24:死闘
「ごめん、シルヴァ! 先に逃げて!」
私は叫んで走り始めた。
腰に吊るしておいた巾着を一つ解き、霊珠を三つ掴む。
一つ目は『速』。文字を刻んだ瞬間、私の動きが加速した。
二つ目は『盾』。竜の攻撃から虎の親子と自分自身を守らなければならない。
三つ目は『冷』。竜の炎が高温であるなら、盾だけでは不安だった。
私は旋風のような動きで、虎親子と竜の間に割って入った。
同時、竜が炎を吐き出す。
「『盾』ッ!」
文字が刻まれた霊珠を掲げれば、桜の花弁が開くように、目の前に障壁が展開される。
もっと武骨な盾だと思っていたのに、意外にロマンチックで驚いた。
でも今はそれどころじゃない。
花の盾は炎をしっかりと受け止めたが、熱気が押し寄せてくる。
「『冷』!」
周囲の気温が一気に下がった。
熱気を相殺し、なお冷えていく。
『冷』は動詞としても使えるが、形容詞でもある。
霊珠はすぐには砕けず、温度を下げ続けていた。
炎を防ぐ桜の花弁のような盾は、一枚、二枚と花びらを散らしていく。
そして、ついに。
花びらが残り二枚になった時。
竜の炎が途切れた。
大きな攻撃の直後であるため、竜も体を硬直させている。
私は改めて『冷』『盾』の霊珠をまとめて片手で握り直した。
周囲の気温の低下が止まり、花弁の形の盾がみるみるうちに青く染まる。
それぞれの文字単独の効果から、二つの文字の相乗効果に切り替わったのだ。
私はそのまま地面を蹴った。長い銀の髪がひるがえる。
ドラゴンに肉薄するわずかな時間、二つ目の巾着の紐を解く。
取り出した霊珠に刻むのは、『剛』の文字。
『速』だけでは十歳の子供の脆弱さを補えきれない。
だから力強さを足す!
「くらえッ!!」
冷たく染まった盾を振りかぶって、竜の横っ面を思いっきり殴りつけた!
「――ッ!?」
竜が小さく悲鳴を上げて、ぐらりとよろめく。効いている!
盾の花弁がもう一枚散った。残りは一枚だけだ。
でもこれで倒せるとは思えない。
もっと強力な、致命傷を与えられる攻撃を繰り出さないと。
私はもう一つ霊珠を取り出そうとして――。
ガキン!
ドラゴンの鉤爪の一撃を食らい、吹き飛ばされた。
幸いなことにまだ盾は残っていたので、ダメージは入っていない。
『硬』ほどではないが『剛』も体を頑丈にしてくれる。
地面に叩きつけられても、怪我はない。
キンッ!
地面を転がった衝撃で、『冷』と『盾』の密着が取れてしまった。
時間切れ、効果切れだ。『盾』の霊珠と花の盾が、音を立てて砕けた。
もう身を守る盾はない。
残り霊珠は五つ。
戦うにしても逃げるにしても、効率的に使わなければならない。
と、その時。
「プリムローズ……? その力は一体、何なんだ。お前は何だ……?」
シルヴァの呆然とした声が聞こえた。
彼は岩道の途中で、薬草が入ったバスケットを取り落として立ち尽くしている。
手には例の杖だけを握りしめていた。
「説明は後! 私がドラゴンを引きつけるから、あんたはこの子を連れて逃げて!」
子虎の首根っこを引っ掴むと、シルヴァに向かって投げつけた。
手荒なのは勘弁してほしい。
目の前にドラゴンがいる以上、丁寧に受け渡す暇はないのだ。
「ちょ、うわっ!」
子虎は見事な放物線を描き、シルヴァは辛うじて受け止めた。
それを横目で確認すると同時に、ドラゴンが牙をむき出して噛みついてくる。
頭だけで親虎くらいありそうな巨躯なのに、動きは極めて素早い。
私の髪の端が牙に引っかかり、銀色がぱらぱらと宙を舞った。
(やばっ!)
いくら『剛』で体を強くしているといえど、まともに食らったら命がない。
次の攻撃が続けざまにくれば、避けきれない!
(…………?)
けれど爪の一撃が襲ってきたのは、一拍だけ間をおいて後のことだった。
おかげで何とか回避した。その隙に霊珠を取り出す。
「『刃』!」
キィン!
霊珠が光ると、巨大な刃が手に生まれる。
『剛』の効果は単体のまま残して、私は竜の体を駆け上がった。
狙うは一撃必殺。
頭、それも眉間だ!
ガツンッ!
鈍い音と重い手応え。
ウロコが数枚、飛び散る。
ドラゴンの眉間に突き立てたはずの刃は、弾かれていた。
◇
「くそっ、駄目か。硬い!」
ドラゴンが頭を振る。
その場に立っていられなくなり、私は地面に降り立った。
途端、ドラゴンの猛攻が襲ってくる。
鉤爪を振るい、牙をむき出し、尾を打ち振るって。
距離が近いせいでドラゴン・ブレスこそないが、回避するのが精一杯で反撃の糸口がない。
(まずい、息が上がってきた。いつまで避けられるか)
いくら霊珠で底上げをしても、元の体は十歳の子供のもの。
さらに私は戦いの経験が乏しい。
今までは小動物ばかりを狩っていて、唯一戦闘らしいことをしたのは例の熊とイノシシだけだ。
襲ってきた鉤爪を『刃』で払う。火花が散る。
ウロコはもちろん、爪を切り飛ばすこともできない。硬すぎる。
「刃に他の漢字の効果をプラスして……うわ!」
噛みつきの一撃を回避したら、足元の小石を踏んでしまった。思わずバランスを崩す。
その衝撃で、腰から下げていた巾着から霊珠が飛び出して転がっていった。
慌てて拾おうとするけれど、竜は見逃してくれない。
ブンッと大きな尻尾が振るわれて、砂埃が立つ。霊珠はさらに転がってしまった。
尻尾が私の胴体をかすめて、私自身も地面を転がる。
(まずいまずい、このままじゃまずい!)
緊張のあまり汗でぬめる手で、『速』『剛』『刃』の霊珠を握りしめた。
と。
ぱきん、と音を立てて。
刃が砕けてしまった。
他の漢字の効果を上乗せしていなかったせいで、持続効果が終わってしまったのだ。
(もう駄目だ)
絶望的な状況に、目の前が暗くなる。
回避が精一杯で、ろくな反撃ができない。
このまま疲れて一撃を喰らえば、それで私は終わる。
暗い視界の中で、ドラゴンの殺気を帯びた赤い瞳だけが浮かび上がっている。
死にたくなかった。今度こそ人生を全うすると、あれほど決意したのに。
私はまた死ぬのか。
ドラゴンの巨体の向こう側に、シルヴァと子虎がいるのが見える。距離は思ったよりも近い。
逃げろと言ったのに、どうしてまだ残っているのだろう。
(せめてシルヴァと子虎だけは逃がしてやらないと)
それができなければ、無駄死にになる。
それさえできれば、無駄死ではない。
私は立ち上がった。二つの霊珠は、未だ確かな力を与えてくれている。
ちらりと崖を見る。
普通の状態ではとても登れそうにないが、霊珠で身体能力をブーストした今であれば、駆け上ることもできるだろう。
ドラゴンの注意を引きつけて、遠くまで逃げる。
その隙にシルヴァと子虎を逃がす。
それしかない。
再び振るわれた鉤爪を回避し、私はドラゴンの足を殴りつけた。
「ギャッ!?」
大したダメージは入らないが、それなりに痛かったらしい。
ドラゴンの瞳に怒りが燃え盛る。――それでいい。
少しの隙をついて、私がドラゴンから距離を取った時。
「プリムローズ! これを使え!」
少年の澄んだ声が響いた。シルヴァだ。
すぐに何かの影が飛んできて、私はそれを受け止めた。
それはシルヴァがいつも大切にしている、木製の杖だった。
しかし形状が少し違う。普段は野球バットのように凹凸のない形だったのに、今は起伏がある。
どうやら普段はカバーがしてあったようで、取り外されていた。
しかし変化はそれだけではなかった。
複雑な回路のような文様の要所に、いくつもの霊珠が埋め込まれていたのだ。
先ほど私が落としてしまったのを、拾い集めたらしい。
霊珠はまるで最初からそこに嵌め込まれていたかのように、ぴったりと収まっている。
いいや、形だけではない。
杖を巡る何かの気配――おそらく魔力と呼ばれるもの――が、滞りなく滑らかに巡っているのが分かる。
「シルヴァ、これは……」
言いかけた言葉は、最後まで言えなかった。
ドラゴンがまたしても攻撃を仕掛けてきたので、辛うじてかわす。
『速』と『剛』の霊珠を握ったまま杖を掴めば、杖は淡い光を放った。
見慣れた光だった。
そう、霊珠を作った時、文字を刻む時に放たれる光とよく似ている。
「これなら、きっと!」
私の脳裏に一つの作戦が描かれた。




