20.ポール:ヨシハル
陽が差し込む静かな住宅街に、その家は建っていた。白い壁に黒い瓦屋根の家だった。手入れの行き届いた庭には、花が咲いていた。
「真南」と書かれた銀色のプレートが、門の脇に掛けられていた。ここがユキの暮らしていた場所だ。
「うちに何か?」
家の人にどう説明しようかと迷っていたら、ポールは白髪の男に声を掛けられた。その男は、ハンナをじっと見つめていた。
「あの、ここはユキが暮らしていた場所ですか?」
「そうだが……君は……ポールか?」
「ええ、そうです。あなたは?」
男はポールのことを知っていた。だが、ポールは男が誰なのか思い出せなかった。
「さすがに思い出せないか……五十年も前だからな。僕だ、ヨシハルだ」と男は頭をかいた。
ポールの記憶の中のヨシハルは十歳の少年。とても、目の前の白髪の男が同一人物だとは判別できなかった。
「あの時の少年が、まさかこんな……」
「オジサン、と言おうとした?」
言葉に詰まったポールは頭をかいた。「まあ、そうだよな」と、ヨシハルは照れたように頷いた。
「とにかく、入ってくれ」
ヨシハルは二人を中に案内した。
西日が差し込むリビングの窓から、風に揺れる庭の花が見えた。部屋の隅にはアップライトピアノが置かれていた。黒い光沢のあるボディには、小さな傷や擦れがある。天板には写真が飾ってあった。
「ピアノを弾いているのがユキだね。隣にいるのは?」
ポールはユキの隣でギターを弾く成人男性を指差した。
「僕だよ。説明が難しいのだが……ユキは私の子だ」
あの時、ヨシハルは十歳の少年で、ユキは三十歳だった。ユキがヨシハルの子のはずがない。
「どういうこと?」
混乱するポールにヨシハルは説明した。
ヨシハルが通った扉は五十年後の未来に繋がっていた。そこで三十歳のユキに会った。ヨシハルは、ユキとともにポールが住む世界に行った。
「時空の歪が関係しているのだと思う。君の世界の扉は、この時代の白い像につながっている。五十年前の私が通った扉は、この時代の別の場所につながっていた」
ヨシハルと別れてから五十年後にユキが亡くなった。二百五十年が経ったのに、ポールがやってきたのはユキが三十歳の世界。つまり、入口は複数あるけれど、出口はユキが三十歳の世界につながっている。
「そうすると……ユキはここにいるのかい?」
「いるよ。会うかい?」
ポールはユキを一目見たかった。会いたい。二百年間、ずっとこの日を待っていた。ポールの目には、涙の粒がこぼれそうに溜まっていた。
「会いたいけど……」
「何か問題でも?」
ポールは口元を引き締めてから、ハンナに視線を移した。
「彼女はハンナ。ヨシハルなら、ハンナが何者かわかるよね?」
ヨシハルはこめかみに手を当ててから、言葉を発した。
「子供のころのユキにそっくりだ。ユキの娘か?」
「残念、娘じゃない。僕の世界のユキは二百年前に亡くなった」
「とすると、ユキの生まれ変わりだな」
「正解だ。ここで問題が発生する。生まれ変わっても、魂は一つ。同じ魂が同じ時代、同じ場所に存在できるかどうか……」
引きつった笑みを浮かべるポールを見かねたヨシハルは、スマートフォンを取り出した。
「一つ確かなことがある。同じ魂は同じ時代に存在できる。今しがたユキに送ったメッセージの返信がきた。君たちに会った後だ。つまり、ハンナとユキは同じ時代に存在している」
「それはよかった」とポールは胸をなでおろした。
「でも、ハンナとユキが接触するのは避けたほうがいいね」
タイムリープした人が過去の自分に会うと対消滅する、そんな理論を聞いたことがあった。ポールはハンナにもユキにも消えてほしくなかった。
ユキに会うのは後で考えることにして、ポールはヨシハルにこの世界にきた経緯を説明することにした。
「記憶を戻す方法ね……そういえば、ピアノは弾けるかい?」
「弾けるよ」
ハンナが弾むように答えると、ヨシハルはアップライトピアノの上の楽譜を取った。
「これは弾ける?」
「大丈夫だよ」
頬が赤らんだハンナを確認して、ヨシハルは隣の部屋からアコースティックギターを持ってきた。
「一緒に演奏しないか?」
「いいよ」
ハンナはアップライトピアノの鍵盤蓋を開けると、譜面を台に置いた。椅子の高さを調整し、指を鍵盤の上に置いて、小さく息を吸った。細い指がわずかに震えた。
ヨシハルが目で合図すると、ピアノの音色が部屋に広がった。静かなイントロ、ヨシハルのアコースティックギターもメロディーを奏でた。
「レディッビー レディッビー」
ポールが何度も聞いた懐かしい歌。大人になったヨシハルの歌声は新鮮だった。ただ、五十年経っても、あいかわらず二回目のレディッビーの音程がずれていた。
ときどき指が迷い、ハンナのリズムが崩れた。その度にヨシハルがサポートした。ギターに導かれるように、ハンナの指も滑らかさを取り戻した。
そのぎこちなく、不完全な音色がポールには愛おしかった。
「泣いてる?」
ハンナの声がした。演奏が終わったようだ。
「違うよ。ハンナが上手く弾けるか心配で、汗をかいたんだよ」
ポールは窓から外に揺れる木を見ながら気分を落ち着けた。
「何か思い出した?」
「どうだろ? 特に……何も」
苦笑いするハンナの表情は、ユキと同じだった。ユキの口癖を思い出した。
「なんくるないさ」
「何か言った?」
「別に……何も」
ポールが首をすくめると、ヨシハルが声を上げて笑った。
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