23:崖上の邂逅
二日目の行程も無事に過ぎて、三日目の午前中。
私たちは岩山の麓にたどり着いていた。
「わあ。この山、遠くから見るよりかなり大きいね」
私は切り立った岩山を見上げながら、口を開けた。
岩山は空を埋め尽くすように立っている。
険しい崖が連なっており、登るのはかなり難しそうだ。
シルヴァが肩をすくめる。
「そうだな。この岩山がどこまで続いているのかは、僕も正確には知らない。行商人が言うには、かなり広範な山脈ということだが」
「へぇ~」
改めて岩山を眺めてみれば、遠くの切り立った山頂は雪で白く染まっている。
かなりの高度と広さがありそうだ。
「奥地には強力な魔物も住んでいるらしい。まあ、この入口辺りで出くわしたことはないが」
崖はとても登れないと思っていたが、回り込んでいくとどうにか道になっている場所があった。
「目当ての薬草は少し山を登った場所にある。足元に気をつけて行くぞ」
「分かった」
険しい岩の道を登っていく。
慎重に登るので速度は出ない。
三十分ほど登っていくと、少し開けた踊り場のような場所に出た。
「あった。あれだ」
シルヴァが指さした先を見ると、岩場の地面に点々と緑がある。
草というよりも小ぶりな木で、ひょろ長い小枝が伸びていた。
高さは六十センチほど、葉っぱは楕円形をしている。
枝にはピンク色の実が鈴なりになっていた。
「いい香りがするね」
近づいてみると、甘い花のような香りがした。
実を触ろうと手を伸ばしたら、シルヴァに手首を掴まれた。
「待て。その実は薬効が強いだけに、毒性もある。素手で触るとかぶれる恐れがある」
「えっ、こわ」
そう言って彼は、手袋をはめた手で実の収穫を始めた。
「間違っても食べるなよ。十粒も食えば確実に死ぬからな」
「怖すぎ! そんなのが薬になるの?」
「ああ。使い方を間違わなければ、鎮痛剤になる」
シルヴァはそのまま収穫を進め、バスケットの中の布でピンクの実を包んだ。
「どれ、もう少し採っておくか。お前は見学だけしていろ」
「分かった。他には薬草はないの?」
「この時期のここで採れるのは、このピンクの実くらいだな」
二、三十分程かけてシルヴァは実の回収をした。
バスケットの中はピンクの実でいっぱいになっている。
いい匂いがするしきれいな色だが、毒だと思うと恐ろしすぎる。
「よし、こんなものか。帰るぞ」
ここまで来るのに丸二日かかったというのに、採集作業はあっさり終わってしまった。
まあ、こんなものなのだろう。
「岩道は下りの方が転びやすい。よく気をつけろ」
「うん」
私が頷いて、下り坂の道に足を踏み入れた時。
突然、ガラガラ――と岩が崩れるような激しい音がした。
◇
「なに!?」
私は驚いて振り返った。
見れば岩山の踊り場の向こう、切り立った崖の上から何か大きなものが転がり落ちてくる。
それは何度も崖の途中の岩にぶつかり、バウンドするように踊り場まで転がってきた。
「……虎!?」
それは真っ白な毛皮をした虎だった。
毛皮のあちこちに血が滲み、砂や石のかけらが全身にこびりついているけれど、白い毛並みの美しさは抜きん出ている。
前世で動物園で見た虎よりも、一回り大きい印象を受ける。体重は二百キロとか、そのくらいはありそうだ。
「馬鹿な、こいつはスノータイガーか!? 雪深い山にだけ住んでいるという……」
シルヴァが驚きの声を上げた。
私は思わず岩山を見上げた。
遠く向こうの山頂近くには白い雪が積もっているのが見える。
あの場所が本来の虎の住処だったのかもしれない。
「グルルル……」
傷ついた虎は唸って、必死に体を起こそうとしている。
けれど怪我が深いのだろう。動かした前足がむなしく地面を掻いていた。
「スノータイガーは強い魔物だ。どうしてここにいるのか知らんが、逃げるぞ」
「う、うん」
苦しそうな虎は気になったが、下手に近づいては危ない。
私とシルヴァは慎重に後ろに下がった。
と。
ゴウッ。
急に強い風が吹いて、私は思わず目を閉じた。
薄目を開いた向こう、岩の踊り場に大きな影が差している。
「な……」
そう言ったのは私とシルヴァ、どちらだっただろう。
太陽を遮った影はみるみるうちに大きくなって、岩場に着地した。ズン、と辺りが揺れる。
最初に私の目に映ったのは、大きな鉤爪だった。
一本一本が私の胴体ほどもありそうな、巨大な爪。
その爪を生やしているのは、太くてたくましい足。
太陽の光に、硬質なウロコがギラリと光を反射する。
私たちのすぐそばに、とんでもなく大きな生き物がいる。
「ドラゴン……」
シルヴァのかすれた声がした。
緑色のウロコに包まれたドラゴンが、堂々たる巨躯を晒していた。
◇
ドラゴンは、この世界でも最強の魔獣として知られている。
そもそも遭遇することが滅多にないが、出会ったが最後まず生きて帰れない。
ごく稀に人の前に姿を表すと、災害級の破壊を撒き散らす。
ドラゴンを狩るには軍隊レベルの人員、もしくは超一級の戦士や魔法使いの力が必要とされている。
そんな伝説上の魔獣が、私たちの目の前にいる。
ドラゴンは私たちを無視して、深手を負ったスノータイガーを眺めていた。
よく見ればドラゴンの爪にも血がついている。
ドラゴン自身に傷は見受けられないので、スノータイガーの返り血だろう。
白い虎は最後の力を振り絞って、立ち上がった。
けれどもう戦う力が残っていないのは明白だ。
巨体に見えた虎だが、竜の前ではあまりに小さい。
「……プリムローズ。ドラゴンの注意がスノータイガーに向いているうちに、逃げるぞ」
「う、うん」
シルヴァがささやくように言って、じりじりと後ろに下がり始めた。
今はまだドラゴンは私たちに無関心だ。
早く逃げなければ。
「ミャーッ!」
ところが、第三の声が割って入った。
崖上を仰ぎ見ると、小さな白いものが崖を下ってくる。
たどたどしい足取りながらも崖を下りきって、それは満身創痍の虎の前に立った。
――小さなスノータイガーだった。
まだ赤ちゃんのようで、親の頭の半分の大きさもない。
小さな体で必死に立ってドラゴンを睨んでいる。
たぶん……あの親子がドラゴンと遭遇してしまって、親は子を守るために戦った。
けれど力及ばず、岩山の端まで追い立てられ、今はもう死のうとしている。
そんなシナリオが私の脳裏に浮かんだ。
「グルル……」
親は低く唸って子を押しのけた。
子虎はコロンと転がってしまう。子は不思議そうに親を見上げた。
その無邪気な様子に、私の心は痛んだ。
森に入って最初の頃、ウリ坊を連れた母イノシシを殺したことを思い出す。
仕方のないことだった。後悔はしていない。けれど心が痛いのは、別の話だ。
「プリムローズ! 何をしている、早くこっちに来い!」
シルヴァの焦った声がする。
分かっている。いくら何でもドラゴン相手に勝ち目があるはずがない。
私はシルヴァのいる方へ足を向けて。
ガンッ!
重たい音がして振り返ると、ドラゴンの前足の一撃が親虎を吹き飛ばしたところだった。
虎は岩の崖に叩きつけられ、今度こそ動けなくなる。
「ミャァ! ミャーッ!」
子虎が必死に叫んだ。
倒れた親の元に走り寄って、何度も顔を舐めている。
でももう、親は動けない。
ドラゴンがばさりと大きく翼を広げた。
すう、と息を吸ったのが分かる。
大きく開いた口の喉奥に、赤い炎が灯った。
ドラゴン・ブレス。
竜が竜であるゆえんの攻撃。
プリムローズが小さい頃、おとぎ話で聞いたことがある。
竜の吐き出す炎は鉄をも溶かし、何もかも焼き尽くすと。
助けられるはずがない。
そもそも、助ける理由がない。
魔獣同士の戦いが起きたのは、野生の世界の偶然だ。
そこにたまたま居合わせてしまった不運があるだけ。
だから私は――。




