木田
十四
気がついたときは、保健室のベッド上だった。頭にぬれタオルが置いてある。鼻の奥がツンと痛む。黄色く明るい窓の外から、合唱部の基礎練習がきこえてきた。何時だろうと、壁を見回すと、小さな壁時計が5時を示していた。こんな時間か。部活に行かなきゃと、もぞもぞ起き出した。保健室を出て職員室に入っていくと、担任と保健の先生が話をしていた。おそらく僕の事だろう。担任は僕の顔を見ると、
「おお、どうや。気分は。」
「はい、なんとか。大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
「よかよか。なんちゃなかとや」
「ええ、ちょっと色々ありまして」
「ああ、聞いちょるよ。自分の師匠を失うのは、きつかことばい。お前は、よう耐えとる。えらかぞ」
担任から褒められたのは初めてだ。僕はほっとして少し涙がにじんだ。その後保健の先生と事務的な手続きをして、明日学校指定の医師に診てもらってから学校に来ることを約束させられた。
「先生、実家には」
「まだ、連絡しとらんと。ちょうどその相談ばしよったと。連絡してやろうか。」
「いや、いいです。自分で明日、電話します。」
「わかった、気をつけて帰れ。あ、そうそう、部活は今日休みにしろ。井沼先生には言っておいたけんね。」
そうか、今日は休んで良いんだ。担任と保険の先生に礼を言い、学校を出た。僕の後ろの方に、合唱部の女声パートが音階を登ったり降りたりしているのが聞こえてきた。裏門前の坂を下り、浦上川に面した道を歩いて行く。すると、後ろからいきなり、背中をはたかれた。おもわずよろけそうになる。
「こらぁ、さぼりー」
「加代、なんばすっとや。びっくりしたろうもん」
「そうか、びっくりしたか。よしよし。」
よしよし、じゃないよ、まったく、と思いため息をついた。加代が肩もみをしてくる。今日はやけになれなれしい。
「なんばしよっとね。気持悪かぞ、」
「女子高生が肩もみしてやとっとぞ、おとなしゅうせんかぁ」
「部活は?」
「抜けてきた。ちょうど、カズちゃんの裏門ばぁ、出るところが見えたけん。木田君が心配しよったよ。」
「そうか。」
1年生男子はバリトンの木田とテナー僕しかいない。さぞや心細かろう。
「あのね、」
僕の肩をもんでいた手をとめると、加代は僕の耳にそっとささやく。でも僕はそのあとの言葉を聞かないように、加代の手を振り払って、
「くすぐったか、」
逃げた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日は入学式。管弦楽部が、すべての音楽をコントロールする。合唱部がその存在をアピールできるのは、国歌斉唱、校歌斉唱、歓迎の唄、この三回しかない。男性パートがさすがに2人では、恥ずかしいのでギター部の応援を借り、なんとか10人となり形だけはなんとかなった。この借りは、文化祭あたりで返さねばならない。
僕の高校では、生徒会から割り当てられる活動費は部員の頭数で決まる。したがって、バスケットボール部などインターハイ常連組の部は、入部希望者は多い。管弦楽部も県内の経験者がやってくるため、こちらも毎年80名ぐらいの大所帯だ。ひとえに荒木先生という指導者のおかげで、うちの高校の管弦楽の火を消さないために、顧問としてがんばっておられる。
入学式後の部活説明会では、山崎先輩の熱弁が、大きく空回りをしていた。これでは、音大志望者は別としても、男子の獲得は難しい。あんな熱い先輩がいては、未経験者が集まるとは思えない。そこで、僕と木田は、野球部に目をつけた。ここ数年衰退の激しい野球部は、今や休部寸前なのだ。あと1人入らなければ、試合に出られない。だから、奴らはたった1人の獲得に必死になるはず、ひとり押し込んで、残りをいただこうという方針を立てた。そのための作戦はというと、市内一の美人女子高生と謳われるソプラノ辻先輩に勧誘を手伝ってもらうのだ。別の噂では、辻先輩が合唱部に入ったので、秀才山崎先輩も一緒についてきたという。十分辻先輩だけでいけると僕は言うのだが、木田は松尾加代にも手伝ってもらおうと言うのだ。確かに、加代は背中まであるストレートの長い黒髪に大きなクリッとした目で、声も高すぎず、低すぎず、スマートでもあり、ファンクラブがあるという話も聞く。もしかして、木田お前もか。
「わいが、思うとることとは違うけん。一口でも言うたら、こ、ろ、す。」
そんな、美しいバリトンで怒らないでくれ。笑いが、喉まででてきた。ぶっと吹いたら、木田のげんこつが脳天に落ちてきた。そうか、加代のこと好きか。




