73:帰宅
その日のうちに、私は宿でヴィオラと最後の打ち合わせをした。
「それにしても、祖父母に手紙を書くのはうっかりしてた。手紙を出すのは、ヴィオラに頼んでも良かったよね」
「そうですね。プリムローズは妙なところで抜けているので、困ります」
「その言い方はひどくない?」
お互いに顔を見合わせて笑った。
ヴィオラが続ける。
「とはいえ、私のような平民の商人が手紙を出しても、貴族様には相手にされなかったかもしれません。その点ラウルなら安心です。北の領主の息子でアレクト様の友人。信用度が違います」
「それもそうか。なら結果オーライで」
次に話題に出したのは、今後の商談で領主が強硬手段に出た場合の対策だ。
「最終手段の護身用として、霊珠を預けておこうか?」
「いえ。霊珠は発動に魔力が必要でしょう。私一人では使うことができませんので」
そうだった。発動させた霊珠はヴィオラのように無魔力の人でも扱えるが、発動自体には魔力が要る。
大した量ではない。たぶん魔法使いであれば誰もが可能な程度の量だ。
シルヴァのように魔力を持つが魔法は使えない人でも、発動はできる。
それでも無魔力の平民では不可能なのだ。
「ラウルに霊珠の事情を打ち明けるのは……まだ時期が早いものね」
私の中では、彼の信用度がけっこう高まっている。
母や妹への思いは、見ていてちょっと泣きそうになってしまった。
とはいえ、家族に対して見せた愛と他人である私に対する態度はまた違うだろう。
霊珠が異端の力である以上、知ること自体が彼を危険に巻き込むことにもなる。慎重に進めるべきだ。
「私は大丈夫ですよ。ご領主様の意向も、今日の時点である程度は取り付けていますし。ラウルも下手は打たないでしょう。プリムローズは自分の仕事をしっかりしてください」
「うん。ヴィオラとラウルが戻ってくるまでに、次のドラゴン肉の料理を終わらせておくよ。シルヴァも手伝ってくれるから、料理の確保は問題ないと思う」
「ご領主様との交渉を終えて、十日程度で森へ戻れるはずです。シルヴァとコタローによろしく伝えてください」
そうして私たちは別れた。
夜の町の門は閉まっている。通常であれば出入りはできない。
が、私に限っては問題にならなかった。
人通りのない路地裏に入り込み、霊珠の準備をする。
今回は背中に乗せている人がいないから、遠慮なくスピードを出せる。
例えば今後空中戦などを行うことを想定して、高速で飛ぶのもやってみようと思った。
「『飛』『行』『翼』『速』!」
背中の魔道具で四つの霊珠が光る。
巨大な翼はすぐに縮めて、私は飛び立った。
軽く地面を蹴れば、ぐんと上昇する。あっという間に建物の屋根を飛び越し、夜空に舞い上がった。
小さな翼を羽ばたくと、くるりと旋回する。森の方向を見定めて、私は飛び始めた。
「おお、さすが『速』の霊珠。速度が段違いだわ」
『悠』はゆったりと安定した飛び方、『軽』は軽やかでもう少しスピードが出た。
『速』は『軽』よりもかなりスピードが出る。
『軽』の時は朝出発して夕方に到着したが、この調子なら夜中には帰り着きそうだ。
ごうごうと風を切る音が耳元で鳴る。
長い銀の髪が夜の空にたなびいていく。
あっという間に体温が奪われた。さすがに寒すぎるので、『暖』の霊珠も使った。
「わあ……」
見上げれば満天の星空と半月の月が見える。
地上はほとんどが雪の白と針葉樹の黒で染まっているが、ちらほらと明かりも見えた。この厳しい土地で生きている人々の証だった。
ドーム状の天を覆う星くずの下、私はひたすらに森を目指して飛んでいく。
背中の翼を羽ばたかせる度、魔力が満ちていく。
天と地のはざまにいるのは、今は私だけ。
美しい景色への憧れと、一人ぼっちの寂しさを抱えながら、私は飛んでいった。
◇
シルヴァの小屋に戻ると、真夜中になってしまっていた。
そうっとドアを開ける。すると気配に気づいたコタローが飛びついてきた。
「ミャオ! ミャオ!」
ざりざりとした舌で顔を舐めてくる。
「よしよし、ただいま。いい子でお留守番してた?」
コタローは日に日に成長していて、今では抱っこするのも大変なくらいの重さになっている。
小さな子供の成長は早い。
「おかえり。ヴィオラはどうした?」
続いてシルヴァも出迎えてくれる。
私は小屋に入り、事情を説明した。
「……というわけで、領主の息子のラウルという人が味方してくれることになったよ。ヴィオラとラウルは交渉をまとめてから徒歩で来るから、到着はまあ十日後ってとこかな」
「ふん、そうか。そのラウルという奴、初対面のくせにずいぶんと買っているじゃないか」
「すごく家族思いの人でね。お母さんと妹と手を取り合っている姿なんて、見ていて泣きそうになっちゃったよ」
「…………」
シルヴァはジト目になった。なんだよ。
「いくら家族思いでも、所詮は貴族の人間だろう。秘密を抱えているお前や僕とは違う。あまり信用しすぎるなよ」
「大丈夫、慎重にやるから」
妙に言葉にトゲがある。
シルヴァは嫌味をよく言うが、ここまではっきりと嫌悪を出すのは珍しい。
なんだろう。
今まではシルヴァと私、ヴィオラの三人で動いてきた。ヴィオラは養い子でシルヴァの秘密も知っている。
ここで急に他人が入ったのが嫌だった?
いやそんな馬鹿な。
信用できるか疑うのはともかく、知らない人が知らないうちに仲間になったから嫌だなんて。
それじゃあ拗ねているのと一緒ではないか。
「ねえシルヴァ、勝手にラウルを仲間に引き入れたのは悪かったと思ってる。でも相談する暇がなくて。それに貴族側の人がいれば、何かと便利に決まってるでしょ」
「……知るか。ドラゴン肉の商売と農民支援は、お前が始めた話だ。好きにすればいい」
シルヴァはぷいっと横を向いた。
まだ少年の柔らかな頬の線が、ぷくっと膨れている。
これは拗ねている!!
齢六十を超えてなんて面倒な思春期男子なんだ。
私は内心でため息をつくと、さらに続けた。
「ヴィオラたちが戻ってくるまで、次のドラゴン肉料理を作っておかないといけないから。シルヴァのこと、頼りにしているよ。岩場で料理する時、魔族の杖の魔法があればとても便利だもの」
火を起こしたり、寝る時に暖を取ったり。
いちいち霊珠を消費しないで済むのは、とてもありがたい。
そういったことを強調すると、彼はやっとこちらを見た。
「そんなに僕の力が必要か? ラウルとやらじゃなく?」
「必要、必要。誰よりも頼りにしているよ」
「ふふん、そうか」
ちょっと得意げに笑みを浮かべている。機嫌が治ったようだ。
シルヴァを一番信頼しているのは本当だ。彼はいつだって私を見捨てないで付き合ってくれた。
「明日から料理作りを頑張ろう。よろしく頼むね?」
「ああ、任せろ」
「ミャオ!」
こうして再びの料理作りを始めることになった。




