7.マナミ:ヴァルミレーンの王女
私たちはケイの家までの道を歩いた。あの距離を戻ることを考えると、頭がくらくらした。
陽射しが頭上から容赦なく降り注いだ。乾いた風が吹くたび、黄金色の穂が波のように揺れた。しかし、その風は涼しさを運んではくれない。むしろ熱気をかき混ぜ、体力をじわじわと削っていった。
男はポールと名乗った。ポールの国はエリュセア公国でも、ヴァルミレーン王国でもない。両国の戦争に直接の関係はないのだが、戦闘が激化するとポールの国も巻き込まれる。一方が勝利すれば、ポールの国が次の標的になるかもしれない。ポールは、エリュセア公国とヴァルミレーン王国が今のパワーバランスのまま和解することを望んでいた。
「本人じゃないかもしれない。それでもいいの?」
「もちろんだよ。たとえ別人だとしても、何もしないよりはいい」
仮にケイが王女だとしても、ヴァルミレーン王国には戻らないだろう。何らかの事情があるからエリュセア公国にいるはずだから。
「難しい顔をしてどうしたの?」
ポールが私を覗き込んだ。グレーの綺麗な目だった。
目を逸らして「顔が近い」と手を払ったら、「ごめん」とポールは頭をかいた。
「ケイがあそこにいるのは、何か事情があるんじゃないかな」
「たとえば?」
「好きな人とひっそり暮らしたい……とか?」
「駆け落ちね。じゃあ、僕は愛し合う二人を引き裂く悪い魔女だね」
「そうかもね」
私はどちらの味方になるべきだろう? ケイか、この世界か。
ポールはヨシハルの魔法の師匠になった。この世界には魔法――といっても火を出したりするのではなく気功に近い――があるらしい。身体に流れるエネルギーを効率よく使ったり、自然のエネルギーを利用したりする。魔法で身体を強化すれば、素手で岩が割れるらしい。
ポールから魔法の使い方を教えてもらったヨシハルは、拾った石を叩いていた。魔法を三日間で習得できるとは思えない。この世界に残って魔法の修行する、とヨシハルが言い出すことを私は恐れていた。
日が暮れ始めた頃、ケイの家が見えた。灯りが付いていた。
今日は朝から歩き詰め。疲れた。
「こんばんは」
扉をノックすると、「あらどうしたの?」とケイが苦笑いした。
元の世界に戻ると別れたばかりなのに……気まずい空気が流れた。
「扉が不安定だったから戻ってきたの。三日後に安定するようだから、それまで待つことにした。それと、話があるの」
愛想笑いを浮かべて、ケイにポールを紹介した。
ポールがポケットから王女の写真を取り出したら、ケイの表情が歪んだ。
「ケイ、大丈夫?」
私が呼びかけると、ケイは視線を逸らした。
ケイは何かを言おうとしたけれど、言葉に詰まって口をパクパクさせた。
肯定でも否定でもない、その沈黙はケイが王女である証拠だった。
「私はあなたの味方。ケイはどうしたいの? 教えてほしい」
真っすぐにケイを見つめると、ケイは体を硬くしたまま目を逸らした。
「ねえ、一人で悩まずに、私に話してほしい」
手を握ると、ケイは深く息を吸ってから、吐き出した。
「私には娘がいると話したでしょ。私が王女だと名乗り出ると……娘が」
言葉を詰まらせながらも、ケイは続けた。私たちはゆっくりと時間を掛けて、ケイの話を聞いた。
ケイはヴァルミレーン王国での王位継承争いに巻き込まれ、護衛の男とエリュセア公国に逃げてきた。エリュセア公国で暮らし始めた翌年、護衛の男との間に娘が生まれた。そして、娘が三歳になったころ、ヴァルミレーン王国の兵士がやってきた。ヴァルミレーン王国に戻ると娘の命はない、と警告して兵士は娘を連れ去った。今から二年前のことだ。
「王女が殺されたとヴァルミレーン王国が公表したのが、二年前だったよね?」
私の問いにポールが静かに頷いた。
偽装されたケイの死は、ヴァルミレーン王国がエリュセア公国に侵攻する口実に利用された。娘を救い出さないと、ケイは王女だと名乗り出られない。戦争は終わらない。
「あなたの娘はどこに?」
「わからない。夫はヴァルミレーン王国をくまなく探している。でも、手掛かりが何一つつかめない。もう、娘はこの世にはいないのかもしれない……うぅぅぅ」
嗚咽するケイを抱きしめた。二年間も娘に会えずに辛かったろう。
「大丈夫だよ。生きているよ」
人質は生きていないと意味がない。人質を殺したら、ケイをエリュセア公国に留めておくことができない。
背中をさすりながら待っていると、ケイは落ち着きを取り戻した。
「あの、あなたの娘が使っていた物はありますか?」
不意にポールが尋ねた。
「このぬいぐるみは、娘のお気に入りでした」
ケイは棚に置いてある犬のぬいぐるみを指した。「触っても?」とポールが確認したら、ケイは頷いた。
ポールはぬいぐるみに顔を近づけた。
「何をしているの?」
「匂いを確認しているんだよ」
「匂い?」
「僕の嗅覚は優れているからね。匂いをたどれるはずだ」
思わず、目を細めた。
異世界人のポールの嗅覚が優れていたとしても、ケイの娘が連れ去られたのは二年前。道に付いた匂いは、とうの昔に雨に流されている。匂いを辿って、ケイの娘を発見できるわけがない。
「お願いします!」
藁にすがるように、ケイはポールに頭を下げた。
ぬいぐるみの匂いを嗅ぐポール。その様子を真剣に見つめるケイ。ヨシハルは目を輝かせていた。カオスな光景だった。
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