03
寛治は、自分の真新しいデスクに腰を下ろし、
リュックからノートパソコンを取り出した。
淹れたばかりのコーヒーを一口。
ブラックの苦味が、頭をすっと冴えさせる。
画面に表示されているのは――花守南の資料。
花守南。
十三歳。
父、花守徹(37)。
母、花守楓(33)。
父はA市内の大手自動車メーカー勤務。
母は専業主婦。
下に弟が一人。
四人家族。
生活は安定している。
――いわゆる、普通の家庭だ。
南自身も問題はない。
成績は良好。
クラスで浮いている様子もない。
部活は陸上。
短距離で、県内でもそれなりの成績を残している。
寛治は写真を拡大する。
身長は150センチほど。
陸上をやっているだけあって、体は細い。
十三歳にしては、少し大人びた顔立ち。
だが――
不良特有の荒れた雰囲気はない。
写真で見る限り、擦れた印象もない。
素直そうな子だ。
――非行とか、絶対しない。
恵子の言葉がよぎる。
寛治も、同意見だった。
(……だからこそ、困る)
行方不明者の生存率は、三日を境に大きく下がると言われている。
だが、このケースは少し違う。
ここはA市。
人口規模の大きい都市だ。
南の通うA県立中学校も、市街地の中心部にある。
全校生徒はおよそ六百人。
周囲に山や海はない。
事故で見つからない、という地形でもない。
――消えにくい環境だ。
それでも、南は消えた。
恋人関係の線も、今のところなし。
生活安全課の吉田刑事は言っていた。
「まだ始まったばかりだ。聞き込みもこれからだが――」
一拍。
「正直、彼氏と家出って線が一番ありがたいな」
寛治は、その言葉を思い出す。
警察としては“平和な結末”だ。
だが――
(それなら、まだいい)
通報は午後七時ごろ。
部活動は六時には終了している。
自宅までは徒歩五分。
その短い帰り道で――足取りが消えている。
寛治は小さく息を吐き、明日の予定を開いた。
陸上部の部員への聞き込み。
まずは、そこからだ。
そのとき
「へぇ~……寛治くん、その子追ってるんだ」
背後から声。
振り返らなくてもわかる。
「アリスさん」
「ん? A県立中学?」
画面を覗き込みながら、アリスが首を傾げる。
寛治は軽く視線を上げた。
「はい。そうですけど――何か?」
「A県立中学校って――前、弥勒が関わってた事件と同じじゃん」
アリスが画面を覗き込みながら言う。
「四年前。遺体が四つ見つかったのよ。全部未成年」
アリスはそう言いながら、
自身が抱えているタブレット端末を寛治に見せた。
彼女はパソコンに限らず、
何かしらの電子機器を手元に置いていないと落ち着かない。
――というより、持っていないと発狂する。
そのせいで、常に何かを抱えているのが常だった。
指が止まらない、高速で操作している。
「その中に、一人だけいたのよ。A県立中学の子」
画面が切り替わる。
「でもね、変なの。遺体の年代、バラバラなのよ」
一拍。
「で、弥勒が“声”を聴けたのは――一人だけ」
アリスは顔をしかめた。
「……で、そのつい最近。また同じような遺体が見つかってる」
肩がわずかに震える。
「そのときの弥勒の顔、ほんと無理。思い出すだけでキモい」
ぞわっとしたように身をすくめる。
だが手は止まらない。
アリスは端末を寛治に差し出した。
整理されたデータが、画面に並ぶ。
――四年前。遺体四体。
そのうちの一人。
梶原春子。
当時十四歳。
A県立中学校。
発見時、全身白骨化。
そして――
「彼女たちは、食べられたんだよ」
記録に残された、弥勒の言葉。
「凄いよ、これ。初めてだ。
この事件は、私が追おうぞ――ああ、楽しみだ」
……異常だった。
だが。
その後、事件は進展していない。
未解決のまま、止まっている。
「弥勒なんてさ。悲鳴が聞ければそれでいいのよ」
アリスが吐き捨てる。
「だからあいつ、“捜査なんてしない”」
だが――
「その代わり、被害者のことは異常なくらい調べる」
視線を寛治に向ける。
「梶原春子についてなら、あいつが一番知ってるはず」
画面に表示された情報。
寛治の目が止まる。
陸上部。
失踪状況。
――花守南と、酷似している。
(……同じだ)
寛治は静かに立ち上がった。
「弥勒さん、今どこにいますか」
「さあね」
アリスは肩をすくめる。
「遺体安置所にいなければ、
どっかフラフラしてるでしょ。あいつ」
曖昧な返答。
だが、十分だった。
「ありがとうございます。行ってきます」
ドアに手をかける寛治の背中に、アリスが声を投げる。
「一応言っとくけど、普通は家出が一番多いからね!」
「……はい」
返事は短い。
扉が閉まる。
静寂。
アリスは小さく息を吐いた。
タブレットを抱き直す。
(特務課は――異常を扱う場所)
ふと、嫌な考えがよぎる。
(だから、死ぬ人間も多い)
寛治の背中を思い出す。
真っ直ぐで、迷いがなくて――
(ああいうのが、一番危ないのよね)
アリスは目を細めた。
画面には、花守南のデータ。
まだ“普通の失踪”として処理されている情報。
「……まあ、助けてあげましょうかな」
ぽつりと呟く。
アリスは立ち上がると、自分のデスクへと向かった。
雑然とした机の中で、パソコンだけが異様に整っている。
椅子に腰を落とし、すぐにキーボードへ指を置く。
――次の瞬間。
カタカタカタカタ……
先ほどまでとは比べ物にならない速度で、
タイピング音が鳴り始めた。
A県警本部――地下。
遺体安置所。
白衣を羽織った、長身の男。
下は黒いスーツ。
無精髭。
整っていないのに、不思議と清潔感のある顔。
その男は――
死体の口元に、耳を当てていた。
目を閉じ、じっと息を潜める。
まるで、“何か”を聞き取ろうとしているかのように。
……異様な光景だった。
寛治は足を止める。
(いた)
胸の奥で、小さく安堵する。
そして、声をかけようとした。
「弥勒さん――」
その瞬間。
男の目が、開く。
ゆっくりと。
そして――唇に人差し指を当てた。
静かにしろ、と。
音を立てるな、と。
その仕草には、奇妙な“重さ”があった。
空気が、一瞬で張り詰める。
御堂弥勒
特務検死官。




