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精霊流し  作者: 名夢子
35/46

いつも通りに

三十五


 家に帰る途中で、加代が喉に良いとされるトローチを薬局で買った。いくつかまとめて買っているところをみると、仲間にも渡すのだろう。

「さすがや、次期副部長」

「へへ」

 照れる加代。長い石段を登って家に着いた。部屋の中に電気が灯っている。ただいまぁ、いつもありがとうございます、と言って入ってみると、加代の母さんではなく、僕の母がいた。

「こんばんは、おばさん、付いてきましたー」

「いやぁ、加代ちゃん。見ない間に、べっぴんさんになってから。いつもありがとね。和樹のこと面倒みてもらって」

 そうじゃない。おい、どうしたんだよ。とふてくされる僕に、

「お父さんの出張で来たけん、付いてきたと。お父さんは会社のクラブに泊まるけん、私は和樹のところにきたと。あ、そのまえに松尾さんのところで遊んできたとよ。」

 僕の母が、加代を見てまたにっこり笑う。いつの間にか上がり込んだ加代が、勝手知ったる僕の家で、すでにお湯を沸かし始めて、母に問う。

「おばさん、明日のコンクールはこられると?」

「もちろん。父さんは仕事やけん、無理やけどね。」

 加代と母が、機関銃のように話を始めた。そこで僕は大事なことに気がついた。

「母さん、ここに泊まってもよかけど、布団は無かよ。」

「あれ、客布団のあったろうもん」

「あれはおばあちゃん家に送ったばい。おいが泊まりに行くとき使うけん。」

「ああ、そうだったわね。どうしましょ。じゃぁ、松尾さん家に泊めてもらおうかな。加代ちゃんよかやろか。」

「もちろん、家に電話してみますね。」

 電話口で加代が笑っている、断られるわけもなく、慌ただしく母と加代が僕の家から出て行った。いったい、何をしに来たのだ。

 加代の母さんと僕の母とは、機会がある毎に電話で僕のことを話し合っているそうだ。僕が右手を怪我したときも、一度だけ電話がかかってきた。篠沢先生が亡くなった時は、こっちに飛んでくるつもりでいたようだが、葬儀自体が弟子達と比較的身近な人達で行われたので、母の準備は空振りに終わっていた。


 風呂に入りながら、明日のコンクールで合唱する楽曲を頭の中に浮かべ、口ずさみながらゆっくりと腕と手を動かす。目を瞑る。会場の匂いが微かに蘇ってくる。去年はテナーとして観客の方を向いていたが、今年はみんなの顔を見て、指揮をするのだ。スポットライトが熱く感じる。そう思ったら、長湯をしていることに気がついた。いかん、のぼせる前に、上がって水分補給しなければ。

 風呂から上がると、ちょうど電話が鳴った。父からだった。母が加代の家に泊まりに行ったというと、そうか、と言う。明日は行けないが、いつも通りにな、という父の言葉に、僕は「はい」と頷いた。

 受話器を置いたとたん、また電話が鳴った。父が何か言い残したかと思ってとると、久保からだった。

「ごめん、加代ちゃんと一緒?」

「いや、帰った。おいの母さんと一緒に」

 はあ?と不思議そうな声。そうだろ、おかしな話さ。

「どうした、早よ眠らんと」

と言うと、少しすねたような久保の声が聞こえた。

「眠れなくて、ベッドの中から電話してるの」

 ベッドの中から電話だと。うちの黒電話を布団の中に引きずり込んで電話をしている自分の姿を想像した。

「もしかして、今流行の子機?」

「そうよ」

「すごかね、時代の進歩は。どんどん取り残されるばい。おいの電話機は、手で回すとよ」

「うそばっかし」

 久保は少し笑った。よく考えると、初めての伴奏がコンクールという舞台なのだ。緊張してあたりまえかもしれない。伴奏が悪いと全体の印象はやはり良くないし、歌い手に動揺が広がるのが、一番の問題だ。

 僕は少し、先ほどの母のわけのわからない、行動を教えた。もだえるように笑っているのがわかる。

「カズちゃんのお母様に、会ってみたいわ」

「明日、コンクールば見に来るけん、そんときに会えるかもな」

「うん」

「落ち着いたか」

「うん、ありがと。笑ったら眠くなったきた。」

「そりゃよかった。それじゃ、明日。」

「うん」

「いつも通りに」

 ふと父の言葉を思い出して、久保にも言ってみる。

「うん、いつも通りに」

 繰り返して言う。

「おやすみ、久保」

 しばらく無言。どうした、久保。

「せっかく眠くなったのに。最後の最後で、失格!もう!。おやすみ、美佐ちゃんでしょ!」

 急に怒り出した。おいおい、いいかげんにしろよまったく。

「はいはい、おやすみ、美佐ちゃん」

「はいはい、は余計だけど、まぁ、名前で呼んでくれたし。合格としとこう。」

 何だと、と言おうとしたところで電話が切れた。久保にしろ、加代にしろ、母にしろ、どうして女はこう、いい加減で、かつ自己中心的なのだ。

 あまりかっかしすぎたのか、なかなか寝付けず、読みかけの本を読んで眠くなろうとしたが、逆に頭が冴えて、寝入ったのは明け方だった。

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