秘密の共有
突然の問いに私はすぐに答えられなかった。
目を見開いているはずなのに何も見えず、
水滴の落ちる音だけが耳に届いていた。
1秒、いや1分。
どのくらい時間が過ぎたのかさえわからず、
どう切り抜けようかと、思考を走らせ始めた時、
早まる脈動が伝わってきた。
アシュの胸から伝わる心臓が少しずつ早まっている。
アシュもこれを聞くことに緊張しているんだ。
なぜかそう思うと、これは追求ではないんだと思い始めた。
「どうしてそう思うのかしら?」
「はじめはリズ様が変わろうとしているんだと思いました」
アシュが言葉を口にするごとに、心臓が壊れんばかりに脈打ちだす。
「バンズさんのパンやシードルは、
それまでのリズ様の勉強の成果だと思っていました」
「⋯⋯」
「ですがリズ様がなにをしてきたよりも、
リズ様が口にする言葉一つ一つが⋯⋯自信に満ち溢れていました」
「それはおかしいこと?」
アシュが小さく首を振って否定したが、
「リズ様⋯⋯ご自分の口癖に気づいていらっしゃいますか?」
口癖?
リズの記憶は何度も確認してきた。
でも、口癖のようなものはなかったはずだ。
「リズ様はよく、『私には自信がない。だから知識を今のうちに沢山蓄えて、
いつか知識を使ってみんなを助けたい。きっとそれが自分の自信になる』と」
それを聞いてすべてが繋がった。
「ただ⋯⋯変わろうと振る舞っただけよ」
さっきも大きくアシュが首を横に振った。
「変わるのと変わったは違います」
やっぱりこれは追求ではなく答え合わせなんだ。
アシュに正体をバラすことで負うリスクと、
このまま有耶無耶にして逃げることを天秤に掛け、
どちらに傾くか静かに考える。
「でもこれだけは、勘違いしないでください」
アシュの言葉で天秤の揺れが一瞬止まった。
抱きしめていた腕を解き、真正面を向いて、
「もし今のリズ様がリズ様でなくても、
私はあなたの側に居続けることを約束いたします」
リスクと思っていたもの自体が存在していなかった。
たった一言で、天秤は傾いた。
「わかったわ。屋敷に戻ったらちゃんと話しましょう」
アシュは満面の笑みで頷いてくれた 。
村を出るときには、それまであまり顔を出さなかった村の女性たちも見送ってくれた。
ガリル曰く、私とアシュをなぜかライバル視していたらしい。
帰りの荷馬車で陽気にヴェルデンの大衆浴場をどうするか話し合うガリルとジーノとは対象的に、
私とアシュは必要以上に言葉を交わすことなく帰路についた。
月明かりが窓から差し込み、ベッドの上に置かれた日記を照らしている。
ベッドに寝転がり、この世界で最初に目にした天蓋を眺めながら、
元の世界の記憶よりも、半年しか経っていないこっちの記憶が鮮明に浮かんできた。
コンコン。
「入っていいわよ」
ノックだけで、誰が来たのかはすぐに分かった。
起き上がって来客を迎えた。
「アシュのメイド服以外を見るのははじめてね」
「唯一持っています私服です」
アシュは私服といっているがそれは寝間着だった。
屋敷に着き、夜に部屋に来るように伝えたときに、
メイド服以外で来るように伝えていた。
それは、領主の娘と給仕と言う関係を取っ払って話したかったからだ。
「とりあえず、座って」
ベッドの私の横を軽く叩いた。
アシュは恐る恐る座ると小さくなってしまっている。
「そんな緊張しないで」
「ですが⋯⋯」
アシュの組まれた手を見ると明らかに震えていた。
だから私は手を重ねた。
「結論から先に言うわね。アシュが言うように今の私はリズじゃないわ」
私の手の中でアシュがギュッと手を握る。
「あなたが言うように、頭を打って目を覚ました日からよ」
それから私は元の世界で事故にあって、
目を覚ますとリズの中にいた事を告げた。
「戸惑いはなかったのですか?」
「そりゃ戸惑ったわよ。リズの記憶はあったんだけど、
部屋を出るとボロボロだったし」
笑いを交えながらこの世界の第一印象を話した。
「でもね、戸惑っているわけにはいかないって教えられたの」
ベッドに置いていたリズの日記をアシュに手渡した。
「リズが10歳から5年間書き綴った日記よ」
「私が読んでも?」
「あなたなら許してくれすはずよ」
言葉を聞き、アシュが丁寧に表紙を捲った。
読みすすめている間で小さく笑ったり、
手を握り返してきたりしていた。
だけど、ページが捲られるごとにアシュの目が赤くなっている。
「私は⋯⋯ずっと側にいながら」
肩を震わせ、ページを捲る速度が落ちている。
今言葉を掛けるべきじゃないと思った。
アシュが、リズの本当の想いに触れている今を邪魔したらいけないと。
リズが気を失う前日までたどり着き、
アシュが深呼吸をした。
「アシュ、覚悟はある?」
問いに、はじめは首を傾げたが力強く頷いた。
そして私はリズの心の叫びが記されたページを開いた。
私がこの世界に来た戸惑いや不安よりも、
この領地をどうにかしたいと思わされた1ページ。
書き殴ったように書かれた『誰か助けて』の一文と、
自分の無力さに打ちひしがれて濡れた痕がある1ページ。
「⋯⋯リズ⋯様」
開いた瞬間に、アシュの中で抑えていた感情が決壊して、
新しい痕を作り出した。
「少しは落ち着いたかしら?」
「⋯⋯はい」
浴場の時とは立場が逆になって、私の腕の中で心を落ち着かせるアシュ。
「偶然このページを見つけて私は思ったの、
私はきっとリズの願いを叶えるために来たんだって」
「お辛くはなかったですか?」
「そりゃ色々思うところはあったけど、
でもね、半年を振り返ってやってよかったと思っているわ」
腕の中から顔を覗かせるアシュに、私は笑ってみせた。
「逆にアシュは、今の私がリズじゃなくて戸惑いはないの」
「本当はずっと黙っているつもりでした。
もしかしたら、勘違いかもしれないと」
「それならどうして?」
腕の中から抜け出して、今度はアシュが私を抱きしめてきた。
「グリオさんが『リズ様は心の領主様だ』と言って気づいたのです。
私にとってリズ様は大切な方です。
ですが、あなたもいつしか大切な方になっていたんだと」
「ありがとう」
お父様に追求された時は打ち明けられなかった。
もし実の娘の中に、赤の他人が入り込んでいることを知ったら、
きっと本当のリズを返せと言われると思っているからだ。
だけどアシュは、最初に言ってくれた。
私はリズでなくても良いと。
「もしよろしければ、元の世界のお名前を教えていただけますか?」
「え?」
「私のもう一人の領主様のお名前を知りたいのです」
そっか、私にも名前があったんだ。
「ユイって言うの」
「ユイ様ですね」
半年ぶりに呼ばれる本当の私の名前はどこかこそばゆく、
だけど懐かしく感じられた。
「私のおばあちゃんがね。『人との縁を優しく結び、時代とともに成長し、
実りと彩りを届ける人になれ』って意味で【結衣】って付けてくれたの」
「お祖母様は聡明な方なんですね。
結衣様に結衣様にふさわしいお名前を付けられています」
「照れるわよ」
こんな時が来るなんて思っていなかった。
ずっと正体を隠して生き続けるんだろうと覚悟していたのに。
「きっとリズ様が結衣様を選んだんですね」
「なぜそう思うの?」
「結衣様じゃないと、今のヴェルデンの豊かさはありませんでした。
だから、リズ様は結衣様なら任せられると思ったんだと思います」
「ずっと不安だったの」
私が居るせいでリズが出てこれないんじゃないかとか、
もしかしたら、私がリズを殺してしまったんじゃないかと、
ずっと考えていた。
「リズ様はずっとここに居ます」
アシュが私の胸に手を当て、
「ここで結衣様が頑張っているお姿を見て、
きっと笑顔で居てくれているはずです」
胸に当てられた手の温もりが気持ちいい。
「ねぇアシュ、たまにでいいからこうやって、
結衣として会ってくれないかな?」
「はい!私も結衣様といっぱいお話がしたいです」
アシュと笑い合って、深い眠りに就くことが出来た。
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