177.あの子の命④ -車輪は回る(下)-
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『そんな、あの子をあの双子妖魔のご飯にするための取引ってこと……?』
『お、おわ、思っただけ、思っただけッス?!』
突拍子もない切り口だ。
ニカナグは手の甲を唇に添え、小柄と会話していたことも遠のいて一瞬考え込んでしまう。
だがニカナグがハナトに会ったのは、今のところ九日前のあの一回が最後だ。
あの時、まだ胞果熱の終了直後だった彼女から、成長過程の〈魂の器〉に実際どの程度の〈円環の河〉が魔力として注ぎ込まれるようになるのか、ニカナグの能力では確かめる術はなかった。
(それでも眇目くんが、『あの双子は客の連れだ』と漏らしていたことは聞いてしまったし――――)
だからこそ今の小柄の言葉で、胸がざわついてどうしようもなくなっている。……むしろ、事実を確認しきれない以上、結局はどれが嘘でどれか本当かなど、今は何の意味もなさなかった。
『小柄くん……』
『ッス! 姐さん』
返事をしてくれる彼に向かって、ニカナグは強い瞳で顔を上げる。事実を確めるのは少し怖いが、やはり三人と会う約束の明後日までなんて、もう待ってはいられない。
『すまない、余計に急がなきゃいけなくなってしまったかも。もう少し休ませてあげたかったけど、立てるかい? 無理なら支えるから今すぐいこう。
やっぱり今すぐハナトくんに会って、私の〈眼〉できちんと状態を確かめないと。それからイチヘイくんとフィーくんにも、今まであったことは全部伝えなければ。それに何があっても――――』
~****~
『――――何があっても、ハナトくんが本当に〈大巫女〉なら、例え誰かに身柄を狙われていなくても命が危ない事実は変わらないんだ……』
干し草の匂いに包まれながら、小柄はニカナグが説明してくれたことを改めて噛み砕いていた。
ニカナグが言うには、〈大巫女〉とは彼女がかつて関わった遠い北の地で、古くから深く信仰されていた存在であるらしかった。
『小柄くんの故郷と似てるかは分からないけど、トルタンダに住む彼らはさ、結構な高地の、山深くにいくつも村を作って住んでいたんだ』
〈強大な魔力を持つ〈大巫女〉は、大いなる力を持っている。大いなる力を持つその女は、我々を救う〉
赤髪の一族と呼ばれる彼らは、その伝説を深く信じ、〈大巫女〉の到来を、一族誕生の日から待ち望み、信仰しているのだという。
『――――今は時間がないから、何で私がそんな山深くの部族の伝承を真っ向から信じてるのかとか、私の過去とか、そういう細かいことは全部すっ飛ばすけど――――とにかく、ワタシが被るこの〈祭祀面〉は、本当はワタシの友人の顔なんだ」
小柄は思わず、目前の美しい顔立ちを改めて見つめてしまう。
山狼に似て、とがった鼻先。白い毛皮。三角の黒い尖り耳。
日だまりを溶かしたような、薄金色の長髪。
垂れて切れ長の大きな瞳は、中の人であるニカナグの印象よりずいぶんクセがなくて気弱そうだとは思っていたが、
「元になる人が、いらっしゃったんッスか……」
すると彼女は頷き、偽りの自身の顔を指差す。
「そうなんだ。少し特殊な血と、能力と、身の上を持つ子でさ……、彼女は、『巫女』……〈巫女〉としてのお役目を果たしながら、伝承に語り継がれる『ソレ』が、トルタンダの、赤髪の一族の元に到来するのをずっと待ってたんだ。――――むしろその為だけに生まれて、存在してた」
小柄は、新しい主になってくれると約束してくれた彼女をとても慕っている。そんな彼女が、小柄の知らない自身の話を語ってくれている。……内容は深刻だったが、ちょっと嬉しい。
だから彼は嘘かホントかも飛び越えて、ふんふんと、大真面目に頷き返していた。
『それで、ハナトくんと初めて会ったあの日、ね。
少し突飛な話なんだけど、あの子は胞果熱から目覚めた瞬間に、私のこの祭祀面の顔を見て、『シーナバーナ?』って問いかけてきたんだ』
『おわ? シーナバーナ? ッスか?』
『この顔の、持ち主の名前なんだよ……』
彼女との会話に薄い高揚を覚えていた筈が、淡々と返ってきたその言葉には、少年もさすがに絶句してしまった。
『……ここからトルタンダまで、輓獣車を乗り継いでも普通は二週間くらい必要なんだ。
胞果熱にかかるということは、こちらの世界にきてからまだ十日も経ってない筈なのに……、何でシーナバーナの事を知ってたんだろうね……?』
ぞわりと背筋に変な寒気が走る。
『――――それで、ハナトさんがはんばに……?』
『そう、だね。
でも、それは結論に至るまでの仮説の『流れ』でさ。実は、今いちばん大事なのはそこじゃないんだ』
『お、わ……?』
難解な話の流れに首を傾げてしまう小柄に、ニカナグは再び、眇目の件を持ち出してくる。
『胞果熱が終わったあと、身体に定着した魂の器は、円環の河の流れを内側に蓄えて膨らんでいく。この大きさは、だいたい魔力量と比例になるんだ』
『ッスぅ……?』
『でもハナトくんは、眇目くんに呪いをかけられているよね』
『そうッス、ね……?』
ニカナグは懐からメモ帳と携帯用のペンを引っ張り出すと、背を丸めて何かを書き付けはじめる。
『……私の、〈眼〉で視ると……。
魂の輪郭って柔らかい玉子の殻みたいでね。丸くて、柔らかい金色に光ってるんだ。……でも、ハナトくんの魂は出会った当初、すでにこんな感じだったんだよ』
スッと、見せられたのは円。
いや、歪んだ円のようなもの。そこに、トゲ付きの紐のような線がこれでもかと巻きつき、食い込んで、きつく縛り上げている。
『少なくとも最後に見たときはこうだったんだ』
『燻製肉の……、糸でぐるぐるに縛ってあるヤツみたいッスね? 巻き付いてるヤツが死ぬほど凶悪ッスけど……』
言って、小柄はつい眉を下げてしまった。だって痛そうなのだ。こんなの、もし自分の肉でやられていたらと思うと顔も歪む。そこに彼女が重ねてくる。
『この、きつく巻き付く荊みたいなのが眇目くんの『声封じの呪い』、なんだ。少なくとも私にはこう見えてる』
『えっ!』
『呪いっていうのは人の魂を縛る精神干渉で発動するから、上手くやると認識や五感の操作も自在なんだって……、図書館で調べ回ってた時、本には書いてあった』
『センパイ、そんなことを……』
改めて尊敬してきた男の恐ろしい一面に震えたところで、小柄もはたと気付く。とてもとても嫌な予感がした。
『おわ……? 姐さん?』
『うん。なんだい』
『姐さんが言うように〈河の力〉を溜めて魂の器が膨らむなら……それでハナトさんがもしその『はんばに』?? で、すごく強い魔力を持ってたら……――――、今のハナトさんの魂って、どうなってるん……ッスか……??』
その問いに返ってくる頷きは、小柄がここまで接してきた彼女の中でいちばん冷静で、そしてどこか悲壮だった。
『気付いてくれて嬉しいよ。だいたい察してくれてる通りだと思う。
……それで、もっと怖いのはね、小柄くん。
伝承によると〈大巫女〉っていうのは、魔法を習わなくても魔法が使える存在らしいってことなんだ。
でも魔法の行使の瞬間、〈魂の器〉というのは魔力の放出に伴って大きくふくらむ性質があるんだよ。だから今の状態で、何かの拍子にうっかり〈大巫女〉として覚醒すると……』
その続きは、言われなくてもわかるくらい明白だった。
◆
――――あの瞬間の、どこか悲壮な主の顔は、今は揺れる輓獣車の上、横たわる彼の足元にあった。荷台の縁にじっと腰を下ろしている。
目線の先を追うと、どうやら後方の轍を見つめているらしかった。
(姐さん、『もしハナトさんが今の状態で覚醒したら、下手すると〈器〉が割れて、魂も肉体も、全部消える』って言ってた……)
土にも、母なる河にも還る術を失うなど、生きるものにとってこれほど恐ろしいことはない。ぷるりと震えた。
そんな彼の頬と彼女の背中を、夕方の涼しい風が素知らぬ顔で撫でていく。干し草の匂いが小柄を包む。
しびれて動かない身体が、とてももどかしかった。
群れにいた時だって、何の力も持てなかった。それで何人もの人が不幸になるために力を貸した。〈稀人〉のあのこに対しても、それは同じだ。
なのに、今も無理をせず休めと叱られ、実際なにもできない。
もっと役に立ちたい。でもそれは今ではない。
ならば強欲に小柄を死地から掬い上げてくれたこの人が、もうひとつ掬い上げようとしているその少女の命が、せめて主人の中に残って欲しいと願うことは、身勝手すぎるだろうか。
もしセンパイにこの願いを知られたら、そんな甘い願いなど反吐が出る、弱味を作るななどと怒られてしまうだろうか。
「うう……どうかまだ、何にもなってないといいんだけど……」
それでも小さく呟く彼女の背とその祈りに、小柄もまた全く同じ思いをのせて、夕まぐれの空と雲を見上げてしまう。
夕陽は小柄の瞳と同じ色をして、暖かく澄んだ、綺麗な橙色をしていた。
次の更新は 11月6日(金) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。
次回で第二部完結とすることにしました。




