最高の入浴体験
耐熱窯が出来るまでに、ガリルとジーノは村を行き来して浴場の仕上げをしてくれた。
私は、石けんの生産ともう一つ必要なものを作ることに奔走している間に、
12日はあっという間に過ぎていた。
「ここまでどうにか漕ぎ着けたわね」
「試作って言う割には、立派ぜ」
「ここで良いもん作れないで、ヴェルデンで作れないからな」
小屋の裏と窓から煙が上がり、水車が水をかきあげている音が聞こえてくる。
「耐熱窯や水を沸かす仕組みも見てほしいけど、
先に中を見てくれ」
ジーノに手を引っ張られながら中へと連れていかれる。
「ほれほれ、さっさと扉を開けるんじゃ」
浴場へと繋がる扉を前で、ジーノがニヤニヤしながら扉を私が開けるように促してくる。
「じゃ行くわよ!」
一呼吸してから扉を開けると、前回感じなかった熱気が浴場から私に向かって襲いかかってきた。
言葉が出てこず、無意識に足が浴槽へと向かっていた。
浴槽に近づけば次第に熱気が強くなり、いつの間にか汗と水蒸気が肌に纏わりついている。
この感じ懐かしい。
熱気を心地よく感じながら、浴槽にそっと手を入れる。
体温よりも暖かく、それでいて手を引っ込めるほどの熱さではない。
「いい湯加減ね⋯⋯」
思わず口から溢れてしまった。
「どうじゃ?熱すぎないか?」
「ううん、理想的よ」
私の言葉を聞いて、ガリルとジーノが拳をぶつけ合い、
後ろではグリオたちが軽く飛び跳ねる。
「それじゃ、みんな入浴の準備をしましょう!」
「「おおぉぉぉ!!!」」
グリオたちが小屋が震えるほどの声を上げる中、
「嬢ちゃんが一番に入るんじゃないのか?」
「私が先に入ってどうするの、みんなが先に入らないと意味がないでしょ」
「本当に良いのか?」
「今回はね、でもヴェルデンでの一番は予約しておくわ」
「任せておけ!」
私の腰を叩いて、これ以上に立派なもんを作ってやると言って、
グリオたちの輪にジーノが混ざりに行った。
入浴順はあみだくじで決めるらしく、
木の棒を引くたびに、喜びの声や落胆してしゃがみ込む人で脱衣所はごった返していた。
7人1組で順番が決まったようで、
一旦外に出て、入浴の心構えを伝えようと思う。
「それじゃ、栄えある1番の人!」
私の声がけに、勢いよく手を上げる村人の中にジーノが混ざっている。
「ちゃっかり1番を引いたのね」
「日頃の行いじゃな」
ニヤッと笑うジーノの後ろで、いつまでも木の棒を見つめているガリルが見えた。
「ねぇ、ガリルは何番だったの?」
ジーノの耳元で小さく聞いてみると、
「最後の5番じゃ」
さっき以上の笑顔でジーノが教えてくれた。
まぁ運だからしょうがないわね。
「良い、時間は45分だからね。
時間が過ぎたら途中でも引きずり出すからね」
みんなの前に砂時計を掲げて説明する。
「それと、浴槽に入る前に先にこれで体も髪も洗うこと」
そう言うと、アシュが1番手のみんなに3つに仕切られた木箱を手渡して回る。
「なんですかこれは?」
「白い塊が石けんで、真ん中に入っているのがリンスというものよ。
石けんで髪を洗ったら必ず髪全体になじませて、もう一度洗い流して」
そう、私が作っていたもう一つの物は、
水にリンゴ酢を混ぜて作ったなんちゃってリンスだ。
灰汁で石けんを作っているから、どうしてもアルカリ性に髪が偏ってしまい、
そのままだとパサつくどころかガビガビに絡みついてしまう。
そのために、リンゴ酢で酸性を加えて中和するって寸法。
「右端の油のようなものはいつ使えば良いんですか?」
「お風呂から上がったら、髪の水気を拭いた後にそれも髪全体になじませればいいわ」
白い石けんに戸惑い、入浴ってそんなにめんどくさいのかと不満の声を上げているけど、
「文句は使った後に言ってちょうだい!」
「うんじゃ、入ってくるぜ」
ジーノが先陣を切って、小屋の中へ入ると続くように村人が小屋に入っていった。
扉が閉められたのを確認して、私は砂時計を逆さまにする。
「45分が5組か⋯⋯」
自分が入れるまでの時間を計算する。
「先に入ってもバチは当たらなかったと思いますよ?」
不満そうに私の顔を覗くアシュに、
「この村のために作ったんだから、村の人達が先に入らないと意味がないわ」
「そういうものなんですかね」
納得がいかないみたいだけど、
「みんなが入り終わったら、ゆっくり2人で入りましょう」
「!?」
持っていた木箱をアシュが突然落としてしまった。
「ちょっと!」
落とした木箱を拾って中身を確認しながら、
再度アシュを見ると完全に固まってしまっている。
「アシュ!ねぇアシュ!」
アシュの眼の前で何度も手を振っても何も反応がない。
「ちょっと!どうしたの?」
やっとアシュの意識が戻ると次は顔を真っ赤にして、
「一緒に⋯⋯入ってもよろしいのですか?」
上ずった声で聞き返してきた。
「村の女性陣や子供達も入った後に、2人で時間を気にしないで入ろ」
目を輝かしながら、
「楽しみにします!」
と、両手を胸の前で握ってはしゃいだ。
アシュもお風呂が楽しみみたいね。
そんなやり取りをしていると、
「「気持ちいい!!!」」
浴場の窓から男たちの気の抜けた声が聞こえてきた。
砂時計が落ち切る間際に、ジーノたちが湯気を纏いながら出てきた。
「どうだった?」
「最高です!」
村人が口を揃えて答えてくれた。
「リズ様見てください、煙石の汚れが綺麗に取れました」
男たちが無邪気に上半身を露わにして汚れがないことを見せてくる。
「一応私もアシュも女性だからね!」
「ご、ごめんなさい」
慌てて服を着直し、一人が髪を触りながら近づいて来た。
「リズ様、髪がなぜか柔なくなりました」
「それがめんどくさいって言っていたことの成果よ」
「しかも、微かにラベンダーの匂いがするんです」
「気づいたようね」
石けんとリンスに、ラベンダーの香りを付けておいたのだ。
ちょっと屈むようにお願いして、髪の匂いを嗅ぐと、
ほんのりとラベンダーの香りが感じられる。
しつこすぎないで、いい感じに仕上がったみたいね。
1番手のみんなが満足した顔をしているのを見ると、
試作といいながらも、作ってよかったと心から思えた。
「リズ様!2陣はいつでも準備はできています」
余韻に浸かろうとしていると、
2番手の人たちが、目を血走らせながら合図を待っていた。
「それじゃ、2陣入っていいわよ」
私の合図とともに、男たちが小屋へと我先にと入っていく。
「この歳になって、風呂に入れるなんて思っていなかったわ」
手で仰ぎながらジーノも満足した顔をしている。
「気持ちよかった?」
「少し若返った気分じゃよ」
「それなら、これは飲んじゃいけないかもね」
そう言って、荷馬車に積んである樽に目を向ける。
「もしやエールか!?」
「若返ったならジーノはお預けね」
「若返ったと言っても、酒が飲めん歳じゃないわ」
はいはいと言って、アシュと一緒に木のコップを1番手のみんなに渡し、
エールを注いで回った。
「本当はみんなで乾杯したいけど、
上がってすぐ飲むのが一番美味しいから先に飲んじゃって!」
号令とともに、乾杯と言って1番手の人たちがエールを喉に流し込む。
「ぷっは、こりゃ病みつきになるぜ」
「今日はなんて幸せな日なんだ」
順番待ちの人たちの目を全く気にせずに、
入浴後の醍醐味を存分に堪能してくれている。
「おかわりはありか?」
当然のようにおかわりを要求してくるジーノ。
「一人2杯までよ」
「うんじゃ、はよくれ」
迷いなくコップを差し出すジーノの後ろで、
「それなら俺は、みんなが入り終わってからおかわりを貰います」
村人の言葉に、ジーノの手が止まった。
「おかわり要らないの?」
「いや⋯⋯」
コップをじっと睨み、
「ガリルが上がってから、一緒に乾杯してやりたいから今は我慢する」
小さい声でそう言って、肩を落として離れていった。
なんだかんだ、あの2人はいいコンビなのね。
2陣、3陣と入浴順が回り、5陣がそろそろ上がってくる頃だ。
1番手以降の人たちも、入浴後には湯気と笑顔を浮かべて出て来るのを眺める。
「やっぱ、あの顔を見るとやってよかった思えるわよね」
「領民の笑顔を見て喜ぶのはきっと、リズ様や領主様くらいです」
「そうかな?」
「間違いありません」
アシュとの会話に、満足げな顔をしたグリオが加わってきた。
「自分の領地の民でもない俺達に、
何度も来たり一緒に作業してくれたのはリズ様がはじめてです」
「私が関わっているんだから、失敗したくないからよ」
「あなたはそう言うかもしれませんが、
民って領主様に気にかけられているだけで頑張れるものなんです」
グリオは完全に勘違いしているわ。
「あのね、私はあなた達の領主じゃないわよ」
「王国法ではそうかも知れません。
でも俺はあなたを心の領主様だと思っています」
心の領主って⋯⋯恥ずかしいわよ。
耳が熱くなって、思わず顔を背けてしまった。
「いい湯じゃったぜ」
恥ずかしがる私をみんなで笑っている間にガリルたちが上がってきた。
「それじゃ、みんなにエールを配りましょう」
「みんなで乾杯じゃ!」
美味しい食事があるわけでもない。
たった2杯のエールだけど、入浴の後のほてり当てられてか、
宴のようなどんちゃん騒ぎが繰り広げられた。
「あぁ⋯⋯最高!」
両足と両腕を伸ばして、存分にお風呂を堪能する。
「私、お湯に浸かるなんて子どもの時以来です」
「貴族でも滅多に入れないって聞くから、
本当に贅沢なことなんだろうね」
「その贅沢を毎日享受できるようにしたんですよ」
膨れた顔をアシュが向けてきて、
余りの可愛さに、頬を突っついてみた。
「贅沢なものでも、ちょっとしたことで身近になるものっていっぱいあるのよ。
別に贅沢じゃなくていい、昨日まで1個だったパンが今日から2個食べられる。
そんな少しの幸せを私はみんなに提供したいな」
「女性の方たちも、本当に喜んで何度も髪を触り合っていました」
些細なことでいい。
昨日よりも今日が良くなったと思えて、
今日よりも明日はもっと良くなる。
そんな希望をみんなに見せられているなら、
日記を濡らしながら、助けを求めたリズの願いを少しは叶えられていると思える。
お湯をかき分けてアシュが近づいて、
優しく私の頭を抱きしめる。
「リズ様、これから言うことは怒らないで聞いてくださいね」
「どうしたの?」
腕に少し力が入って、頭に弾力が伝わってくる。
「頭を打って気を失って目覚めてから、リズ様はリズ様ではないですよね」
「え?」
突然の疑問に、全てが吹き飛んでしまった。
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