チャンポン
二十二
グラバー園を後にして、久保と僕は大浦天主堂の前の坂をだらだらと下り、市民病院の裏手を抜けて新地と呼ばれる中華街に出た。
「まだお昼には、早かとばってん、食べてく?」
「いいよ。ここに来たの初めて。」
「ほんとに、長崎のこと知らんね」
「だから」
「はいはい。店は任せてね。といってもいつも行くところだから。」
K楽園は銅座川のほとり、この中華街の入り口に店を構えている。中華的な豪奢な装飾が、観光客の注目を浴びるのか、いつも満員だ。今日も待たせられるかもしれん、と久保に言うと、いいわよ、と応じてくれた。自動ドアを入ると、ちゃんぽんの甘い香りで店中が、おなかをすかせているようだ。僕の顔を見た、客をさばいていたご主人が、おおという感じで頷いてくれて、
「かずき、お連れさん?」
「そう、二人。」
わかったと親指を立てて合図してくれて、奥の一切を取り仕切っているおかみさんに、
「ご予約さん二名、3階ね」
すると階上から、それに呼応するように、ご予約さん入るよ、と声がした。
「はい、ごめんなさい。通してね、通して」
と、ごった返す入り口を、ご主人が僕の手を引いて、エレベータまで案内して、ボタンを押した。すると耳元で小さな声で、
「加代ちゃんどうした?」
きっと、何かを勘違いしているのだろうけれど、とりあえず、
「彼女、久保美佐。同じ合唱部で、その打合せ。」
「ああ、そうなのか。ごめんごめん。」
ご主人はそう言いながら、愛想をさらに崩して、みさちゃん、みさちゃんと久保の顔を見て、名前を繰り返していた。
3階は個室になっている、ほぼ一杯のようだが、小さな個室に通された。
「わぁ、こんなとこ、はじめてよ」
「別に個室料金とかとられるわけはないけん。大丈夫。それに料金も市民感覚やけん。心配いらんばい。」
メニューを見ると、さすがに場末の中華屋とは、違う。
「うちでとる出前の倍だね。うーん。」
「ここは、おいがおごるけん、心配いらん。」
実は、僕はこの店で僕は支払いをしたことがない。いわいるツケなのだ。たまると適当なときにおかみさんが、東京にいる僕の父に請求書を出す。僕の父とご主人夫婦とは、若い頃からのつきあいらしく、父が会社の連中を連日引き連れて、相当金を落としていったらしい。だから、僕も小さな頃からこの店はなじみで、自分の味になっている。
結局まずは、ちゃんぽんからという長崎流儀で、久保はちゃんぽんにした。僕も同じだが、大好きなエビチリソース炒めを追加。普通の中華屋だとエビチリソースのエビは、単なるエビだ。しかし、ここのエビは、口に入れてかむと、はじけて中身がとろりと溶け出すようなプリプリしたエビなのだ。炒める前の処理に秘密があるらしい、と父から聞いた。
「ここ、良く来るの。」
「そんなに、来んよ。一週間に一度ぐらいかな。」
「それを、よく来るっていうのよ。へぇ、すごいなぁ」
「晩ご飯食べに来るだけやから、すごいも、なにもなかろぉもん」
K楽園をほめられると、僕もほめられているような錯覚に陥る。
「さっきの話やけど」
「なぁに?」
「久保、大丈夫か。」
急にふくれっつらになった。
「久保、...」
「美佐って、呼んでっていったのに。」
ああ、そうだったか、いつ言われたか、と思いながら、
「美佐、大丈夫か。」
もう一度繰り返した。
「大丈夫だよ。たぶん。心配させてごめんなさい。」
「また、なんかあったら話ば聞くけん」
「ありがと」
久保はほほえんだ。
「ところで、ここには、松尾加代さんとはよく来るの?」
僕は飲んでいた水を吹き出しそうになった。なぜ、突然。
「さっきおじさんが、加代ちゃんは?て聞いているの、聞こえちゃった」
「ほら、あいつとは隣り合わせの幼なじみやけん、よう一緒に来とったとよ」
「ふーん」
久保は個室の天井を見回しながら、
「まぁいいか。今は独り占めできてるし」
「なんのこと?」
「いいのいいの」
そこに、甘い香りのチャンポンとエビチリソース炒めが運ばれてきた。エビチリはちょっとみても二人前はある。多すぎないか?僕は思わず伝票をみると一人前だ。どうして、と運んできたおねえさんに聞こうとすると、彼女が何かしらないが、ガッツポーズをした。おい、何か勘違いしているだろう。でもいい、ほとんど僕が平らげてやる。そして、「いただきまーす」と手を合わせると、チャンポンをすすり始めた。




