表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊流し  作者: 名夢子
15/46

告白

十五


 K女子高校の前まで走ると、さすがに息が切れた。倒れたせいなのか、目の中をちかちかと何かが飛んでいるようだ。さすがに女子校の前でうずくまるのは、まずいだろうと思い、少し先の駐車場のブロックの上に腰を下ろした。加代が追いかけてきて欲しいという気持ちがあったのは本当だ。さっきは加代のささやきを聞きたくないと思ったが、今は聞きたかった。そういう自分がなんて身勝手なのかと恥じた。それにしても夕方だというのに蒸し暑い。僕は自動販売機で缶コーラを買った。プルトップをひねって、一気に飲み始めた。そのとき、その缶を横取りされた。勢いで、口から茶色の液体が噴き出された。

「けけけけー。ざまぁみろー」

「かよ!」

 加代は僕の飲みかけの缶を一気に飲み干した。

「ぷはー」

「わいは、...」

 飲んだ分返せと、言いかけたとき、加代はつかつかと僕に近づいてきて、空いた缶を手渡した。束の間、加代のコーラでぬれた唇が、ぼくの唇に押し当てられていた。時が止まった、と思った瞬間、飛ぶように僕のそばから離れる。加代の、その大きな瞳がじっと僕の本質を見据えている。

「好き、ずっと好き。だから負けないからね。」

 そう言ったかと思うと、思い切り駈けだした。僕は体がすくんでしまっていた。軽やかに走る加代の姿を見ていると、思わず涙が頬を伝って、アスファルトに落ちた。長崎の夏の夕暮れは短い、暮れはじめたかと思うとあっというまに、夜の帳が降りる。加代の姿はもう、見えなくなっていた。


 アパートの部屋に帰ると、ポストに篠沢先生のお母様から手紙が届いていた。むっとする部屋の中に入ると同時に電灯を点け、窓を開け、風を部屋の中に導き入れる。着ていた制服を洗濯籠にいれようとして、あたりが片付いているのがわかった。机の上に、一枚の紙があった。見覚えのある文字が連なっている。加代のお母さんが、掃除をして、汚れた洗濯物を持って行き、かわりにきれいになった制服やら下着をベッドの上に丁寧にたたんでおいてくれたのだ。僕の両親が東京に引っ越したとき、後は任せてね、と僕の母にウィンクしていた加代のお母さん。ありがとう、お願いねという母。どちらにも感謝だ。

 そうそう、篠沢先生のお母様からの手紙。手に持ったままだ。丈夫な封筒で、のり付けもきちんとされているので開けづらい。思い切り引きちぎるようにして開けた。中には、印刷された文字が並んでいる。薄く印刷された百合の花が、寂しげだ。

 先生が亡くなった後、慌ただしく葬儀が行われたが、僕ら弟子は未成年でもあり、指示されたことをこなすだけで必死だった。僕の前の師匠で先生の友人である祐宗先生は、ご主人の転勤でロンドンに行ってしまっているので、すぐには飛んでこられるはずもなく、僕は、葬儀で祐宗先生と顔をあわせることがないというだけで、むしろほっとしていたくらいだ。

 文面には、亡くなった先生の仲間と集う会の開催のお知らせ、と書いてあった。場所は、大工町のコンベンションホールだ。行ってどうなる、と思う反面。誰が来るのだろう、とも気になる。その手紙を机の上に投げようとしたとき、くっついていた薄い紙が畳の上に落ちた。


「吉野様 是非、この会においでください。凉子が一番のお弟子さんと誇りに思っていたあなたの音楽を、もう一度凉子に聞かせてあげてください。よろしくお願いします。」


 僕は、おもわず膝の力が抜けてしまった。そして次の瞬間、バッハのトッカータ・ハ短調が頭の中を駆け巡った。ああ、これを弾かせてもらおう。そうだ、久保は、行くのだろうか。トッカータを頭の中で再生しながら、僕は久保の家に電話をした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 辻先輩のおかげで、いや加代もがんばってくれたおかげで、5人の新人男子が入部した。期待の大型新人が二人もいる。一人は、僕と同じアパート住まいで、時間が自由にきくという、対馬から来た宗猛君、そうもうおくんくん。君は名前の一部で、非常にややこしい。アグネス・チャンちゃん、といっているようなものだ。彼は子供の頃から野球が大好きで、ずっと続けてきたのに、辻先輩の色香に負けたのだ。

 もう一人が、柳井正。彼は、ピアノとバイオリンを習っていたそうだ。辻先輩や加代の勧誘の脇を抜けて、自ら僕のところに入部希望を出してくれた偉大な人物だ。入部希望の欄に「音痴を治したい」とあったが、そんなことはまったく気にならない。勝負は頭数だ。

 その後、バスケットボール部に有望な連中が入部希望を出し終わった頃に、どうしようかとまよっている2人を、なんと加代が引きずり込んだ。そして、辻先輩がどうやったかは不明だが、写真部から1人釣ってきた。

 せっかく5人をゲットしたのに、山崎部長はどこかにいなくなっていた。生徒会関係かもしれないな、と思い、僕はとにかく捕まえた5人の気が変わらぬうちに、合唱部のペースに引きずり込もうと、僕が入部したときのように、入部届を書いて貰ってから、それぞれの歌唱力のチェックをはじめた。

 ピアノの周りに黒い制服の新人男子5人、加えて僕と木田。これだけで、なんだか男声合唱ができそうな気がしてきた。最初に写真部に入ろうとしていた長髪の男子。目が辻先輩を捜しているのがよくわかる。はい、こっちむいて、声質をちょっと調べるからね。歌は上手下手ってないんだよ、と心にもないことが口からぺらぺらと出てくる。木田もうんうん、と僕の言うことにうなずいてくれている。

 Aの鍵盤をたたいて、この音をよく聴いて。そして、息を大きく吸って、自分の声で「アー」って長く、できるだけ長く出しながら、ピアノの音と同じになるように喉を調節してみて、はいっ。

 最初の男子は、もう僕の中で「写真」というあだ名が決まっていた。彼はなかなか良い声質だし、音程をとるのもうまい。将来有望だ。一つ高いE音。男子ではなかなかつらい音。でも写真なら出せそうな気がした。結果は上々、しゃくり上げ、後半は喉をきつく締め上げてしまっていたが、これは訓練すれば直る。

「君、上手だよ。素質十分。テナーね。おいと一緒や。」

 写真は、てへっと笑った。初めて人前で声を、歌う声をちゃんと出したらしい。聞いてみると他の新人も、中学時代、音楽の時間にちゃんと声を出したことがないらしい。特に柳井は、家でも歌わないそうだ。そういった柳井を、チェック。さんざんだった、音合わせが全くできない。一方喉は絞めずに解放しっぱなし。だから牛が呻いているのと同じような音なのだ。ほめるところが見つからないので、焦った。どうしよう。

「柳井、なかなかどうして、喉を締め付けないというのは、歌を歌う上では、とても大事なことばい。特に、俺たちは、クラシカルな声法やけんね。練習積めば必ず音痴は直るよ。」

と言いながら、木田の顔をみつめると、しかたがいないなぁ、という目で返事をしてくれた。

「柳井、バリトンね。木田先輩になんでも相談してくれ。」

 結果として、新人5人はバリトン3人テナー2人に分けられ、坊主頭の宗が、テナーの声色をもっているとは、正直驚いた。何しろ身長が185cmはあろうかという大男である。野球をやってきただけに体格も良く、野球での声出しで肺活量も十分だ。その彼が、繊細なテナーを響かせるのだ。掘り出し物だと、木田は思っただろう。

 そうこうしていると、山崎部長が戻ってきた。部長は5人の新人を見ると、一人一人に熱く両手で握手をしている、まるで政治家のようだ。

 そして遅れて、久保が音楽室にやってきた。久しぶりに目を合わせたような気がする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ