旅立ち2 GC118.8.1
火星の表面は、大部分が赤茶けた荒野のまま広がっている。そこに集う人々の瞳だけが、未来を夢見る輝きを宿していた。
乾ききった赤い大地の上に、鈍い朝日が昇っていた。火星の空はいつもくすんだ橙色で、地球のように澄んだ青さを見せることはない。それでも、火星生まれの人間にとっては懐かしい色であり、心の奥底に刻まれた原風景だった。
その軌道上にはひときわ異質な白い構造物が輝いていた。宇宙探査船を収めた巨大ドック。整然とした機械の光景は、かつて想像された未来都市そのものであり、人類がどれだけ遠くまで進もうとしているのかを雄弁に語っていた。
タリアン・クロウはヴェスタ・リングに向かう軌道エレベーターを見上げ、深く息を吐いた。
三十歳という若さで、この艦の艦長を任される。喜びと責任の重みが胸をせめぎ合い、心臓がいつもよりも強く脈打っていた。
《アストラル》の艦内に足を踏み入れると、金属と潤滑油、再生空気の人工的な匂いが漂っていた。その無機質さは、タリアンにとっては不思議な安堵をもたらすものだった。長い訓練の中で染み付いた感覚。今から始まる航海の予兆。
「艦長、やっと来ましたね」
低い声が背後から響いた。振り返ると、副艦長イグナス・ケイルが立っていた。四十二歳のベテラン軍人。頑健な体躯と鋭い眼光を備え、艦長であるタリアンと並べてもまったく見劣りしない威容を誇っている。
「遅れて悪いな。外の空気を吸うのは、しばらく最後になると思ってな」
タリアンは肩を竦めて笑った。
イグナスは鼻を鳴らした。
「火星の埃っぽい空気を惜しむとは……艦長は物好きですね」
二人の軽口を遠巻きに聞きながら、管制オペレーターのユナ・セリオンは小さく笑みを浮かべた。二十六歳の彼女は、誠実さと柔らかさを兼ね備え、艦内でもひときわ信頼を集める存在だった。彼女にとってタリアンは単なる上官ではなかったが、その想いを口にすることはない。ただ胸の奥で温めながら、冷静に端末を操作する。
彼女のモニターには青白い航行データが流れ続けている。出発直前の確認作業に集中していなければならないのに、つい視線がタリアンの背中に吸い寄せられる自分に気づき、ユナは内心で苦笑した。




