22.ポール・ヨシハル:なんくるないさ
ヨシハルはハンナと演奏できたのが嬉しかったのか、ポールに二人の写真を撮るように要求した。ポールを入れた三人の写真を撮るつもりはないらしい。
ポールは長いため息をついた。
ピアノに座るハンナ、ギターを持つヨシハルに、スマートフォンのカメラを向けた。ハンナに焦点を合わせるとヨシハルがぼやける。ピンボケの写真を撮ろうかと思ったけれど、さすがに大人気ない。ポールは二人に焦点が合うように、数歩後退してカメラを構えた。
“カシャ”
ポールが撮影した写真を確認したヨシハルの頬がゆるんだ。気に入ったようだ。
「そういえば、ポールに教えてもらった魔法の使い方、マスターできたんだ」
「へー、すごいね。習得にどれくらい掛かった?」
「三十年かな。あまり使い道はないけど」
「平和な世界では必要ないね。熊は倒せそう?」
「倒せる。ユキに言っても信じてもらえなかったけど」
ヨシハルは声を弾ませた。その表情は十歳の少年のままだった。
「ところで、ユキはどこに行ったの?」
ハンナとユキを接触させてはいけない。それは分っていたけれど、ポールは一目だけでもユキを見たかった。
「犬好きの女性に会う、って言ってたな。住所はわかるから、案内しようか?」
「それはいいよ。地図を描いてくれるとありがたい」
ヨシハルからもらった地図を頼りに、ユキの訪問先へ急いだ。
訪問先に近づくにつれて、早足になった。心臓の鼓動が速くなった。
ユキの訪問先は家から少し離れていたけれど、すぐにわかった。玄関先で白髪の女性とユキは話していた。
ポールは、ユキが死者の手紙を配達するボランティアをしていたのを思い出した。たしか、女性の夫からのメッセージをユキは運んだはずだ。
ユキは楽しそうに女性と話していた。二百年ぶりに見たユキ。涙が溢れ、前が見えなくなった。
話しかけたかった。でも、ハンナと接触させるわけにはいかなかった。
「たしかに、私に似てるね。あっ、また泣いてる?」
ハンナは右の口角だけを上げてポールを見た。ポールは「ぜんぜん」と上を向いた。
『猫アレルギーは聞いたことがありますけど、犬アレルギーですか?』
ユキが笑っていた。もっとよく見える場所へ行きたい。庭の木の後ろに回り込んだ。
“ヴーゥ ガルルルルル”
もう一歩近づこうとしたら、犬が吠えた。
ハンナをユキに会わせるわけにいかない。
ポールはゆっくりと後ずさりし、女性の家から離れた。
ユキと話せなかった。けれど、一目だけでも元気な姿を見られた。
ユキの姿を思い浮かべると、視界が滲んだ。
ポールはハンナに気づかれないように、上を向いた。
「何か思い出した?」
「ぜんぜん」
苦笑いするハンナが愛おしかった。
ハンナはユキの記憶が戻らない。それでもポールは、ユキが約束を守ってくれたことが嬉しかった。
「なんくるないさ」
「何か言った?」
「別に」
ポールはハンナの手を取った。
ハンナはハンナ。ハンナはユキじゃない。また、目の前がぼやけた。
「また泣いてる?」
ポールは苦笑いした。涙腺が緩くなったのは、加齢のせいだろうか。
**
「レディッビー レディッビー」
真南義治はソファーにかけて、いつもの曲を口ずさんだ。
「ちょっと行ってくる」と言い残して、ユキは出ていった。ポールのところだ。しばらく帰ってこない。あと何度会えるだろうか?
義治はアップライトピアノの上の写真を見た。
ピアノの前に座ったユキの横に、ギターを持った義治がいた。
「一緒に演奏しない?」浮かぶ城のある世界での約束がかなった。
二人の写真の隣に、ハンナと撮った写真が置いてある。生まれ変わったユキは、ポールと一緒だった。それがユキの望んだことだ。
すべて受け入れ、そして、笑顔で送り出そう。それが父の役目だ。
なんくるないさ(Let it be)
-了-
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