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精霊流し  作者: 名夢子
38/46

坂本竜馬

三十八


「見た!」

 泣きながら意地になった。

「思ひいずれば白きさるすべりの花」

 坊主が、斎藤茂吉の歌の下の句を詠む。

「じゃあ、聞くが、なぜここのサルスベリの花が白かとや?」

「そんなこつは知らん。白かとは白かとじゃ」

「なぜ白いとおまえはわかるとや?」

「白かと、やからじゃ」

「それは、そう教わったからやろ。お前は心の底から、あれが白だと言えるとか?」

 これが禅問答か。煩わしい。しかしなぜ、涙が止まらないのだ。

「どこから見ても白じゃ」

「では今、ここから見ても白いか」

「ここから見えるわけはなかろうもん。おかしかことば言うな」

「わしは見える。ならばお前も見えるやろ」

 と言われた瞬間、この世のものとも思えない大音声が響き、僕の脳天に突き刺さった。その瞬間サルスベリの花が見えた。白ではない、薄い桃色のようだった。とともに、涙も涸れた。慟哭も治まった。何をしたのだ。

「み、見えました。」

「そうやろ。お前には見えるはずや。」

「でも、白くはなかった。」

「ほほう、そうか、白ではなかったか。だとしたら違うサルスベリば見たとやろ。」

「えっ?」

「お前は、ここに飛び込んできたときは、それはひどかぁ、顔やったばい。わしは日頃からそげな顔をしとるもんと、話しおうとるけん、また来たかぐらいにしか思わんと。しかし、今日は、お前から花のにおいがしたとたい。不思議なこともあるもんばい。はじめてじゃ。」

 僕の体はすっかりと軽くなっている。僕は先ほど、修道女に言ってはならないことを言ってしまったこと、加代の僕への思いを語った。

「まぁ、今全部のことを話したわけではないだろうし、全部の話を聞いたから、わしがどうとでもできると思うたら、いかんよ。話せば聞く。聞くが答えはない。答えはお前が聞く耳を持たん限り、聞こえることはない。それだけは、よう覚えておけ。」

 はい、といって立ち上がると、坊主が付け足すように言う。

「その、白とは違うサルスベリの花。いったいどこに咲いておるのかの。」

 坊主が、また茶釜の湯をかき回し始めた。おそらく次の客が来るのかもしれない。

「たぶん、知っています。」

「そうか、ならばよし。」


 興福寺本堂にはめ込まれた幾何学模様の欄窓は、美しい。何度見ても見飽きることがない。日当たりの良いときは、本堂の中に、その模様が映し出される。このような装飾は他の寺で見たことがない。国の重要文化財になるだけの物だ。原爆でこの寺町がやられなくてよかった。それに唐寺は屋根のてっぺんに瓢箪の置物が置いてある。瓢瓶というのだが、火災になるとそこから水を拭きだして、火を消すと言われている。あの坊主がいるのだから、さもあらんと思いながら蘇鉄の横を通り過ぎた。

 麦草から抜け出して、ここに逃げ込んだのも必然だったのだろう。そして図らずも、ごちゃごちゃとし始めた人間関係の解決の糸口を見つけ出せたのも、偶然ではない。このための準備はできていたのだと、思う。


 少し面倒だが、伊良林に曲がって、風頭まで上がって、愛宕に降りようかと、歩き始めた。なんとなく公会堂や賑橋まで戻って路面電車に乗るのは、気が引けた。なるべく人がいないところ、と思ったが、よく考えると伊良林は住宅街だ。人の気配はたくさんある。山登りの階段はたくさんあるように見えても、途中で途切れていたり、人の家に入ってしまったりで、迷う観光客は多いそうだ。このあたりの斜面は急で、江戸時代から続く古い家が多い。坂本竜馬の海援隊が拠点を構えた家も、近くにある。

 汗だくになって風頭に着く。公園で水を飲もうと立ち寄ると、高台の向こうに坂本龍馬の銅像が見える。見えるといってもその後頭部だけだ。そこからは、長崎市街、長崎港、そしてその向こうの東シナ海が広く見える。龍馬が見据えた世界がそこに広がっているというのが観光の謳い文句だが、こんな不便な公園に観光客など来るわけがなかろう、と思ったら、大きな観光バスが到着した。いったい、どこの道を上がってくれば、ここに来られるのだろうか?観光客を避けて、愛宕神社を遠巻きにして、愛宕のおじさんの家に向かった。

 下りは楽である。歩きながら興福寺での出来事を思い起こしていた。

 興福寺のサルスベリの花は白いことは、まぁ誰でも知っていることだ。確かに白い。しかし、執拗に白いか、と聞かれた。とここまで考えてはっとした。

 あの坊主は、知っていることと見たことを区別しろと言っていることに気がついたのだ。初めて何かを見たときに、例えば、母親がこの花は白いね、といえばその子にとって、その花は白になるのだ。だからその子が言う「この花は白い」という言葉は見たことを言っているのではなく、知っていることを言っているだけなのだ。僕が本当に見たサルスベリは薄い桃色だった。坊主が誰かに似ているだろうといわれたとき、先に秀子姉さんが、そして加代が、そして久保の顔がちらついたが、それがごちゃごちゃになってしまった。でも僕が見たのは薄い桃色のサルスベリ。どこに咲いているのか。知っていると心は答えた。しかし、それが現実に咲いているのを本当に見たのであろうか。


 愛宕のおじさんは、あいにく不在だった。しかし、大塚のじいさんの遺影画は額装も美しく、箱に戻して梱包し、おばさんに礼を言うと大塚の家に向かおうとした。そうだ篠沢先生の遺影は、とおばさんに聞くと、篠沢先生の家の方が取りに来たよ、という。そうか、持って行きたかったのにと思ったが、まあいい。もう夕方に近くなっている、道を急いだ。

 近くのバス停からバスに乗ってとりあえず、駅前のバスセンターまで乗る。そこからは路面電車だ。住吉までくると、あとは近い。神社のまんじゅうを買い、それを手土産に丘を越えて大塚の家を訪ねた。

 遺影画は、大塚の家で見るとかなり大きい。でも今にも語りかけてきそうなその表情は、豊かだ。きっと大塚のじいさん自身が、語ることの多い、心の広い人だったのだろうと思う。心の狭か人間は主役の役者でもすぐわかるとばい、顔にでるけんね、そう愛宕のおじさんは言っていた。

 大塚のお袋さんが、仏間に現れた。あらまぁ、というと目頭を押さえて嗚咽した。

「こげん、よう描いてもろうて。うれしか、うれしかぁ。」

「母ちゃん、泣くな。」

 つらいことも思い出したかもしれない、それでも僕は描かせてもらってよかったと思った。大塚がありがとうといって僕の手を握りしめた。

「いいや、これは僕からのツカのじいさんへの恩返しやけん。」

「ありがとな。それで、これはおいからの忠告ばってんが。わいは篠沢先生のお精霊様ば曳け。こっちは家族だけでよか。船も小さかし、じいさんのつきあいもあるけん。加代にも、そうゆうとったけん。よかな。」

 ツカはもう一度僕の手を握りしめて、手を離した。

「ああ、わかった。そうさせてもらう。こっちから言い出しにくかったのが正直なところ。ありがとうツカ」

「そうやろ、おいはわいの気持ちは、どこにいてもわかるけん。なにしろギター部の部長やし」

「ギター部は関係なかろうもん。え、部長になったとか。」

「なったなった、もうなれなれって周りがうるそうて」

「なんば言うとっとか、先輩達がこぞって引退したからやろ。」

 ツカの母さんが復活して、大塚の頭をこづいた。

「やっぱな。でもおめでとう。」

「おお」

 この家は心安らぐ。でも帰ろう。遺影画を元にして大塚の家族達は、もう一度じいさんと話したいだろう。是非そうしてくれ。


 ツカの家を辞して住吉の街に出た。どこかで飯を食べようと探していると、目の前のファッションビルの前で、久保がTシャツにジーンズという普段着で、バーゲンセール中の洋服を漁っていた。久保と声をかけようとしたら、隣に年配のスーツ姿の男性が寄り添うように立っていた。ああ、あれが久保の父さんか。見たことがあるような気がするが、しかしあまり記憶にない。ここは一本道でまっすぐ行けば必ず、久保に見つかる。どうしようかと迷って再び饅頭屋の前で買う振りをしていると、果たして久保に見つかった。必然だな。

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