5.マナミ:ビートルズ
“カシャ”
ケイとヨシハルと私は、浮かぶ城を背景に写真を撮った。異世界の記念写真。いい思い出になるだろう。
「親切にしてくれて、ありがとう」
すっかり打ち解けたケイに感謝を伝えて家を出た。
麦畑に囲まれた静かな家。夜は虫の鳴き声が聞こえた。異世界なのに、心も体もリフレッシュできた。自分でも知らなかったけれど、どうやら私は環境適応力が高いらしい。
ヨシハルはもっとケイと話していたそうだったけれど、ここは私たちの世界ではない。それに、私にはヨシハルを連れ帰る責任がある。
「いくよ」
ヨシハルの手を引いて、来た道を引き返した。ヨシハルはしばらく下を向いて歩いていた。そのうち、道に落ちていた棒を拾い、草を払いながら歩き始めた。
ヨシハルは歌っていた。聞き覚えのある曲のような気がした。
「それ、誰の歌?」
「知らないの? ビートルズだよ」
ビートルズはもちろん知っていた。父が大好きだ。
ただ、ヨシハルのメロディーが間違っていて、別の曲に聞こえた。
「ねえ、大きくなったら何になりたい?」
「ビートルズ!」
「何か楽器できるの?」
「ギター。まだ、練習中だけどね」
ビートルズは1970年に解散した。加入はできないけれど、ギターの練習を続ければ、ヨシハルは有名なミュージシャンになれるかもしれない。
「私はピアノ弾けるよ。帰ったら、一緒に演奏しない?」
「いいよ。でも、足、引っ張んなよ!」
「そっちこそ」
ヨシハルが「レディッビー」と棒を振り回すのに続いて、私も「レディッビー」と腕を振り回した。
「二回目のレディッビーは、上がるんだよ。レディッビー……こんな風に」
「レディッビー。こう?」
「ちょっと違うかな。レディッビー レディッビー。こんな感じ」
「レディッビー レディッビー」
「ヨシハルのギターボーカルは難しそうだね。演奏するときは、私がピアノボーカルをするよ」
レディッビーを三十回以上歌った。どれだけ歩いても、金色の草原が続いた。扉を通り過ぎたのでは、と不安になったけれど、とにかく歩いた。前へ。
空を見上げると、陽が高くにあった。そろそろ昼だ。
ふと視線を前に移すと、扉の側に斧を持った男が立っていた。
斧で壊そうとしている?
扉がなければ、元の世界に戻れない。ヨシハルの腕を引いて走った。
「ちょっと待って!」
男に聞こえるように、何度も叫んだ。
「何か?」
振り返った男に駆け寄った。
はあ、はあ、はあ。息が苦しい。呼吸を整えながら、愛想笑いを浮かべた。
「その扉……私の扉です。壊さないでください」
「君の扉?」
男は目を細めた。何の感情もなく、ただ、私を見ていた。
正確には私の扉じゃないけれど、私が通ってきた扉というか……それはどっちでもいい。とにかく、扉の破壊をやめさせなければ。
「ええ、この扉がないと帰れないんです」
「今は使わないほうがいいですよ」
男は扉の表面を触っていた。
「使わないほうがいい?」
「この扉はどこかに通じているのでしょう。ただ、本来の目的地と別の場所に通じてしまうかもしれません」
「元の世界に帰れないってこと?」
男は「うーん」と唸りながら、扉に触れた。
「帰れるかもしれないし、帰れないかもしれない」
「五分五分?」
「いや、七割。七割の確率で戻れます。三割の確率で別の場所につながります。そこが、安全な場所ならいいのですが」
七割の確率で帰れるのなら、試す価値はある。一人ならともかく、ヨシハルを危険にさらすのが悩ましいのだが。
「扉には周期があるはずです。安定するまで待ったらどうですか?」
「周期ですか?」
「いつ、ここに来ましたか?」
「昨日です」
「あなたたちが来たときは、安定していたとすると……三日。三日後には安定するはずです」
「どうする?」と耳打ちしたら、「どっちでもいいよ」とヨシハルは興味がなさそうだ。
確実に帰れるのなら、三日間待ったほうがいい。
ヨシハルの父親は心配しているかもしれないけれど、昨日はケイの家に泊まったのだから、今さら急ぐ必要はない。職員としては、ヨシハルを確実に連れ帰ることを優先すべきだろう。
「三日後にします。ありがとうございます」
「それなら、この扉は隠しておきましょう」
男はポケットから布を出すと扉にかけた。しばらくすると、布は透明に変わっていき、扉が見えなくなった。
「扉が消えた?」
「これは特殊な布で、光を屈折します。人に見えるのは布ではなく、後ろの背景です。だから、透明に見えます」
この世界の文明レベルは低いと考えていたが、そうではなかった。発展した分野が違うのだ。
「ありがとうございます。なんとお礼すればいいか」
「お気遣いなく。あっ、僕は人を探しているんです。この人を知りませんか?」
男が取り出したのは、女性を描いた絵だった。
「これって……ケイ?」
ヨシハルも絵を見て「そっくりだね」と目を丸くした。
「この人ですか?」
スマートフォンを取り出し、ケイと撮った画像を選択した。男はスマートフォンに触るのを躊躇しつつも、絵と画像を見比べた。
「とても似ています。本人か確認したいので、案内してもらえませんか」
男は悪い人ではなさそうだけれど、ケイには一宿一飯の恩がある。ケイに迷惑がかかることに協力はできない。
「どういう理由で探しているかを教えてください」
男は「わかりました」と首をすくめた。
二年前、ヴァルミレーン王国の王女がエリュセア公国の兵士に殺された。ヴァルミレーン王国は唯一神を信仰する宗教国家。エリュセア公国は多神教を信仰しており、元々両国の折り合いは悪かった。ヴァルミレーン王国は王女殺害の報復のため、エリュセア公国に侵攻した。それ以降、両国の戦争は続いている。
男が調査したところ、王女の墓には死体が埋葬されていなかった。王女の死は、エリュセア公国への侵攻を正当化するためにヴァルミレーン王国が捏造した、と男は考えていた。
王女はどこかで生きていると考え、男はエリュセア公国を調べていた。もし、ケイが王女であれば、戦争を止められる。
「事情はわかりました。案内します」




