愛の河
二十七
今日は部活がない日である。授業が終わるとシュウちゃんが僕の席まできて、
「カズちゃん、今日ハウスに来んね。散髪屋がくるけん、一緒に髪の毛切ってもらおう。」
シュウちゃんがいる孤児院では、月に一度、近所の散髪屋がボランティアにやってくる。もちろん僕はちゃんと代金を支払うというのだが、毎回断られ、その代わりみんなで食べられるお菓子や果物を持って行く。今日がその日なのだ。
「わかった、行く行く」
クラスでは、シュウちゃんは比較的大きな声でハウスの話をする。僕も僕で、周囲の目など気にせず、いつもの調子でしゃべっているのだが、俺もついて行く、とか、一緒に遊ぼうといった誘いはまったくない。僕は結構他の仲間とつるむことがあっても、シュウちゃんは、なんとなく独りだ。そういった意味では久保と似ているかもしれない。
学校を出ると、後から行くからとシュウちゃんに言って、僕は路面電車に飛び乗り、公会堂前で下りた。今日はカステラにしようと松露堂に立ち寄った。あいかわらずの混み様だ。学生服姿の僕を奥の作業場から見つけたのだろう、脇の扉から、若社長が手をひらひらさせている。
「おい、ひさしぶりやっか。お父さんとお母さんは元気や?」
若いと言っても僕の父親と同じ年だが、先代社長はまだ元気で、今もお客さんとやりとりをしている。
「ええ、2本ほど両親に送ってもらえますか。それから、」
「わかった、わかった。あとは適当に持って行けばよか。半端もんでもよかやろ? いやいや、半端もんの和樹やけん、半端もんが大好きばい...」
後の方は変な都々逸のようになって、作業場に消えていくと、しばらくして中ぐらいの段ボールに一杯のカステラが入っている。
「半端もんちゅうても、ちゃんとおいの保証済みたい。」
開発中の簡易包装だそうだ。また日持ちがするようにシール部分にも工夫を加えているという。代金を支払おうとしたら、叱られてしまった。モニター試食ということで、もっていけという。モニター結果は、笑顔で100点ばい、という若社長に、僕は深く頭を下げた。ありがとうございました。
店を出て、路面電車に乗って、両親に送るカステラ代金を支払うのを忘れたことに気がついた。若社長、善い人すぎるばい。
孤児院への道は相変わらずの愛の河縁を歩く。久保と立ち寄ったひっそりとした果物屋が懐かしく感じる。一般的には児童養護施設は中学校を卒業すると、施設を出なくてはならないが、このハウスは高校卒業まで居ることが出来る。たぶん多くの大人達ががんばって、孤児院から独り立ちするまでの期間を延ばしてくれたのだろう。そのハウスの裏門から入ると、すでに散髪屋は大半の子供の頭を坊主にし、ちょうどシュウちゃんが始まったところだった。めずらしく散髪屋の奥さんも一緒で、修道女達も髪の毛をすいてもらっていた。修道女の印である、灰色の帽子はいかなる場所でも外してはならないのだが、今日はいいのだろう。おそらくこの日は彼女たちの信仰の都合に合わせてあるのだ。
僕は箱一杯のカステラを院長に渡そうと思ったが、その場にはいないので、シュウちゃんに目配せして、院長室に行った。院長室の扉は閉ざされていて、中からマリアンヌ院長と男女の、そうかなり年配者の声が聞こえた。しかたがないので、再びホールに戻ると、シュウちゃんの姉さん、ジアノ修道女がほほえんで立っていた。僕は、一瞬心臓を刺し貫かれたかと思うほど、胸が苦しくなった。
「いらっしゃい。和樹さんも、身なりを清潔にしてくださいね。」
そう言うとジアノ修道女は、ホールを出て行った。おいが、きたなかとやろか? そうつぶやいたのがシュウちゃんに聞こえたらしい。
「ああ、きたならしかぞ。髪の毛は伸び放題やっか。汗臭かし。」
その言葉がおもしろかったらしく、子供が、のび放題、臭かし、と僕の周りではやし立てる。
「そげんさわぐと、この松露堂のカステラば、食わせんけんね!」
と怒ってみせる。子供は正直だ。ごめんなさい。もう言いません。と僕にすがるようにとりつく。それをみたシュウちゃんが、
「ばかが、おとなげなか」
と吐き捨てた。そうたい、おいはまだ子供やけん。まだ子供やけん、秀子姉さんが忘れられん。
みんなの頭がきれいになると、散髪屋夫婦はカステラを持って微笑みながら帰って行った。マリアンヌ院長も夫婦に、にこやかに手を振る。しかし、ジアノ修道女とシュウちゃんがこの場所にいなかった。トイレだろうか。子供が僕の手をにぎってホールに連れて行こうとする。
「オルガンば弾いて」
せがむ子供。
「先生、弾いてよかですか」
院長は、大仰にうなずいてみせる。さあ、楽しい音楽の時間だ。




