11.マナミ:死後の世界
『お母さん……酷いこと言って、ごめんなさい』
棺の中で眠る母に呟いた。私の隣には若い父がいた。化粧で隠した母の顔の傷が痛々しい。あんなことを言わなければよかった。事故に遭った母は、苦しんで死んだ。痛かっただろう。
何度も見たことがある光景だった。
私は、ここがどこか知っていた。夢の中だ。
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あの日、母は作業着のまま授業参観にきた。他の母親はきちんとした服装なのに、母だけが作業着だった。恥ずかしかった。
母は急死した祖父の建設会社を継いだ。従業員三十人のいわゆる土建屋だ。従業員が後継者として会社を継いでくれる、母はそう考えていたようだ。しかし、会社の株式の評価額が高すぎて、従業員には買い取れなかった。
後継者がいなければ会社は潰れる。従業員、取引先、金融機関に説得されて、相続人である母は社長に就任した。私が五歳のときだった。
母は参観日のためにスーツを新調したけれど、工事の発注先との打合せが長引いて、そのまま学校に直行した。着飾った母親たちは、作業着に触れるのを避けるため、母と距離をとった。
「あれ、誰のお母さん?」
「マナミの……」
教室にひそひそ声がした。後ろを見たら、母が私に手を振った。恥ずかしかったから、それには応えず、前を向き直した。
授業参観が終わって、母に不満をぶつけた。
「その服は?」
「仕方ないでしょ。着替えに帰ったら、授業参観に間に合わなかったから」
「恥ずかしい。二度と来ないで!」
眉が吊り上がった私に、母は引きつった表情を浮かべたまま教室から出ていった。
授業参観の後、作業着の母が教室で話題になった。
「マナミの家って、授業参観の服が買えないくらい貧乏なの?」
休み時間に揶揄いにきた男子生徒の胸ぐらをつかんだ。自分で言うならともかく、他人に母のことを悪く言われるのは腹が立った。
「うちのお母さんは社長だし、君の家より金持ちだと思うよ」
「金持ちはTPOを大切にするらしいけど、授業参観に作業着はないよな」
「うるさい!」
男子生徒を殴りつけたら、女子生徒が悲鳴をあげた。そこからはよく覚えていない。そのうち騒ぎを聞きつけた教師がやってきて、その場は収まった。
授業に身が入らず、ぼーっと外を眺めていたら、担任に「帰る用意をしなさい。お父さんが迎えにきています」と言われた。
正門前には車を停めた父がいた。
「母さんが病院に運ばれた」
わけもわからず、父の運転する車で病院に連れていかれた。ベッドには顔に包帯を巻かれた母が寝ていた。
「足場の下敷きになったらしい」
工事の進捗を確認していた母は、崩れた建設足場の下敷きになった。作業員は注意したらしいが、母は考え事をしていたため逃げ遅れた。
私が酷いこと言ったから……申し訳なさそうに教室から出ていく母が目に浮かんだ。
あんなことを言わなければ、母は死ななかった。
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目を開けたら、ケイの娘が寝息を立てていた。ケイと同じ黒髪で、切れ長の目をしていた。
父親は娘に、ケイが死んだと伝える必要があったのだろうか?
母は私が十歳のときにこの世を去った。
子供にとって、親の死は簡単に受け入れられない。ケイに会えないのであれば、死ではなく、別の理由にすべきだった。それなら、娘は希望を持てた。
母の形見の指輪を見つめた。……そうじゃない。母にいつか会えるんだった。
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「母さんは、別の世界に行ったんだよ」
葬式が終わったら、父が遠くを見ながら言った。
「別の世界?」
「ああ、この世界とは別の世界があるんだ。母さんはそこで暮らしている」
「お母さんに会える?」
「会えるよ」
私の頭をなでながら、父は唇を軽くかんだ。
「噓つき。死んだ人には二度と会えない。それくらい知ってる」
その場しのぎの気休めをいう父に腹が立った。
「本当だ。父さんは、おばあちゃんに会ったことがある」
父は私を正面に見据えて言った。
父は嘘をいうとき、目を合わせない。だから、これは本当の話。あるいは、父が本当だと信じている話だ。
「いつ会ったの?」
「十歳のときだ。竜がいて、魔法があって、城が浮かんでいた。不思議な世界だったよ」
父は声を弾ませた。
父は嘘をついていなかった。父が祖母に会ったのなら、私も母に会える。
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それ以来、私は母に会える日を待っていた。あのとき父が語ったのはこの世界。やっと、母に会える。
ケイの娘はぐっすり寝ていて、ポールと夫はリビングルームで話していた。特にすることのない私は、街を見たくて外に出た。
街の通りには街灯がともっており、夜なのに明るかった。オレンジの光が、夏祭りの参道のように、地面に柔らかな陰影を落としていた。
まだ営業している店があった。窓からこぼれる灯り、笑い声がかすかに聞こえた。足を止めて店の中を見ていると、見覚えのある男が前から歩いてきた。暗いから顔の細部ははっきり見えないが、二年前に亡くなった叔父に似ていた。
「あの、私のことを覚えていますか?」
突然話しかけられた男は、後ろに下がった。私の顔を凝視した後、「いえ、お会いしたことはないと思いますが」と迷惑そうに去っていった。
男は私のことを覚えていなかった。けれど、その顔は叔父だった。
通りを歩いていた男に視線を移した。
その顔は、数年前に政界を引退した政治家だった。何度もテレビで見たことがある顔だから、間違えるはずがない。引退後は露出がなくなったけれど、亡くなっていたようだ。
私は確信した。父は正しかった。
ここは死後の世界。死んだ母はこの世界のどこかで暮らしている。この世界にいるのはあと二日。運が良ければ、母に会える。




