1ー5.追憶①
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候補者に選ばれる以前、倫花は数年にわたって宮廷勤めをしていた。分家とはいえ、五冠六家の中でも位の高い家の出身だ。行儀見習いという名目で、先代皇帝が他国から迎えた妃の侍女として雇い入れてもらっていた。
偶然か、必然か。
時を同じくして、先代皇帝の侍従として宮廷に上がっていたのが、五冠六家の一つ、焔家の紫音だった。
紫音本人から、宮廷で侍従として働くとは聞いていた。だが、まさか堰家の皇帝に仕えることになるとは。宮廷内で彼と顔を合わせたときは、心底驚いたものだ。
「なんで皇帝陛下の侍従に!? 先に言っておいてよ!」
お互いに忙しくなるから、しばらく寂しくなるなと感慨に浸っていたというのに、蓋を開けてみれば、片や皇妃の侍女、片や皇帝の侍従だ。顔を合わせる頻度は、これまでよりむしろ増えると言ってもいいだろう。
「驚いたか?」
悪戯が成功して嬉しいのか、顎を撫でながら、ニヤつきを隠そうともせずこちらを見てくる。その態度が腹立たしい。
「驚いたなんてもんじゃないわよ! あなたのしたり顔を見たとき、皇妃様の前で思わず叫びそうになったんだから。咄嗟に口を押さえて、なんとか事なきを得たけど!」
「倫花が叫んだところ、見たかった」
「〜っ、もう!」
休憩の合間に紫音と気軽なやり取りを交わすことが、この頃の倫花にとって何よりも楽しい時間だった。仕事で挫けそうになったときも、彼とくだらない話をするだけで、すっと心が軽くなっていた。
振り返れば、倫花と紫音は、ほんの幼い頃からの仲だった。
焔家の本家の次男である紫音と、樹家の分家の次女である倫花は、それぞれの親に連れられ、五冠の集まりである会合で出会った。
最初に、大人たちの前で、集まりに参加している者たち一人ひとりに挨拶をさせられる。会合が始まれば、倫花のような幼い子はすぐに外へと出された。子供にとっては大層つまらない集まりであり、倫花は何度も行きたくないと駄々をこねたものだ。それなのに、なぜか倫花の父は、毎回彼女を伴って参加していた。
(あ〜、退屈)
空は雲一つない快晴。風は穏やかに吹いているものの、倫花は、いっそ嵐でも起きて会合が早く終わらないかと思っていた。
そうして暇を持て余していたところに紫音が声をかけてきた。
「何やってんの?」
あまりの暇さに、枝を持って地面にいくつも円を描き、遠くから石を投げ入れるという、地味な暇つぶしをしていたところだった。
突然、後ろから声をかけられ、倫花の肩がびくりと跳ねた。振り向くと、自分と同じくらいの背丈の男の子がすぐそばに立っていた。それほど遊びに集中していたわけでもないのに、いつの間にか背後に立たれていたことに、ひどく驚いた。
「ねえ、何やってるの? 俺、暇だから一緒に遊んでよ」
聞こえなかったと思ったのか、もう一度尋ねられる。二度目の問いかけには、断る暇さえ与えないような圧があった。
おそらく彼も、大人の都合で連れてこられ、時間を潰すことに飽きていたのだろう。彼の表情に自分と似たものを感じ、気付けば倫花の口からは「いいよ」と答えていた。
「俺は焔家の紫音。君は?」
「私は樹家の分家の倫花よ」
倫花が考えた遊びを一緒にしながら、二人は互いに名乗った。話しているうちに、彼が倫花と同じ五歳であることがわかった。
倫花の知っている同い年の男の子は、乱暴で女の子をいじめるような子ばかりだった。そのため、紫音のように気さくに接してくれる男の子が、倫花の目には新鮮に映った。
「ここ、いつも来てんの?」
「うん。父上に連行されて、毎回来てるよ。紫音は? 今日が初めて?」
「そうだよ、めっちゃ退屈。というか、よく初めてだってわかったな」
「そりゃそうでしょ。だって、私は毎回来てるのに、ここであなたに会ったことないし」
「あー、今までは兄上が来てたから。俺は家で留守番してた」
「へえ、お兄さんがいるんだ。今日の会合に出てるの?」
「いや、死んだ」
紫音がさらりと、何の感情も乗せずに言うものだから、倫花はうっかりその発言を聞き流しそうになってしまった。
焔家の会合の頻度は月に一度。おそらくではあるが、まだ亡くなって日にちも浅いに違いない。
身近に亡くなった者がいない倫花は、言葉の意味を頭で反芻した。彼の兄と面識は無かった。
それでも、倫花には兄と姉がいる。喧嘩もしょっちゅうするが、もし二人が突然いなくなってしまったら?
そう考えた途端、胸がギュッと締め付けられ、じわりと視界が滲んだ。
「――ごめん、なさい」
ぽたりと溢れ落ちる涙とともに、喉を詰まらせながら倫花は謝罪の言葉を口にする。兄を亡くしたばかりの紫音に、何も知らずに尋ねてしまったことが申し訳なかったのか。それとも、彼の前で泣いてしまったことが恥ずかしかったのか。自分でもよくわからなかった。
しかし、そんな倫花に紫音は戸惑うでもなく、安心させるような穏やかな声で告げた。
「⋯⋯こっちこそごめんな? 急に死んだとか聞かされてびっくりしたよな」
紫音は静かにそう言いながら、自身の衣の袖で倫花の涙を拭った。
これが自分の六つ上の兄だったなら、「うわー! 泣くなよ面倒くせぇっ」と言いながらその場を離れるだろうし、三つ上の姉の場合、「ええ、泣いてるの倫花!? 泣き顔はブスになるわよ!」と慰めることなく話をずらしてくるだろう。
それに比べ、まだ五歳の紫音は、年齢に不釣り合いなほど大人な対応だった。
倫花が泣き止むまでそっとしておいてくれて、気持ちが落ち着いたあとは二人で走り回って遊んだ。
このとき、紫音から彼の兄の話が出ることはなかった。そして倫花も話を掘り返すことはしなかった。
退屈だった会合もまた来たいと思えるくらいに、二人で過ごした時間は心の底から楽しいひとときだった。
――そのときからだろう、会ったばかりだったはずの紫音が、倫花の中で特別なものになったのは。
あのとき優しく涙をぬぐってくれた記憶は、今でも深く倫花の心に残っている。




