傷
二十九
篠沢先生のお母様には事前に連絡を取っていたので、久保と一緒にお宅にお邪魔した。精霊船の手配はすでになされているらしく、近々打合せがあるという。元婚約者が東京から来て、仕切るそうで、肖像画の件は、その場で話をしてくれないか、と頼まれた。事前に元婚約者には話しておくそうだ。
先生の遺骨はまだ墓地に納骨されていない。納骨場所も決まらず、困っていると嘆いておられた。本来浄土宗の家なのだが、先生が留学中に洗礼を受けたため、先生はクリスチャンで、教会墓地に埋葬して欲しいというお母様の要望だ。しかし元婚約者が東京にいるため東京の共同墓地に埋葬したいと言い、衝突しているという。レッスン室に安置してある遺骨と白木の本名が書かれた仏式の位牌と、先生がつけていたというロザリオが、ちぐはぐな感じで、可哀想だった。僕と久保は持ってきた水菓子とお花をお供えして、先生のお宅を後にした。
帰り際に、久保が興味深い話をした。
「去年の集会で演奏した事覚えてる?」
「もちろん」
あの時の恍惚感は今でも震え出すほどだ。
「あの演奏、テレビ局のカメラマンが撮っていたんだって。それで、ついこの間、東京で篠沢先生の追悼演奏会とかいって、先生の半生をドキュメントにして放送したそうよ。そのとき、先生の精霊船がこのお盆に出され、それを中継するという予告もしたんだって。」
「おい、その話は本当のことか? 誰から聞いたとや。」
「母親。テレビで見たって。」
僕は怒りがこみ上げてくるのがわかった。
「ということは、墓の話も、あれか。東京に持って行く方が、東京のテレビに受けるからか」
「そうかも」
久保は、僕が怒りはじめているのを察知したらしい。余計なこと言ったかしら、というので、
「いや、なんとなくわかる。なんであのとき、すぐにお精霊さんば出さんかったのかも、今の話で理解できる。すべてはあいつか。原爆病院で、先生の部屋から出てきたあいつか!」
僕は思わず、そばにあった電柱を殴りつけた。あまりにも見境無く殴ったので、拳の皮膚がつぶれて血が噴き出した。久保がかるく悲鳴を上げたが、僕はかまわずしたたる血を地面にふるい落として染みこませ、もっていたハンカチで拳をしばった。
なんとか怒りを静めたかったが、できないまま路面電車に二人で乗り込んだ。ガタゴトと揺られながら、ぼぉっと乗り降りする人々を見ている。僕の血まみれのハンカチを見て目を背ける女性もいる。
自宅そばの停車場で、久保にじゃぁ、といって降りた。ドアが閉まって電車は出ようとするが、急停車で再び止まり、開いたドアから久保が飛び出してきた。
「けが、手当てするよ。右手だし。独りじゃ大変でしょ。」
「よか、帰れ」
「手当てしたらすぐに、帰るから。心配なの。」
「男の独り住まいには入れられんけん、アパートの下で待っとけ。」
ずかずかと歩きながら坂を上ると、僕の住むアパートだ。自宅は両親が東京に引っ越したときに賃貸に出してしまったので、高校に近い場所にアパートを借りているのだ。アパートといっても2軒しかなく、隣は大学生だ。アパートの下といったのは、車道面から石段を二十ほどあがって、アパートに着く。だからその石段を登ってはならないと言ったのだ。
僕は、部屋に入るとまず傷口を水で洗った。もう遅いかもしれないが、気休めだ。そして、きれいな手ぬぐいで再び拳をくるみ、救急セットを押し入れから取り出した。それをもって出ようとしたとき、久保が部屋に押し入ってきた。
「なんしよっとや」
「遅いから、心配になって。」
と言いながら、すでに靴を脱いで、上がってきている。
「きれいに片付いているんだね。すごい、楽譜の山。うぁ参考書も。」
「うるさか、じろじろ見るな。失礼やろ。」
「ごめん、じゃ手当てしようか。」
なにか、また久保のペースになってきてしまった。とりあえず止血し、ずきずき痛むが、あとは時間が教えてくれるだけだ。
「ありがとな。助かった。」
さあ、帰れと態度で示したのだが、伝わらないのか、無視しているのか。
「あのさ、怒っているときの吉野君、かっこいいね」
さすがに、あきれ果てたが、思わず、ぶん殴ろうかとも思った。
「ほら、帰れ」
と右手を動かしたら、激痛が走った。おもわずうずくまってしまった。そこに久保が覆い被さるように体を寄せてきた。
「おいに触るな!」
「どうして、せっかく、」
「おいは今、篠沢先生と大塚のじいさんの、二人のお精霊さんば、抱えとるとぞ。それに篠沢先生は帰る場所の無かと、じゃけん、おいが背負うとっと。大塚のじいさんも、おいが送らんといけんと。じゃけ、帰れ」
僕は激痛を我慢しながら、久保を押し出すように家から出した。
翌日、手の痛みはある程度引いたが、まだ腫れ上がっていたので、学校の保健室で消毒してもらった。クラスにいくと、手の包帯をみてシュウちゃんが、どうした?と遠くから口パクで聞いてくる。どうしようかと思い、教室の壁を殴るまねをしたら、頭をかしげていた。
席に座ると、久保がやってきた。昨日はごめん、と僕は謝った。ううん、と彼女が言う。よく見ると肩まであった髪の毛が短くなっている。ショートボブとでもいうのだろうか。くりっとした目が引き立つ。
「髪の毛切ったとや」
「昨日の夜、自分で切った。上手でしょ。」
「ああ、」
やはり気まずい。
「痛そうね、まだ」
「そうでもなか。腫れとるだけ」
「そう、ならいいけど」
じゃ、後でと言って久保はG組の廊下から立ち去った。授業が始まる。シュウちゃんには、後で話そう。




