17.マナミ:別れ
ケイの娘を救出した私たちは、元の世界に戻ることにした。
ケイの家から扉を目指して長い道を歩いていた。もう何度目か分からない。
照りつける朝の陽射しが、小麦畑を白く光らせた。風が吹くたび、黄金色の穂が波のようにうねった。踏み固められた細い畦道が、遥か先へと続いていた。
「レディッビー レディッビー」
ヨシハルはビートルズを歌っていた。相変わらず、二つ目のレディッビーの音を外すのが気になったけれど、指摘するのをやめた。何度注意しても直らないし、ヨシハルの外れた歌を聞くのに慣れてしまった。
「お母さんのことで、何か覚えていることはない?」
少し間が空いてから、ヨシハルが振り返った。私の質問に戸惑っているようだった。
「わからないよ。覚えてない」
ヨシハルが三歳のときに母は亡くなった。ヨシハルは母を写真でしか知らなかった。
「ケイとはいろいろ話せた?」
「話したよ。どうして?」
「いいことを教えてあげる。ケイはヨシハルのお母さんだよ」
ヨシハルは口をぽかんと開けた。理解が追い付かない。「えっ?」とヨシハルは苦笑いした。
「実はね、この世界は死者が転生する世界なんだ。ケイの娘が囚われていた町で、二十年前に死んだ私の母に会った。二年前に死んだ叔父を見かけた。死んだ政治家もいたよ」
「本当に?」
「うん。ケイは転生のときに記憶をなくしたから、ヨシハルのことを覚えていない。だけど、ヨシハルのお母さんだよ」
「そっか」とヨシハルは手に持った棒で草を払った。
「ヨシハルがパビリオンの前で見たお母さんは、本物だったね。私とポールがいない間、ケイと何してたの?」
「ビートルズを一緒に歌った」
「レディッビー?」
「そうだよ」
その声は弾んでいた。
ヨシハルには母の記憶がなかったけれど、母との思い出を作れた。この世界に来れてよかった。
空には雲ひとつなかった。真昼に近づいた太陽が、容赦なく熱を落としてきた。足元の土は乾き切ってひび割れ、踏むたびに白い砂埃が舞った。
「こんなに遠かった?」
ヨシハルの愚痴に「もう少しだよ」と答えた。もう少しではないかもしれないけれど、そう言うしかなかった。
「おーい!」
草原の向こうから私たちを呼ぶ声が聞こえた。陽炎の向こうに人影が見えた。
ポールは扉の隣に立っていた。元の世界に帰る私たちを、見送りに来てくれたのだ。
「来てくれてありがとう」
「君は戦争を終わらせた英雄だ。見送りくらいさせてくれ」
ポールはいつもと変わらないキラキラした笑顔を向けてきた。ただ、その目には光るものが見えた。
「ねえ、泣いてるの?」
「違う。目にゴミが入っただけ」
「私が帰ったら寂しい?」
ポールは頭をかきながら、「まあね」と漏らした。
「じゃあ、戻ってくる。それまで、これを預かっていて」
指輪を外してポールに渡した。
「これは?」
「大事なもの。正確には、大事なものだった……かな」
「どうして?」
「母の形見なんだ。昨日会ったから、その価値は半減したけどね」
ポールがぎこちなく笑った。この笑顔をずっと見ていたい。
私の唇をポールに重ねると、小麦が風に吹かれて静かに揺れていた。
「じゃあ、行ってくる」
私は扉のノブを力強く引っ張った。
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