2ー1.降儀祭
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「龍神様⋯⋯ねぇ」
最近また伸びてきたなぁと、倫花は赤く長い髪を指先で弄びながら、つまらなそうにぼやいた。
まだ外は薄暗く、日は昇りきっていない。
「まあ倫花様、興味の無いことに対する態度が一貫しているところ、尊敬に値します」
「それ、全く褒めてないよね。そもそもさ、この儀式って、本当に必要?」
「あらあら、今の発言は龍神様への冒涜と見なされますよ。皇帝といえど、バチがあたっちゃいますよ〜」
わざとらしく震える仕草をする栞那に、倫花はじとりと恨めしい視線を向けた。
今日はその昔、龍神様が華火国に始めて降臨したとされる『降儀祭』の日だ。皇帝が御神殿まで赴き、龍神様が祀られている祭壇のある龍の間まで一人で一日過ごす。皇帝が国の繁栄を龍神様に祈り、その願いが届けば、その日から一年にわたって龍神様の加護を受けられるのだという。
(信仰心のない私が、一日中ひとりでお祈りだなんて、軽い拷問だわ⋯⋯)
儀式用の紅衣が目に痛い。神殿の者や他国の祭事では白を纏うことが多いと聞く。けれど、華火国では龍神様の色である紅を皇帝の衣に用いるのが習わしとなっている。
「なんでみんな龍神様なんて信じてるんだろ」
「もう、倫花様。ほんとうにバチがあたりますよ」
今度こそ本気で窘める栞那に、倫花はどこ吹く風である。栞那はそんな倫花を見て肩を竦める。
「もし龍神様がいないとして――倫花様、貴方様のお髪はどうして赤に染まったのです」
「どうしてって⋯⋯」
あの日。
教皇の口から次代は倫花と告げられた瞬間に、倫花の髪がそれまでの黒から赤へと染まった。確かに、この変化については自然界の力で説明がつかない。
それこそ、龍神様の力が働いた証とも言えた。
ただ。まるで逃げられないように目印でもつけられたかのようで、倫花はこの赤い髪を好きになれなかった。
「華火国の七不思議の一つね。幽霊のように、自然現象では説明がつかないことも稀に起こるものよ」
「また適当言って。七不思議って、あと六つは何なのですか。その不思議こそ龍神様の御力だって思うのが普通でしょうに」
栞那の言ってることはわかる。頭で認めたくないだけだ。
(龍神様が本当にいるなら、私を皇帝に選んだことを後悔しているに違いないもの)
もちろん、この一年、自分なりに努力してきたことを否定するつもりはない。
ただ、やはり頭の隅にあるのは、彼を選んでいたなら、という思いだった。
彼が皇帝であれば――今よりも早く国の復興が進み、民ももっと暮らしやすい生活を送れていたのではないか。そんなあり得たかもしれない未来が、たびたび頭をよぎる。
「陛下、軍務卿が外でお待ちです」
「ああ、もういらしたんですね。ほら、倫花様、ぶーたれてないで行きますよ」
「ぶーたれてるって、あなたねぇ⋯⋯。はいはい、今すぐ行きます」
倫花は重い腰を上げ、ふうっと息を吐いた。
***
「おはようございます」
宮殿の外門に出ると、軍務卿を先頭に、神殿までの護衛を務める一小隊が整列して待っていた。
一糸乱れぬ敬礼に、倫花もいつも以上に気を引き締めて応じた。
「おはよう。神殿までの短い時間ですが、皆さんよろしくお願いします」
宮殿から神殿までは馬でかければ十分ほどの距離なのだが、この儀式においては神輿のような装飾の施された駕籠に入り移動する。倫花としては古い手段を踏襲して人力を割くくらいなら、一人馬でかけて行くほうが、皆幸せなのではないかと思う。
議会でこのことを発言したら、全員一致で却下となってしまったのだけれども、自分の治代の間に絶対に変更してやると密かに考えている。
「御手を」
目の前に差し出されたのは、軍務卿――紫音の手。
こういった祭事には軍のトップである彼が直々に対応する。そのたびに、倫花の心は慣れることなくざわめき始めるので、できることなら副官や他の臣下たちに役目を代わってくれやしないかと毎度思う。
そっと手袋越しに彼の手を取り、籠の中へと入ろうとしたのだが。
「!?」
乗る直前に見えた駕籠を担ぐ者――駕籠者の一人に、見覚えがあり過ぎた。
「財務卿、あなた何をやってるの!?」
灰色の髪を布で巻いて隠してはいるが、ほぼ毎日見ている姿を見間違えるはずがなかった。
「バレてしまいましたか」
財務卿――八千代の顔には悪びれる様子はなく、むしろ悪戯が早々にバレたことを恥じているようにすら見えた。
ここで色々聞いたところで、時間が押すだけだろう。
「⋯⋯本業はどうしたのよ」
倫花はこめかみに手をあてながら、なるべく声を抑えるようにした。そうでなければ、人目も気にせず怒鳴りつけてしまいそうだった。
「副官に全てを任せてきました。陛下を護衛することのほうが、何よりも優先事項なので」
八千代のキラキラした金の瞳が倫花を見上げてくる。だが、財務卿である彼の仕事の優先順位は、誓ってこれではない。というか、周りも止めてやって欲しい。降儀祭の後は冠位を取っ払った無礼講祭りというものが控えており、この準備のため、どこの部門も走り回っているはずなのだが。
「まあ、副官がいいって言ってるなら私は別に構わないのだけど」
百パーセント、いいとは言われていない気がしたが、今から駕籠者を入れ替えるのも手間となる。
(それにここで私が叱ったら八千代がゴネて押し問答になるのは必須⋯⋯)
儀式に遅刻するなんて前代未聞だ。ここは倫花が受け入れるのが一番穏便に済む。
ただ、行き場のない感情を逃すため、八つ当たりをすることにした――側で二人のやりとりを黙って見ているだけだった紫音に。
「軍務卿、警備が杜撰なようだけど」
「――大変失礼致しました。部外者が紛れこむなんて本来あってはならないこと。すぐに控えの駕籠者と入れ替えますので、しばしお待ちください」
表情を消した紫音がツカツカと駕籠の前方に歩いていくと、不穏さを察知した八千代が咄嗟に身構える。
「っグッ⋯⋯」
鈍い音と声が小さく倫花の耳に届く。それと同時に、ドサリと何かが倒れる音も。
――八千代は身構えたものの、紫音の速さには間に合わなかったらしい。
紫音は素早く八千代の腹に一撃を入れ、その口元に布を押し当てた。八千代は抵抗する間もなく、ぐったりと意識を失い、その場で崩れ落ちてしまった。
紫音は八千代を部下に預けると、控えの駕籠者を呼び寄せた。
「お待たせして申し訳ございません。それでは中へ」
「え、ええ⋯⋯」
流れるように処理し、何事もなかったかのように振る舞う。
(卒がないわ⋯⋯)
紫音が軍務卿へ就任するとなったとき、財務卿の八千代と配属が逆だろうと誰もが思った。武闘派というより文官向きなのは間違いなく紫音。しかし、蓋を開けてみると、紫音は気性の荒い軍務局の者たちを武力で制するほど、武芸に長けていたのだ。
側近達の配属も、龍神様の思し召し。
このときばかりは倫花もほんの少しだけ、龍神様って本当にご神託を教皇に預けてるのかも⋯⋯と思ってしまったものだ。
駕籠の中へと入ると、直ぐさまフワッと地面が持ち上がった。
初めて乗る駕籠に、意外と悪くないかも、と気分が乗ってくる。
しかし、上昇していたのはほんの一瞬で。
これから始まるつまらない一日のことを思うと、倫花の気持ちはみるみると陰っていくのだった。




