21.マナミ:ピアノの練習
地図アプリが「目的地に到着しました」と告げた。
ベージュの二階建ての家が三件、整然と並んでいた。計画された統一感。通りの家はどれも同じデザイン、同じ色。模型の街に迷い込んだように錯覚した。
手紙の宛先には子供の字で「きのした」、表札には漢字で「空」と書かれていた。住所は合っていた。この家でいいのだろうか?
自信がなかったから、スマートフォンで検索した。「空」は「きのした」と読むらしい。日本で数件しかないレアな名字だ。
車を降りて、玄関へ歩いていくと、靴のかかとがコンクリートに響いた。バッグの中に入れた封筒を確認し、インターフォンを押した。
“ピンポーン”
『はーい』
女性の声がした。若い声だった。
インターフォン越しに、私は息子からの手紙を預かっていると説明した。女性の反応は薄かった。亡くなった息子からの手紙を持ってきた私を、カルト宗教の勧誘だと疑っているようだった。
「手紙をお渡しするだけです。すぐに帰ります」と交渉を続けて、なんとか女性を説得した。
インターフォンの前で数分待つと、中から女性が出てきた。
目を細めた女性は、明らかに私を警戒していた。
信じるか信じないかは、息子からの手紙を読んでから判断してもらえればいい。
「こちらです」と手紙を渡した。
立ち去ろうとしたら、「あの」と女性が言った。
「なにか?」
「息子の字です。これをどこで?」
先ほどまでの表情とは一変して、女性の目は輝いていた。
「この世ではない場所で」と手紙を受取った状況を女性に説明した。
「息子さんは虎好きだったんですね」
「どうしてそれを?」
「自作の帽子を被っていました。あちらではあの帽子は売っていません。だから、白い帽子に黄色と黒を塗ったらしいです」
女性は「ふふっ」と笑った。
「立ち話もなんですから、中にどうぞ」
女性は家の中に案内した。
居間を通り越して、小さな部屋に入った。室内は静かだった。白い壁の前にアップライトピアノ、その上には写真が置いてあった。笑顔の男の子が、校門前で母親と写っていた。
「あの子にまんまと騙されていたみたいです」
そういうと、女性は苦笑いした。
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ピアノには子供の脳の発達を促進し、集中力や記憶力を向上させる効果がある――女性はママ友からの勧めで、息子をピアノ教室に通わせることにした。
練習のためにピアノが要る。講師の勧めでアップライトピアノを買った。アップライトピアノは電子ピアノのように音量調節ができない。音が外に漏れないように、防音工事も施した。大きな出費だった。
ピアノ教室に通い始めた最初こそ息子は真剣に練習していたが、次第に飽きてしまい、「サッカークラブに入りたい」と言い出した。アップライトピアノを買ったし、防音工事もした。息子がピアノ教室を辞めると、これまでの投資が無駄になる。だから、女性は息子をピアノ教室に通わせる方法を考えた。
週に1時間以上練習して、ピアノ教室に通うこと。約束を守れば、サッカークラブに入ってもいい。息子は女性の提案に同意した。
息子は母親の意図を汲んだように、ピアノ教室の前に1時間だけ練習した。
母親がリビングにいると、防音室からピアノの音色が聞こえた。
毎回、同じ個所を間違える息子。なかなか上達しなかった。それでも良かった。
ピアノが上手くならなくても、ピアノを続ければ、息子の脳の発達を促進できるから。そうすれば、投資は無駄にならない。女性はそう信じていた。
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「週に1時間だけなら、ちゃんと練習すると思ったんです」
女性は苦笑いしていた。手紙に何と書いてあったのだろうか?
「ここ、見てもらえますか」
女性は手紙の最後の箇所を指差した。
『ろく音したピアノの音をながして、ごめんなさい』
息子はスマートフォンの操作に長けていた。
動画再生サイトの楽曲は演奏が上手すぎる。だから、息子はピアノを一度だけ弾いて、その音源をスマートフォンに録音することにした。それから1時間、息子は録音したピアノの音源をスマートフォンから再生した。女性が聞いていたのは、息子がスマートフォンに録音した音源だった。
どうりで、同じ個所を間違えるわけだ。
「息子さん、頭が良かったんですね」
「その頭の良さを、別のことに使ってくれれば良かったんですけど」
女性はアップライトピアノの上の写真を睨みつけた。
怒った素振りをしながらも、その声は弾んでいた。




