18:シルヴァの事情
「母が僕を産んだのは十九歳の時。普通に考えれば、もう寿命は尽きている」
シルヴァが言う。淡々と、感情を交えずに。
確かに、科学や医学が未発達のこの世界では、人間の寿命は前世よりもかなり短い。
八十歳を超えて生きている人は、奇跡的な長寿ということになる。
裏を返せば、ほぼ死んでいるということだ。
「お父さんはどうしているの? エルフであれば、寿命は長いんでしょう?」
踏み込むべきではない気もしたが、私は思わず言ってしまった。
一人残された子供という立場が、とても他人事だと思えなかったから。
彼は表情を変えずに答えた。
「さあ。両親は四十年以上前に、探し物をするために僕と別れた。必ず迎えに来ると行っていたが、それっきりだ」
「…………」
シルヴァの声音には、それ以上の質問を拒絶する響きがあった。
私は何も言えず、俯く。
ふと開かれたままの玄関を見ると、もう空は暗くなり始めていた。
料理と食事でかなりの時間が経過している。
シルヴァは軽く首を振った。
そうして耳が髪に隠れてしまえば、先ほどの痛々しい表情はもうない。
愛想のない声で、こう言ってくれた。
「もう暗いな。さすがに今から森を歩けとは言わん。泊まっていくといい」
「……うん。ありがとう」
私がしんみりと言うと、彼は焦ったような表情になった。
「勘違いするなよ。これは親切じゃない。その鍋のスープも、僕だけでは食べきれなくて腐らせるだけだからな。明日も責任を持って食べてくれ」
「うん、分かってる。任せて」
必死で言い繕うシルヴァは、やはり外見相応の少年にしか見えない。
たとえ実年齢が高齢であろうとも、精神的な発達は外見通りなのだろうと感じた。
「食器洗いは僕がやる。お前は休んでいろ」
「一緒にやるよ?」
「いや、いい。いいか、小屋から出るなよ」
妙に強い口調で言われたので、私は仕方なく頷いた。
シルヴァは食器を抱えて小屋を出ていく。ついでとばかりに、例の複雑な模様が描かれた杖も手に取っていった。
しばらくするとザザーッと水の流れる音がして、やがて彼が戻ってきた。
手にある食器はきれいになっている。
私は首を傾げた。
「あれ? 外の水瓶の水、残り少なかったけど。あれで洗えた?」
「問題ない」
シルヴァは短く答えて、食器を台所に並べている。まだ湿っているから乾かすのだろう。
「あ、もしかして魔法? 水属性なら水を生み出せるものね」
私も詳しくは知らないが、魔法は属性ごとに応じた効果を引き起こすもの。
霊珠の名詞と違い、効果は永続的だったはずだ。
だから水属性の魔法使いがいれば、飲み水に困らない。旅で重宝される属性だが、そもそも貴族が魔法に水を頼るような旅はしない。
何ともミスマッチな話である。
ただ、魔法なら詠唱が必須のはずだ。そのくらいなら私でも知っている。
水の流れる音はしたけど、詠唱の声は聞こえなかった。どういうことだろうか。
ところがシルヴァは答えなかった。
やけに固い表情で振り向く。
「お前は知らないんだな」
「えっ。何を?」
「ハーフエルフは魔法を使えない。魔力を持たないのではなく、たとえ持っていたとしても魔法的に無能なんだ」
「え……」
思いもよらぬ告白に、私は固まった。
◇
「プリムローズ。お前も仮にも魔法使いなら、種族によって使える魔法が違うのは知っているだろう」
「そ、そうね……」
知らないとはとても言えない雰囲気で、私はつい誤魔化してしまった。
シルヴァは深く息を吐く。
「ハーフエルフは人間の魔法もエルフの魔法も使えない。一般的には、種族の魔法を使うには血が必要だと言われている。混血では魔法を使うための血が足りず、結果、どちらの魔法も使えない無能が生まれる。有名な話だと思っていたが」
「……ごめん。知らなかった」
「別に謝ることじゃない。お前が無知だというだけだ」
憎まれ口を叩かれたが、腹立ちは感じない。
不用意な話をしてしまった申し訳なさだけがある。
「お前と話していると、どうにも調子が狂うな」
シルヴァはいかにも嫌そうな顔をして、ため息をついた。
「まだ早いが、さっさと寝てくれ。ベッドを使っていいぞ」
「シルヴァはどこで寝るの?」
「そこの床に毛布を敷く」
ベッドで寝るのは夢に見そうなくらいの贅沢な憧れだったが、家主を追い出したいわけじゃない。
「床に寝たら背中が痛くなっちゃうよ。毛布をくれるなら、私がそこで寝る。それでも野宿よりずっとマシだもの」
「ガキが余計な気を使うな。僕がいいと言っているんだ」
「でも」
「お前は本当にうるさい奴だな!」
シルヴァの言い方はまさに思春期男子のかんしゃくで、私は思わず前世の息子を思い出した。
あの子も私があれこれ口出しをしたら、最後にはこんな感じで怒っていたっけ。
「……何、笑っているんだよ」
ついつい微笑んでしまった私を、彼は不気味なものを見る目で眺めている。
怒りをぶつけられたのに笑うなんて、まあ、傍目にはおかしいかもしれない。
「ううん、別に。シルヴァは優しいなと思って」
「な……!? 怒鳴られて何を言ってるんだ、お前!」
「こんなの怒っているうちに入らないよ」
実家のクソ父や継母義妹トリオは、直接的に声を荒げることこそ多くなかったが、実に陰湿なやりくちで私を……ただの子供だった頃のプリムローズを虐めてくれた。
それに比べれば、少年のかんしゃくなど可愛いものである。
「それじゃあ遠慮なく、ベッドを使わせてもらうね」
ベッドの上を見ると、設計図のような図柄が描かれた木板や紙が散乱している。
紙はこの世界ではそこそこ高価なのだが、惜しまず使われていた。きっと大事なものなのだろう。
散らかったままでは寝られないので、片付けようと手を伸ばす。
するとシルヴァが慌てて飛んできた。
「やめろ。それに触るな、見るな」
「あ、うん。大事なものなんだね」
「そうだ。本来、他人に見せるようなものじゃない。お前も忘れろ」
「努力する」
ちらりと見えた範囲では、回路の設計図のようにも見える。
私は息子と娘が中学時代に使っていた、理科の教科書を思い出していた。
電池を使って電流を流す実験をする、あれだ。
中学理科のものよりは複雑だったが、受ける印象が似ている。
そしてその回路図のようなものは、先ほどシルヴァが食器洗いに持っていった棒? 杖? に描かれているものとよく似ていた。
(何だろう、あれ。もしかして魔法の道具? でもこの世界には、いわゆる魔道具みたいなものはないはずなんだけど)
私は好奇心を刺激されたが、先ほどは不用意に踏み込みすぎて彼を傷つけてしまった。
もう一度同じことを繰り返す勇気はない。
「うわっ!」
シルヴァが小さく叫んだので、我に返る。
見れば紙と木板を雑に机の上に積んだせいで、雪崩みたいに崩れてしまっていた。
あたふたしている彼を見かねて、つい口出しをしてしまう。
「さすがに積みすぎでしょ。紙は紙、板は板で分けた方がいいよ。あとできれば、書いてある内容の系統ごとにまとめておくと、後から見返すのに楽だと思う」
「……うるさいな。余計なお世話だ」
幼児みたいに口を尖らせて、シルヴァは床に散らばった書類を片付け始めた。
横目で見ていると、ちゃんと紙と木板で分けている。
口では悪態をつくけれど、意外に素直だ。
(でもこの子、実年齢六十代だよねえ)
見た目通りの十四歳なら可愛げがあるが、アラ還だと思うと可笑しさがこみ上げる。
(まあ私も今は十歳だけど、前世はいい年だったから)
実にちぐはくである。見た目は子供、頭脳は大人どころの騒ぎではない。
(意外にいいコンビかもね、私たち)
口に出したらまた悪口を言われるだろう。
だから私は黙っておいて、にんまり笑った。
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