回想
地球歴22世紀――人類は、かつての繁栄の代償を払い続けていた。
気候の暴走は止まらず、沿岸都市の多くは海に沈み、内陸では異常気象や砂漠化が拡大していた。
人口は百二十億を超え、人類の生存圏は自らの重みに押し潰されつつあった。国家間戦争は絶えず、もはや人類は滅亡への道を歩むかに見えていた。
国家や国際連合という枠組みでは、もはや現実に対処できなかった。
進退極まれり、事ここにきて初めて危機を乗り越えるため人類は国家という枠組みを捨てた。国家という拘りが解消されるのには多少の時間がかかったが、目下の危機が事を悠長に解決するのを許さなかった。
こうして、地球統合政府が設立され、地球は一つの政府のもとに統合されたのだ。
戦争は終わった。
人類の競争心や情熱、知識、欲望の全ては科学技術の発展に注ぎこまれた。一丸となった人類。正に黄金時代と評しても良かっただろう。
それは確かに、夢のような時代だった。
月の都市群〈ルナフロンティア〉が誕生し、10年後には火星への有人航行が実現した。西2201年、23世紀を迎える年、人類は西暦という言葉に別れを告げた。23世紀のスタートは銀河歴〔Galactic Calendar GC)1年とされた。
人類の活動の舞台が本格的に宇宙になった瞬間だったのかもしれない。
そしてこの年、火星移民計画が動き始めた。
火星移民計画の開始から、すでに百年が過ぎていた。
テラフォーミングは部分的に成功し、いくつかの巨大ドーム都市が自給自足を実現していた。
火星はもはや「辺境」ではなく、第二の人類の故郷としての地位を確立しつつあった。
火星には〈火星連合評議会(MUC:Martian Union Council)〉が設置され、
地球政府から一定の自治権を獲得していた。
開拓の過酷な環境で鍛えられた人々は、誇り高く、合理的で、そしてなにより「地球に頼らず生きる」ことを信条としていた。
一方、目下の危機を脱しつつあった地球は、次第に保守化と内向きの安定へと傾いていった。
外宇宙開発への情熱は失われ、
人々は再び、古い権威と安全な生活を求め始める。
地球統合政府は、名目上は“人類の平和と秩序の象徴”であり続けていた。
だが実際には、火星連合評議会を常に自らの影響下に置こうと干渉を繰り返してきた。
資源の分配、航路の管理、技術の共有――
どの問題も、やがては権力と支配の問題へと変わっていった。
火星の独立志向は年々強まり、
両者の間では小規模な衝突や諜報戦が頻発するようになる。
お互いの打算と計算の上に成り立った関係――
それが今の地球統合政府と火星連合評議会の実情だった。
両者は互いの存在を必要としていた。
地球は火星の資源と技術を、
火星は地球の経済圏と交易網を。
どちらかが完全に切り離されれば、
もう一方も自壊する――それを両者とも痛いほど理解している。
火星連合評議会は名目上、地球統合政府の下部政権として振る舞っていた。
だが実際には、独自の行政体系と軍備、そして研究機関を保持している。
地球側もその実態を承知していながら、
表向きは“自治の尊重”という美名のもとに黙認していた。
均衡は、かろうじて保たれている。
だがその均衡は――
一筋の火花で崩れ去るほど脆いものであることを、
当事者たち自身が誰よりも理解していた。
火星移民が始まってからおよそ一世紀。
今もなお、公式の暦と時間は「協定世界時(UTC)」が用いられている。
これは郷愁や文化的継承のためではない。
単にそのほうが圧倒的に便利だからだ。
惑星間通信、航行、交易、艦運用――
すべてのシステムは地球圏時代の標準を基盤に設計されている。
各地で独自の暦や時制を用いれば、たちまち計算や指令伝達が混乱する。
そのため、各コロニーや宇宙艦でも地球時間を標準として維持するのが最も合理的な選択となった。
もっとも、火星では一日の長さが地球とは異なる。
“夜”や“昼”といった区切りは、今や自然現象ではなく照明制御プログラムによって再現される人工のリズムにすぎない。
人々はそれに合わせて働き、休み、食事を取る。
つまり、現在の「時」はもはや天体の動きではなく、人類の都合によって回っているのだ。
そうして地球の影響下を離れた人類は、皮肉にも――
地球が生み出した“時間”という枠組みの中で、今なお動かされ続けていた。




