15.マナミ:母との再会
薄いカーテンの向こうから、朝の光が静かに差し込んでいた。
ソファーの上で身じろぎをし、ゆっくりと目を開けた。肩には毛布が半分だけ掛かっていた。
重たい瞼をこすりながら身体を起こした。首筋に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。慣れない姿勢で眠ったせいだろう。
ポールを探したら、壁にもたれてウトウトしていた。
昨夜、ポールと交代で仮眠を取るつもりが、そのまま眠り込んでしまったようだ。申し訳ないことをした。
ポールを起こさないように、ゆっくりと立ち上がると、兵士を監禁した部屋を覗いた。手足を縛られたままの体勢で、兵士はぐっすり眠っていた。あの体勢で寝たら、どれだけの痛みに襲われるのか……想像するのも恐ろしかった。
部屋に戻ると、ポールはまだ眠っていた。
規則正しい寝息を立てながら、起きる気配がなかった。私は壁にもたれて、その寝顔をじっと見つめた。
そっと指先でポールの前髪をつついた。反応はなかった。
頬を軽く指で押してみた。ぷにっと形が崩れたけれど、ポールは眉を動かしただけで、また静かな寝息に戻っていった。
人差し指でポールの鼻先を軽くつついた。
「んっ?」
ポールがうっすら目を開けた。焦点の合わない視線のまま、私を見上げて数秒止まり、「あと五分……」と呟いた。
その情けない声に、苦笑いした。このセリフも世界共通だった。
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娘は私たちがケイのもとに連れ帰ることになった。
両親に危害が及ばないよう避難させる、とケイの夫は言い残して、ヴァルミレーン王国に旅立った。きっと、ケイに会うのが気まずくて逃げたのだ。
ケイが生きていることを教えたら、娘は目を輝かせていた。
ポールとは後で落ち合うことにして、私は娘とレストランで朝食をとることにした。通りを歩いていたら、曲がり角から出てきた女性とぶつかった。
「すいません」
目線を上げると、懐かしい顔があった。二十年以上経っていたけど、忘れるはずがなかった。
「母さん?」
「えっ、ユキ?」
二十年ぶりの母の外見は、当時と変わっていなかった。母は目をぱちぱちさせながら、私を上から下までじろじろ見た。
「目が似ているような……違うような」
母は、二十年の変化を脳内でシミュレーションし、私が自分の子供なのかを探った。けれど、すぐに諦めた。さすがに、十歳と三十歳では、外見が変わり過ぎていた。
「今日も作業着なんだね」
「まあね。この服装、気に入っているのかも」
「授業参観のときは、酷いこと言ってごめん」
「いいよ。気にしてないから」
「本当に?」と何度も確認したけれど、「反抗期はそんなものでしょ」と母は特に気にしていなかった。
「あの時は現場のことで頭がいっぱいだった。近隣住民とトラブルがあって、ぼーっと歩いていたら、落ちてきた足場に気付くのが遅れた。運が悪かったんだろうね」
二十年間、私は罪の意識に苛まれてきた。ずっと謝りたかったけれど、母の反応は拍子抜けだった。
「そういえば、私もユキに謝らないといけないことがある」
「私に?」
「父さんには内緒なんだけど」と母は苦笑いした。
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子供のころの私には、密かな楽しみがあった。十二個入りのチョコレートを冷蔵庫に隠しておいて、毎日一つずつ食べることだった。
ある日、冷蔵庫のチョコレートが減っているような気がした。勘違いだったかもしれない。でも、私は疑り深い子供だった。
その日からチョコレートの個数を紙に記録した。
翌週の土曜日の夕方、チョコレートが一個少なかった。父は甘い物を食べないから、犯人は母に違いない。
「私のチョコレート食べた?」
「食べてない」
母の返答は素っ気なかった。母は嘘をつくとき、回りくどい言い訳をする。その言い訳がなかった。
母が犯人ではないのか? 謎が深まった。
次の週の土曜日の夕方、冷蔵庫を確認したらチョコレートが一個足りなかった。
犯行は週一回。金曜日の夕方から土曜日の夕方までの間に起こった。
「私のチョコレート食べた?」
「だから、食べてないって」
母はまた犯行を否定した。
そして翌日、私が冷蔵庫を開けると、封の開いたチョコレートの横に新品の箱が置いてあった。
=====
「……犯人は父さん」
母が頭をかいた。父は甘い物を食べないから、被疑者には入れていなかった。
「父さん?」
「そう。父さんが毎週土曜日にカレーを作っていたの、覚えてない?」
そういえば、父がカレー作りに凝っていた時期があった。そのときは、毎週土曜日のお昼がカレーだった。
「思い出した」
「チョコレートを入れたらスパイスカレーが美味しくなる、って洋食屋の主人に聞いたんだ。それで、冷蔵庫のチョコレートを拝借したらしいよ」
父はチョコレートをカレーの隠し味に使った。
台所で調理する父が冷蔵庫からチョコレートを取り出すのを見て「それユキのチョコ」と母が教えた。申し訳ないと反省した父が新しいチョコレートを買ってきて冷蔵庫に入れた。
これが我が家のミステリの結末だった。
「そのカレー、みんなで食べたね」
「そう。だから、チョコレートを食べてない、って言ったのは嘘」
母が笑ったら、私もつられて笑った。
**
「楽しそうだね。知り合い?」
母に近況を報告していたら、ポールがレストランにやってきた。
「うん。この人は、二十年前に死んだ私の母」
「へー。たしかに似ているね」
私と話すポールを、母はじっと観察していた。ポールを品定めするように、その視線は一つ一つを、逃さないように見ていた。
「二人はどういう関係?」
「昨日たまたま出会っただけで……えぇっと、この人はポール」
しどろもどろにポールを母に紹介した。
ポールが「はじめまして」と弾むように挨拶すると、母は目を細めた。
「はじめまして。ポールは既婚者? 恋人はいるの?」
「いえ。どちらもいません」
「なら、ユキはどうかしら?」
ポールは私を見て頭をかいた。母のペースに巻き込まれたポールが可愛かった。
ポールは目で私に助けを訴えていた。ポールの答えを聞きたい気持ちはあったけれど、しかたなく話題を変えた。
「そういえば、私、死んでこの世界に来たわけじゃないんだ」
「生きているの?」
母にこの世界に迷い込んだ経緯を伝えた。あと二日で元の世界に帰ることも。
「本当に帰れるの?」
「そのはずだよ」
母は「へー」といいながら、カップの縁をくるくる触った。考え事をするときの母の癖だ。
「一つ、お願いしたいことがあるんだけど」
母の表情は先ほどまでとは違い、眉間に皺が寄り、目が真剣になった。面倒事を頼まれそうな気がして、私はため息をついた。
「この世界の人が書いた手紙を、現世の人に渡してくれない?」
「手紙を?」
「そう。二つの世界を行き来する配達人。この世界には、心残りがある人が多いんだ。だから、現世に手紙を届けてあげたら、喜ばれると思うよ」
母の頬がゆるんだ。
母の話では、前世の記憶がある転生者は、全体の約二割。事故などで亡くなって、心残りがある人がいる。そんな人の役に立つのであれば、母の案は悪くない。
「宛先が分かって、渡すだけならいいよ。二日後の朝に元の世界に戻る予定だから、それまでに用意してくれたら協力できる」
「二日後の朝……時間がないね」
「そうだね。間に合いそう?」
「何人か連れてくる。ここで待ってて!」
母はそう言い残して、レストランを出ていった。
「ごめん。言い出したら聞かなくて」と言い訳する私に、ポールは「いいよ」と苦笑いした。そんな私たちを見て、ケイの娘は笑っていた。




