厨房の危機2
タリアンはもう3日も肉料理を食べていない。プラントの修理は進んでいるようだが、あと2、3日かかる様子らしい。ここ2、3日はパンばかり食べている。さすがに栄養バランスを考え、ロックの強い勧めで少量で栄養補給できるニュートリバー・βを食べてみたのだが、あまりの不味さに吐き出した。
「死ぬ気になれば食べられなくはない・・・が、不味すぎる」
生死を賭けた最前線であれば食べたかもしれない。
「肉が食べたい」タリアンは限界が近づいていた。艦橋の片隅で、カイが酒瓶を手に現れる。
「肉のプラントの故障らしいな。お前の日頃の行いのせいじゃないのか?」
カイは薄く笑いながら、悪戯めいた視線をタリアンに送る。
「うるさいな! お前みたいに雑な作りをしてるわけじゃないんだよ、俺の体は!」
タリアンは飲む手を止め、目を細めてカイをにらむ。酒の匂いが漂う艦橋で、彼の苛立ちはひときわ際立つ。
「お前が魚嫌いになったのは、あの時か?」
カイがにやりと問いかける。
タリアンは一瞬、遠い記憶に沈む。
「ああ……忘れもしない。生産プラントの社会見学で――」
目の前のカイが水槽の中の魚を指差す。
「水槽に落ちたよな! ありゃ笑い話だった。」
タリアンは両手で青い顔を覆った。体をブルブルと震わせる。思い出すだけで心臓が跳ねる。
「あれは地獄だった。あの魚の目……。これ以上は覚えてないが……それ以来、俺は魚という生き物が嫌いになった。」
カイは笑いをこらえつつ、酒を一口飲む。
「食ったら美味いんだぞ」
タリアンは深く息をつき、肩を落とす。酒の香りが少しだけ気分を落ち着かせる。だが、心の奥には魚への嫌悪がくすぶっている。艦橋に漂う静かな緊張感の中で、二人は互いに目を合わせた。
食堂の片隅、人工光に照らされたテーブルでユナとマリエルが向かい合って座っていた。
湯気を立てるスープからは魚の香りが漂う。食料プラントの故障以来、連日の魚メニューだ。
ユナはスプーンをくるくる回しながら、少し考え込むように呟いた。
「食料プラントが故障してから、魚メニューが増えましたね。でも……私、魚好きだからちょっと嬉しいです。」
マリエルはくすっと笑って、カップを口に運ぶ。
「良かったわね。艦長なんて、きっと地獄の一週間よ。」
ユナは一瞬手を止めて、少し首をかしげる。
「艦長……最近、疲れてる気がします。あっ、でも、部下として心配してるというか……その、特別な意味じゃなくてですね。」
彼女は慌てて言葉を並べ、耳まで赤くなる。
マリエルは穏やかに微笑む。
「ユナ。艦長はね、よく出来た男よ。でもね――男ってのは基本的に、子供なの。」
ユナは目を瞬かせる。
「えっ……どういう意味ですか? それ、今回のプラントの件と関係あるんですか?」
マリエルは肩をすくめ、楽しげに答える。
「あるようで、ないようで。彼、率先してみんなのために動いてるでしょ? そういうところが、ね。クルー思いで立派なところなのよ」
ユナはスプーンを持ったまま視線を泳がせる。
「確かに……立派で素敵だと思います。あっ、もちろん部下としてですよ! なんというか、その……尊敬です、尊敬!」
マリエルは笑いをこらえきれず、軽くユナの肩をぽんぽんと叩く。
「ええ、わかってるわ。部下として、ね。」
ユナは俯きながら魚スープをすする。
その顔は少し照れて、少し嬉しそうだった。
GC.118.9.9
アストラル艦内・厨房区画。
香辛料と蒸気の入り混じった匂いが漂う中、タリアンは人目を避けるようにそっと顔をのぞかせた。
「……マルコ、ちょっといいか?」
マルコはまな板の上の野菜をリズムよく刻みながら、ちらりと視線を上げた。
「おや艦長、どうしました? 珍しいですね。魚メニューがお気に召さないんです?」
「しっ……!」
タリアンは慌てて指を唇に当てる。
「声が大きい。誰かに聞かれたらどうする。」
マルコは包丁を止め、片眉を上げてニヤリと笑う。
「まさかとは思うが……艦長、魚が嫌いなんですか?」
タリアンはわずかに顔をしかめ、そっぽを向いた。
「……そういうわけじゃない。ただ……気分の問題だ。」
「へぇ、気分ねぇ。」
マルコは腕を組み、まじまじと艦長を観察するように見つめた。
「まあ、もう少しでプラントも直りますよ。しばらく野菜中心で我慢なさい。体にもいい。」
「……野菜も、あまり得意じゃない。」
マルコは思わず吹き出した。
「おいおい艦長、それ偏食ってやつですよ。そんな食生活してたら、すぐ老けますよ。あと――」
マルコはわざとらしく声を潜め、顔を近づけた。
「偏食する男は、女にモテない。」
「なっ……! そんな問題じゃない!」
タリアンは思わず赤くなり、咳払いで誤魔化す。
厨房の奥、湯気と香辛料の匂いが混ざる中で、マルコはカウンターに手を置きながら苦笑した。
「俺の部下にもな、大の肉料理好きが一人いてね。今回の件で心を痛めてる。」
タリアンが興味深そうに眉を上げる。
「……ほう?」
「奴は寝る間を惜しんで研究してるんだ。“魚で肉の味を再現する”とか言ってな。」
マルコは肩をすくめ、ため息をついた。
「つい昨日も“ついに完成した!”って目を輝かせてたよ。色々問題があって、メニューには加えなかったけどな。艦長さえ良ければ話くらい聞いてやってくれよ」
その瞬間、タリアンの目が光った。
「――それだ!」
「え?」
タリアンは勢いよく立ち上がる。
「彼と話をさせてくれ。試してみたい。」
マルコは唖然としながら、頭をかいた。
「……いいけど、ちょっと変わった奴ですよ? 頭の中までスパイスでできてるような。」
タリアンはにやりと笑う。
「構わん。俺は今、そういう奴を探してた。」
マルコは呆れたように笑って、包丁をカウンターに置いた。
「わかりました。でも覚悟だけはしておいたほうがいい。あいつはちょっと変わり者ですよ」
マルコは厨房の奥の扉を開け、声を張り上げた。
「おーい、バルサ! 艦長が会いたいってよ!」
数秒後、白衣のような調理服を着た男が現れた。
顔には焼け焦げの跡、手には魚の切り身を握りしめ、目はぎらぎらと輝いている。
「呼んだか、マルコ! ついに、ついに完成したんだ! “フィッシュ・ステーキ・プロトタイプVer.3.9”が!」
バルサはその小さな魚肉の塊を高々と掲げた。どこからともなく“ドーン”という効果音が聞こえそうな勢いだった。
マルコは頭を抱えた。
「……ほら、言っただろ? こういう奴だ。」
タリアンは興味津々にその塊を見つめる。
「それが、魚で作った……肉?」
バルサは自信満々に頷いた。
「そう! 魚蛋白を高圧分子変換して、食感を哺乳類の筋繊維に近づけたんだ! 名付けて――“逆進化ステーキ”!」
マルコが呆れ顔でため息をつく。
「ネーミングセンスも逆進化してるけどな……」
バルサは聞こえないふりをして、身を乗り出した。
「艦長、あなたにぜひ食べていただきたい! 宇宙食革命の幕開けを、この口で!」
タリアンは一瞬迷ったが、腹の虫がぐうと鳴った。
「見た目は肉だな。これは期待できそうだ。分かった。是非食わせてくれ」
厨房の一角、タリアンはバルサの皿を見つめていた。
皿の上には、香ばしく焼き上げられた“肉”のような塊。
表面はカリッと焦げ、脂がじゅわりと滲んでいる。
タリアンは恐る恐るフォークを刺し、一口。
噛んだ瞬間、瞳が見開かれた。
「これは……! 間違いなく肉だ。すごい……」
声が震えた。
数日ぶりの“肉の味”。その懐かしさに、思わず目頭が熱くなる。
バルサは満足げに腕を組んだ。
「だろう? 魚由来とは信じられまい。だが軽微な問題があってな――」
彼は眉をひそめる。
「アストラルのプラントでは、これを一日に100グラム作るのが限界だ。そして……プラントのエネルギー消費が通常の10倍になる。」
タリアンの表情が固まった。
マルコが肩をすくめる。
「聞いただろ? 非効率にもほどがある。この前なんて、リサ機関主任が怒鳴り込んできたんだぞ。
“誰がこのエネルギー異常を出してる!”ってな。俺が宥めて、更に秘蔵の酒を渡して、やっと帰ってもらったんだ。」
バルサは悪びれもせず、魚ステーキをナイフで切り分けている。
「だが艦長、これが未来の味だ。宇宙食の革命だ!」
マルコがため息をついた。
「我慢しな、艦長。」
タリアンは無言で立ち上がる。
肩を落とし、重い足取りで厨房を出ていった。
扉が静かに閉まる音が、やけに響いた。




