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魔術師の憂鬱  作者: 卓麻呂


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GC.118.9.5 厨房の危機1

人類が宇宙に進出してからというもの、

「食」という行動は常に大きな課題の一つであり続けた。


初期の開拓時代、科学者たちはこう考えていた。

——栄養の摂取こそが目的であり、味や文化は不要だ、と。


完璧なカロリーバランスと栄養構成を誇る行動食、

“これさえあれば人は生きていける”と信じられていた時期が確かにあった。

だが、その理屈は早々に破綻した。


人は“生きる”ためだけに食べるわけではない。

味覚、香り、食感、そして食卓を囲む時間——

それらが失われた瞬間、人間はただの作業機械となってしまう。

この単純な真理が、宇宙開発初期の人類を大きく躓かせたのだった。


当初は地球から様々な食材を持ち出して対応を試みた。

だが、長距離航行に伴う輸送コスト、保存性、再現性——

あらゆる面で限界はすぐに露呈した。


そこで注目されたのが「食料プラント」だった。

地球上の飢餓問題を解決するために発展したこの技術は、

宇宙でも新たな形で人類を支えることとなった。


光合成リアクターによる人工培養野菜、

再構成タンパク質による肉類代替、

発酵環境を制御する微生物システム。

やがてそれらは艦内の限られた区画でも稼働できるほどに小型化された。


今では中型以上の艦船なら、

専用の小型食料プラントを備えているのが当たり前となっている。

艦内メニューは味付けや調理法は設計者(厨房クルー)の嗜好により設計されている。

船ごとに“艦の味”と呼ばれる独特のレシピが存在するほどだ。


そして、そこに欠かせないものが——酒。


人類が酒を生み出してから、

すでに数千年が経とうとしている。

火星にも、外宇宙の植民地にも、そして艦内にも、

どこにでも酒はあった。


どれほど科学が進歩しても、

「酔う」という行為は人間の文化から消えなかった。


理性の枠を外し、過去と未来の間にわずかな“無”を生む。

それが人間にとって、どれほど貴重な救いであるかを、

文明の最先端に立つ者ほど痛感していた。


今や酒は「リクリエーション・リキッド」として

正式に医療データベースにも登録されている。

飲酒後には“強制酔い覚まし剤”を服用すれば即座に代謝が完了する。

だから勤務中に飲むことも、理論上は問題ない。


それでも人々は、あえて酔う。

ほんの数分だけでも、心の輪郭を曖昧にして、

“自分”を確かめ直すために。


どれほど環境が変わっても、

人間は結局、酒を手放せなかった。

それが文明の象徴であり、同時に——

最も古い本能の証でもあった。


艦橋ブリーフィングルーム。

そこにタリアン、イグナス、マリエル、ロック、マルコが集まる。マルコ・レンデルは厨房主任であり、アストラルの胃袋を管理している存在といっていい。

照明は落とされ、中央テーブルのホログラムに“食料プラント・警告表示”が淡く点滅している。

タリアンは腕を組み、低い声で言った。


タリアン「……深刻な事態になった。これはまずい」


その口調に、イグナスとロックの顔が同時に引き締まる。

機関のトラブルか、生命維持装置の故障か――一瞬、空気が張りつめた。


ロック「……どこが壊れた? 」


タリアン「食料プラントだ。」


ロックの眉がぴくりと跳ねる。

マルコが苦笑混じりにホログラムを操作し、数値を示す。


マルコ「たんぱく質再合成ユニットの出力ラインが停止しました。肉類供給が全滅です。修理には……まあ、1週間ほど。」


ロック「……1週間か。まぁ、軽いもんだな。」


タリアン「いや、非常にまずい。」


沈黙。

イグナスが短く息を吐いた。

副艦長として同席していたが、明らかに「これは重大な話ではない」と悟る。


イグナス「状況は理解した。軽微な故障だな。ロック、修理は頼む。」


イグナスはすっと立ち上がり、静かに退室する。

彼の背後でドアが閉まる音だけが響いた。


三人の視線が、タリアンに集まる。


ロック「艦長……“非常にまずい”ってのは?」


タリアンは少し間を置いてから、重く口を開いた。


タリアン「それじゃダメなんだ。」


マルコ「……ダメ?」


タリアン「ああ。」


それだけ言うと、タリアンは深いため息をつき、椅子に沈み込んだ。

理由の説明は一切ない。だが、その表情はどこか切実だった。


マリエルが腕を組みながら立ち上がる。


マリエル「栄養バランスさえ確保できれば問題ないわ。頑張ることね、艦長」


彼女はわずかに微笑むと、それ以上言わずに部屋を出ていった。


重苦しい沈黙。

ロックとマルコが顔を見合わせる。


その沈黙を破ったのは、タリアン自身だった。


タリアン「……ロック、おまえの筋肉には肉が必要だろ?」


ロック「ん?」


タリアン「おまえの整備は力仕事が多い。タンパク質が不足すれば、パフォーマンスに支障が出る。」


タリアンの声は真剣そのもの。

ロックは少し考えてから、あっさりと首を振った。


ロック「いや、プロテインであれば問題ない。それに――」


彼は工具ポーチの奥をまさぐり、銀色のパッケージを取り出した。

そこには古風なロゴが刻まれている。


ロック「俺はこれがあれば大丈夫だ。」


マルコ「……それ、まさか……」


ロック「ああ。“ニュートリバー・β”。」


その名を聞いて、マルコの表情が引きつる。


マルコ「……人類史上、最もまずいと評された栄養バーじゃないか……。今じゃ軍のレーションにしか提供されてないはず・・・しかも不評すぎて食うヤツは皆無だって噂の。いや、そういえばここの売店に売ってたな。誰が食うのかと思っていたが・・・」


ロック「俺だ。子供の頃はおやつ代わりに食ってたぜ」


タリアン「……とにかく早急になおす。全クルーのQOL維持のためだ。」


ロックが怪訝な顔をする。


ロック「QOL……って、食の話だろ? 別に魚でもいいと思うんだが」


タリアン「問題はそこじゃない。士気の維持も任務の一部だ。」


マルコ「……艦長、つまり“肉がないと士気が下がる”と?」


タリアン「そういうことだ。」


タリアンは淡々と答えながら、どこか目を逸らしている。


タリアン「ロック、修復を最優先に頼む。」


ロック「任せろ。修理プランを作成する」

タリアン「プランはいらん。すぐかかってくれ」

ロック「いいのか?まぁ計画立てるのは面倒くさいから、俺は助かるんだが。」


タリアン「頼んだ。全クルーの胃袋はおまえの腕にかかっている。」


ロック「おうよ。任せな」


苦笑するロックに、マルコが続く。


マルコ「じゃあ、その間はこっちで臨時メニューを考えるよ。……ただし、魚メインだ。」


一瞬、タリアンの表情が一瞬曇る。

しかし、何も言わずに軽く頷いた。


タリアン「……任せる。ブリーフィングは以上だ。」


ホログラムが閉じ、タリアンは早足で部屋を出ていった。

残されたロックとマルコは顔を見合わせる。

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