腹巻きは黒く、篠沢家の家紋が白抜きされている晒だ。白足袋に雪駄。白手ぬぐいを数本持ち、黒い袢纏を羽織って、家を出た。加代は墨色の浴衣だ。派手にならないように気をつけている。頭には、この間、僕が加代の耳をかじったため、その損害賠償として買わされた、フェイクの真珠がついた髪留めが、さりげなく置かれている。
「よかやっか、それ」
「当然よ。カズちゃんもいい感じ。久しぶりに見るもんね。そげな格好。」
「おお、8年振りぐらいらしいよ。もう市内中の噂になっとる。」
篠沢先生の精霊流しが古式に則ったものだという噂が広まりだしたのは、テレビで精霊流しの特集をしたからだ。篠沢先生の元婚約者の企画で進んだこの番組は、県や市が観光アピールにもなると考えたのか、大々的に宣伝していた。しかし一方で、精霊流しは膨大な量の爆竹や花火を使う。これの数量規制を市側が懸けてきたのだ。精霊流しはどうしても市内出身のフォークグループが歌う、物静かなイメージがつきまとうらしく、大量の耳をつんざく爆竹音が、イメージダウンになるという、浅はかな考えだった。またお盆中は、みな自分たちの先祖が眠る墓所で花火を打ち上げ、酒盛りをする。これでさえも防災対策上禁止というお達しがでた。
爆竹の方は、やったもん勝ち、隠れて持ち込もうと皆思っていたのだが、墓所の打ち上げ花火については、各町内会から苦情が相次いだそうだ。だいたい酒盛りをしている人々を何の理由で取り締まれるのか。自分たちの墓所ではないか、ということだ。
長崎人の気質として、規制されればそれ以上の行為に出る。だから、今年の精霊流しの爆竹は相当な量が鳴らされるだろうと、みんなが思っていた。いや、もしかすると観光協会の者もそう思っていたかもしれない。東京者にわかってたまるか、と。大人の責任逃れだと、高校生の僕たちは思っていた。
その中で、爆竹、花火を使わない船出を演出するのは、逆に目立つ。そこで、篠沢先生の前後も、なるべく花火を使わないようにして、静寂の中を進んでもらおうと、町内会が計らってくれた。
船所に行く前に、先生のお宅に寄って、遺骨に手を合わせた。そして、船所に向かう。出来上がった本物の木工船と見紛うような重厚な精霊船は、もう道に乗り上げられ、今にでも動き出しそうだ。小型のエンジンが取り付けられていて、曳きやすいようになっている。
出発の時刻は細かく決められている。取締役の町から監査役が派遣されて来ていて、ルール遵守や様々な注意点が告げられる。花火責任者は、所持している花火の量を見せながら申告する。この申告書はコピーされ、警備する警察官や消防官に渡される。必要以上の物を持っていたり、火薬庫以外の場所から花火を持ち寄ったりすると、すぐに連行されていってしまう。また、花火を扱う人間は酒に酔っていてはならない。一昨年のときは、箱ごと火をつけた爆竹を、警備しているパトカーに投げ込んだ強者がいた。もちろん公務執行妨害で逮捕されたが。
船所は、多くの人でごった返していた。まぶしいライトが照らされている。TV局だろう。船を曳くメンバーは、知らない人ばかりだった。よろしくお願いします、と頭を下げて回る。どうみても僕が一番年下だ。にもかかわらず、二番手を任される。もちろん一番は元婚約者だ。曳き方は、わかりますか、と聞いたら。一緒に歩いて行けばいいんでしょう、と返ってきた。ま、その通りだ。しかし紐は張りすぎず、緩みすぎず持たねばならない。また先導する踊り手にあわせて、錫杖を打ちならし、かけ声をあげる。コッコデショー、ヨーイ、ヨーイ。これは長崎くんちの出し物の掛け声だが、このテンポに合わせるらしい。
中学生の時、祖母の田舎で精霊流しをやった。市内ではすでに禁止されていたが、田舎では実際に藁で作った精霊船を海の沖にまで送る。だから担ぎ手は担いだまま、海に入るのだ、そして指定された場所まで泳ぎ、船を放す。驚いたことに船は、自らの力で進んでいく。岸に戻ろうとする船もあり。それは泳いで行って、沖に出られるように、さらに先導していく。その時、船出した船に向かって、泳ぎながら叫ぶのだ。コッコデショー、ヨーイ、ヨーイ。
揺れる波間に、ピンク色から紫へグラデーションされた提灯がゆらゆらと揺らいで、お精霊様が手を振っているようにも見える。そして、ふっと消えて闇の中に埋没する。大人達は、おお、行った、行った、と口々に叫ぶ。コッコデショー、ヨーイ、ヨーイ。
岸に向かって泳いでいる時に、隣にいた大人に注意された。流した方ば振り返ったらいかんばい。帰れんようになるぞ、と。しかし、何度となく、足をひっぱられ沈みそうになるが、周りの大人達が、がしっと僕を掴んで、助けてくれた。
岸に上がると聞かれた。何回足ば捕まれたか、はい3回ぐらい、ほぉ、そりゃ多か、お精霊様に好かれとっとね。コッコデショー、ヨーイ、ヨーイ
かけ声の練習の後、船を回すときの注意などが、船方から話があった。こういったことがすべて、TV中継されているのだろうか。僕には関係ないが、何か知らない視線を感じて、いやな雰囲気だ。僕の顔色を見て気になったのか、町内会長が寄ってきた。
「ごくろうさん。今回は慣れんことも多かろうが、目をつぶってくんやい」
「長崎観光のためですから」
「そぎゃんふうに言われたら、身も蓋もなかばい」
「すみません。」
町内会長は笑い声を上げながら、僕の肩をぽんぽんと叩いた。その向こうに加代が心配そうな顔をしていた。
「時間、15分前!」
監査役の大声で、周りが沸き立つ。篠沢先生のお母様と元婚約者が一段、高いところに立つ。ライトがさらにまぶしくなった。中継はこれからか。
「皆様のおかげで、船を出すことができました。ありがとうございました。」
婚約者の一声だ。そして立派な額に入った大きな先生の遺影画を船方に渡す。船方はその遺影画を金色の真鍮の釘で、精霊船の正面に打ち付ける。そして、先生のお母様が持っていた精霊船用に作られた大型な白木の位牌を、遺影画の下に配置する。そしていくつかの飾り付けをして完成だ。すでに、あたりは薄暗くなり始めているが、ここだけが明るい。
「時間、5分前!」
かけ声とともに、小型エンジンがガタガタと言い始めた。皆持ち場についた。加代を捜したが、人だかりがひどく見つけられない。しかし、きらりと光った髪留めを見付けた。きっとあれが加代だ。
「しゅったーつ!」
「おーっ!」
雄叫びが上がり、先行する町内会3艘が出る。篠沢先生の精霊船と残りの1艘は、この後だ。最初は、とにかく押す。船に傷が付かないように慎重に。この船だけで50人近い人が船の進行を助ける。僕もその中の一人だ。
よし、最初の坂は登り切った。目の前が開ける。先生、ほら船出ですよ。見えますか、長崎の街が。
すでに、動いている多くの精霊船が、道を埋め尽くしている、先ほどまではほとんど聞こえなかった爆竹の音が、周囲を劈いている。僕は耳栓をつけた。抜けても落ちないように紐が付いている。緩やかな下りでは、後ろの担ぎ手が船の動きをコントロールする。しかし、エンジンのおかげですんなりと、路面電車のレールを越えることができ、横滑りすることもない。
爆竹がこちらの方まで飛んでくる。平行する船の連中が、投げているのだ。別に狙っているわけではなく、爆竹は導火線に火をつけると、放り投げる、着地地点にたまたま、篠沢先生の船がいるだけだ。こっちも花火をしていれば、お互い様だが、篠沢先生の精霊船は受け身だけだ。船先の向こうにいる元婚約者が、どなっている。ああ、こりゃけんかになるばい。と思ったら、案の定向こうの船の大人が、元婚約者に怒鳴っている。こういうとき、誰も止めない。喧嘩するのも精霊流しの儀式だ。そういう僕も、先導さんにちょっかいを出していた路肩のカップルを怒鳴る。ネズミ花火を投げつけていたのだ。
「なにあれ」
とそのカップルの女が怒鳴り返してきたので、錫杖の先をカップルの男の方の顔に、くいっと向けた。男はだらしなく笑う。
コッコデショー、ヨーイ、ヨーイ。とみんなの叫びに合わせて二番手に戻った。
通路が狭くなり、本来なら順番争いの喧嘩が始まるはずだが、TV中継されているためか、道を譲ってくれる。僕ら脇人、曳手は定められた儀式を永遠に続けていく。船は大波止と呼ばれている長崎港の要所を目掛け、ゆっくりと進んでいく。諏訪神社前から公会堂の方へと左に船は旋回する。この通りは県庁がある丘の下まで一直線だ。僕らの前に数多くの船が見える。爆竹のはじける音が耳栓に関係なく貫き、花火の硝煙が目にしみてくる。先生、もうすぐ公会堂前です。ここで毎年発表会を開いてくださいましたね。先生について最初の発表会はブラームスのラプソディでした。あまりゆっくり弾いてしまったので、終わった後に大目玉をもらいました。あれじゃ子守歌じゃないのって。そうなんです、恋い焦がれていなければ弾けなかった。あの時、僕は何に対しても冷めた目でしかみられなかった。それを変えてくれたのが、あの曲でした。コッコデショー、ヨーイ、ヨーイ。




