伯父
二十四
久保は、両親の離婚という自分ではどうしようもない事態におかれているにもかかわらず、今日は妙に明るい。いや、明るく振る舞っているだけかもしれない。長崎に残ってくれるというのは、同じ合唱部の仲間、いや音楽の友として、すごくうれしい。「友?」と問いかける自分がいるのも、よくわかっている。しかし、どう意識して良いのか難しい。去年の篠沢先生が亡くなり、その後で行われた仲間と集う会、普通に言うならば篠沢先生を偲ぶ会といったものだろう。そこで、僕ら弟子は、これまでのレッスンの集大成として、先生のお友達やご親族の前で腕前を披露したのだ。神の計らいか、祐宗先生の意志かわからないが、久保と僕は連弾することになり、ランナーズハイのような気分にお互いが陥ってしまった。篠沢先生のいたずらなのか。偶然か、必然か。
「どうしたの、黙って」
「あ、いや、べつに。ちょっと考え事しとった」
「へぇ、何を?」
「なんでんなか」
「何を? 知りたいよ、教えて、ね」
「なんも、考えとりゃせんと」
うぁ、めんどくさか。
「ええ、考え事しとった、って今さっき言ってたよ。嘘つき。」
僕は、こういう会話が大の苦手である。出てきたばかりのエビチリソースをがつがつと食べ始めた。
「ねぇ、私の分は。とっておいてよ。」
「おいが、食う。」
といっても、結局は分け合わなければ、とうてい一人でたいらげることはできないのだ。ぷりぷりのエビが口の中でとろけ、そして少しぴりっとする辛さが長崎にいてよかったとあらためて思うのだ。
「すごくおいしい。こんなのはじめて。」
久保も驚いている。
「東京にもなかろう。こげんうまかエビチリは。」
と自慢する。久保も、そうかもしれないと同意。これからどうする、と久保が聞く。
「ああ、おいはおじさんところに行くけん。」
祖母に頼まれて、祖母の甥っ子、といってもかなりの年齢だが、おじさんのところにちょっとした頼み事をしにいく。手紙を渡して返事をもらうだけなのだが、電話で話せよと言いたいところだが、これは僕が手紙を届けるから、と先に言い出したことだ。なぜなら、おじさんは長崎市内の数件の映画館の看板を描く仕事をしている。大きな看板から、ポスターやチラシまで、なんでもやる。
戦時中は、飛んでくるB29の絵を描いては、みんなを恐ろしがらせていたそうだ。戦後、進駐軍がやってくると、その絵を見せて、佐世保のベースキャンプで、将校達の似顔絵や肖像画を描いて生計をたてていたそうだ。そのうち、キャンプ内の映画館で働くようになり、大看板を描く技術などを学び、進駐軍が引き上げると、退職金で看板・美術の店を開いた。
久保に身内の話をするのは、さほど多くはない。このおじさんの話はおもしろかったらしく、私もついていく、と行ってきかない。めんどくさかことはいわんとよ、と念を押してK楽園を後にした。もちろんツケだ。
おじさんは、愛宕という小高い山の中腹に家を構えていた。僕らは築町から路面電車に乗り、正覚寺下で下りた。そこから、八坂神社までは普通の坂道。その先を右に折れて階段を上ったあたりからは、急な斜面が続く。少し広い車道を通ってもいいのだが、タクシーが飛ばして落ちてくるので、危険きわまりないのだ。
目的のところまで来たのだが、足がぐらぐらになっている。久保も息があらい。細い足がおそらく折れそうなのだろう。
「もう少しやけん」
「もう、登りとか、階段とかない?」
「いや、まだある。たぶん信じられないような階段が」
久保の丸い目がますます丸くなった。息も上がっている。それを無視して、愛宕山の山肌に貼り付くように立っている家々をながめる。右手には谷間を挟んで、高岡地区が見える。こちらも高台だ。どこをみても山の上まで家が建っている。
途中で、左に上がる狭い階段があるので、そこを登り始めた。一段一段が異常に高い。転べば、下まで真っ逆さま、重傷を負うことは間違いない。よくこんな階段を毎日上り下りできるなと、昔、感心したようにおじさんに聞くと、
「慣ればい」
と返ってきた。
久保が転落していないかと心配したがなんとか、おじさんの家にたどり着いた。
久しぶりにきたなと思い、息を整えていると、いきなり戸が開いた。お互い、おっ、とびっくりしたが、果たしておじさんだった。
「おお、ようきたばい。もう来るころやから下まで、出とこうかと思うとったと。よう場所のわかったね。」
「はい、覚えとりましたけん。あ、これお土産。残りもんばってん」
K楽園の残ったエビチリをパックに入れてもらったのだ。おじさんもK楽園が好きで、足繁く通っている一人である。おじさんの奥さん、おばさんも喜んでくれた。久保がやっと到着し、紹介すると、僕以上の歓待である。
早速ですがと、祖母からの手紙を渡すと、しばらく読んで、じっと考えていたかと思ったら、
「うん、よか。わかったて言うとって。いや、おいが電話した方が早かね。ははは。」
「おじちゃん、おいはばあさんの手紙をみとらんけんわからんけど、どういうことね。」
「いや、親戚の精霊船ば出すけん、顔写真を似顔絵でできんかっていう相談たい。できんことはなかけど、ほら、雨が降ったり爆竹にあたったりするやろ。大きさや出来上がり時期とか、聞かんばわからんかったとよ。この手紙に大概のことは書いてあったけん。オッケーたい。」
「へぇ、そうだったとですか。」
そのとき、僕の頭にあるアイデアが浮かんだ。
「おじちゃん、ある人の似顔絵ば描いてくれんやろか。ことし、お精霊さんば出すとやけど、写真よりか、おじちゃんの絵の方が、絶対よかと思うとばい。」
「あってまぁ、わいも似たようなこつをいいよるたい。ははは。よかよか。そのかわり、わいが手伝わんと。」
「ああ、そりゃそうですね。ちゃんと手伝います。でもまだ、先方さんにも相談しとらんけん。だめになるかもしれん。」
「いや、だめになるわけなかばい。写真は形を写すだけ。映画ば、ようみればわかるやろ、キャメラマンが役者を写しているだけでは見る人の心に訴える映画にはならんと。キャメラマンが役者の心の奥底まで引き出すように描き撮ることが出来とるとが、よか映画たい。それ以上に役者がようなかったら、だめばってん。イングリット・バーグマンはよかよぉ。」
「おじちゃんの、イングリット好きが、またはじまったばい。おばちゃん、ビールの切れた。」
看板書きのおじさんが、トイレに立った。するとよろよろっと久保の肩に手をついた。久保はそれを優しく支えて、一緒に付き添ってトイレに連れて行ってくれた。ありがとう、久保。僕は頭をさげる。久保は顔を横に振った。
「かずき、よか娘ば連れてきたやっか。イングリッド・バーグマンよりかべっぴんやし、優しかねぇ。わるかったね、おじょうさん、肩に触ってしもうて。」
「おじちゃん、トイレの中からしゃべるほうが、失礼やろが。」
「がはは、こいはいかん、場所もわきまえんがさつな親戚のおると思われたら、かずきに悪か。」
少々酔っ払ったおじさんはトイレで泣き出した。その時になって、久保を連れてくるのではなかったと後悔した。伯父が結婚したのは佐世保の基地で働いている頃だ。そして長女キクが生まれたが、すぐに亡くなったそうだ。その後、子はできず、僕のことを我が子のように可愛がってくれる。父の転勤で母も東京に行くことができたのは、このおじさん夫婦、そして加代の両親が僕のそばにいてくれるからなのだ。それにしても、おじさんはトイレで大泣きである。おばさんが愚痴をこぼす様に言う。
「ごめんね、酔っ払うとすぐ泣くと。泣き上戸らしか。」
久保は、ほっとした様子だ。
「やさしか、おじさんやね」
「久保、なんか今の長崎弁、自然な感じやったぞ!」
「あ、久保って呼び捨てにした! 美佐って呼んでっていったでしょ!」
僕は久保の怒りの栓を開けたらしかった。肩口を思い切りはたかれた。それを見たおばさんが、おなかを抱えて笑っている。
「こげん、おかしか家でよかったら、また来てくれんね」
おばちゃん、ありがとう。久保は、きっと来るよ。ここに来れば、久保は自然でいられるみたいだから。




