176.あの子の命③ -消える空色(下)-
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あの喉をぴたりと封じてやったときの手応えを思い返し、歪んだ笑みをこぼしながら眇目は言う。
「まあ、そういうわけだからさー、ソイツら捕まえて差し出せば、ご主人サマ、ああ見えて成果には寛容だから許してくれると思うんだけど。
……どう? 今は動けない僕のことお客様として扱ってもらって、一枚噛まない? 作戦番号は、そうだな、三番でー」
そうだ、案ならある。何をするかなど、明確に言わなくても伝わるくらいには訓練されてきた。息だけは合う。
「このままだと、お前らも僕みたいにご主人様の"影”に追い回されて殺されちゃうよー? どうせならそこの化け物と一戦交えてもらってさ、僕とご主人サマに忠誠を見せてみない?」
ヤザヘ側と"狗”たちとの間に、別の意味で薄く緊張が走ったような気がした。だが全員の瞳は、どういうわけかまだまっすぐに揃って眇目を見ている。
その中で、真っ先に口を切ったのは五分だった。
「……眇目、お前の言い分は分かった。お前が昔っから口が巧いヤツだったってこともな。危なかったな、知らなきゃ騙されるとこだった」
「は、何の話」
何を言っているのか理解できず、せせら笑う。すると五分は鱗に目線を向け、顎をしゃくった。
「おい鱗、もってこい」「はいサ」
鱗に覆われた艶やかな尾はすぐに揺れ、部屋の片隅に繋がる隣室から、目の粗くて細長い、何かを包んだ麻の布を引きずってくる。
ちょうど、人間くらいの大きさをしていた。
「……それを、俺たちが捕まえたのは昨日の夜さ。哨戒に立ってた爺が殺されかけた。
巣の周りを嗅ぎ回ってもいたからなあ、オレと鱗で捕まえたのさ。
俺たちはただ楽しーく『お話』を聞いてただけだったんだがな……ついさっきだ、途中で加減を間違えてうっかり殺しちまったんだよ――」
鱗が布の端を開く。びっしょりと水に濡れた、人族の若い女が出てきた。その半裸の胸元を、五分が指図してさらに捲らせる。
「――だがこいつ……、見ろよ。右乳に奴隷印があった。
ついでに懐の物入に、こんなものを隠してやがった。奴隷のくせに良いご身分だろ……?」
言って五分は自分の懐から、細い鎖に連なる、薄い楕円のプレートを取り出し床に投げて寄越す。
眇目は足元まで滑ってくる金属音を追って、そのきらめきを目に収めた。
映り込んだそれは、紫のリボンにぶら下がる金色のメダルだった。荊の冠を背に、四枚の翼を広げる鷹の紋章が刻まれている。
お花畑が、領民を黙らせたいときに見せびらかしていたものと同じだ。
ついでに眇目は、この死体のキツい顔立ちにも見覚えがあった。忘れる筈もない、三日前に彼は縞尾族の男と、まさにこの、生きて動いていた時の女に消されかけたのだ。
「……このアマ、クスリ飲ませて〆たら、色々としゃべったぞ。てめぇが暗殺部隊として、アフェイーグ家に仕込まれてることも。他にもいろいろとな?
……なあ眇目よ、ソルスガ・アフェイーグに、俺たちを許す気なんて毛ほどもないぞ。
それに、ハッ……! ホントのところはお前だって首の皮一枚だろうがよ? 身分を隠したお貴族のお嬢ちゃんに、あの牢番のチビガキと一緒にどうにかシッポ降って、今言ってた調査の護衛犬につかされてるんだってな?」
五分の表情に、乾いた蔑みが浮かび上がる。
「半信半疑だったんだが、お前の言い分聞いてると本当っぽいな。
……自分だけ生き延びやがって、この裏切り者が」
眇目は気づく。最初からここには、生き残れる望みなどなかったのだ。
「……は……。やらかしたね、これは」
気付いてしまった瞬間、思わず嗤っている。
「そうサ、やらかしたんでサ」
そこに、死骸へ再び布を被せながら、鱗が昏く乾いた笑いを重ねてくる。 そこには、眇目とは違う色の絶望が浮かんでいた。
「……オイラっちは、若旦那サマが可愛がってる『メダル持ち』を殺しちまっタ。若旦那サマには、どっちにしたってモウ許しちゃ貰えねえでしょうナ」
――この四枚翼の鷹のメダルは、エナタルの領主家、アフェイーグの権力の証である。同時に、領主家の血縁に気に入られた家臣が、その証として主から授けられるモノだった。
ソルスガは、身内や領民にはとても優しい。
そうして、それに害をなすものを絶対に許さない。
「第一、なあ? おい。眇目よ?
オレたち、群れの"掟"に定めて来たよな? ガキん頃からソレに従って生きてきただろうが――――?
……『裏切り者は許さない。群れに忠誠を誓わぬ狗は殺す』、と。
ついでに二本とも脚が使いものにならねえようじゃ、お前を群れに置く価値は、もうないな」
そこに、ずっと黙っていた爺も口を挟んでくる。
「……それによ、ワシらはまだ、死にたくねえ。あんたには世話んなったが、ワシはどうあってもこの船にはしがみつくぞ?
……なんせ、あの『金の卵』のガキを今から無理矢理にでも納品できたら、このお客様……ヤザヘ様がたは、報酬に一万エラと、ワシらそれぞれに市民権をくださるってんだからな。この前の戦いでヤられたワシと鱗の腕の傷も治してもらった。願ってもねえ話じゃないか」
するとそれを聞くハウアザラも「確かに、約束はしたな」などと肯定を挟んでくる。
眇目には、卑屈さと嫉妬がじっとりと染み込んだ敵意が三つ、視線の形をして突き刺さる。
それが、答えだった。とたん妖魔の双子は美しく微笑み、すらりと立ち上がった。
「————あらつまり、……この片目は仲間じゃないのね」「なら、食べていいのね」
「うれしいわ」「うれしいわね」
おもちゃをもらった子供のように無邪気に顔を見合わせている。
かと思えば、忽然と姿がみえなくなる。
――くすくす。くすくす。
「……は?」
避ける暇などなかった。次の刹那、眇目は後ろから滑らかな四本の腕に抱き締められている。笑い声も、眇目のすぐ耳元から聞こえていた。
腹部に、灼けるような痛みが走る。滑る血の、暖かな感触。
片腕に走る激痛は、腕を引きちぎられたからだった。
次に足の感覚がなくなったのは、背骨をへし折られたからだった。
押し寄せる命の危機に、彼が本能で覚えた呪いという能力が、最後の抵抗を見せて発動しだす。これは魂を縛り、触れている間、相手の五感や認識を操れる。だが、
「あら、無駄よ?」
「あなたのそれ、怖いもの」
「使われたら、怖いもの」
「さっきジョセが触ったときに、血の『流れ』と一緒に封じていたじゃない」
「気づかなかった?」
「気づかなかったみたいね」
その瞬間彼は、『ああ最悪だ』としか思えなかった。
吹き出す冷や汗と痛みについに耐え切れず、喉からは叫びが上がる。一方、冷え切った頭の隅で『どこで間違ってしまったのだろうか?』などと考えようとして、そんなものは無駄だとすぐに放棄した。
そして眇目の中には記憶が走りだす。これが走馬灯というやつなのかもしれない。
人生に、間違っていなかった瞬間など、思えばありはしなかった。円環の河より生を受けてしまったところから、そもそも全てが過ちだったのだ。
"群れ”の"狗”に囲まれて育つ間、彼は常に自分より上に立つ"狗"から″お赦し″という名の暴力を、あるいは″訓戒″という掟の縛りを受けてきた。
訓戒に則り、裏切り者は殺され、逃亡者は殺され、病や負傷で歩けなくなったものは、商品も仲間も隔てなく始末される。
そんなクソみたいな環境に放り込まれて育ちながらも、彼は大人になる過程で、その掟を誰よりも進んで血肉に通わせてしまった。
そうして気付けば、立派な"群れ”の一員となっていた。
しかし眇目は"群れ”の中で、常に自分が生きられれば、自分さえ良ければそれでよかった。
他人は支配するか、支配されるかしかない。
弱った人間はただの足手まとい。
優しくしてくる人間はいつか裏切ると信じて利用し、逆に使いつぶす。
それは片目を失い、群れに放り込まれる過程で幼かった彼が学んだことだ。
だから眇目は、その慣例に則り、進んで要らない人間を屠ってきた。どの殺しも、その瞬間には抑えきれないような愉悦と昂りを秘める。
暴力に身を置く瞬間は、自身の生命がまだここに躍動していると、感じられる唯一の時間だった。
それでも彼にはたった一つだけ、どうしても消すことが出来ない慈悲があった。それは玩具はいたぶって殺しても、戦えなくなった"狗"に対して振るう「それ」だけは、いつでもずっとひと思いということだった。
それは汚泥に染まりきった白い布が、元の地が灰の布よりは確かに少しは白いという————その程度の、戻らない汚濁にまみれた慈悲だったのか。
あるいは、『同じ地獄』を味わってきた同胞が、もうこの地獄から抜け出せるということへの、淡い敬意と憧れだったのかも知れない。
だから森の家で縞を————あんな姿に変えられ戦えなくなった縞を見限ったのは、彼の中では仲間を殺すのと同じ理由だった。
あのようにどこも病まず、なにも痛くないまま群れを抜けられるなど、アレは雷に打たれて死ねるのと同じ程度には幸運な部類だったと眇目は思っている。
アレは、本当に扱いやすいバカだった。できればもう一回くらいは話したかったかもしれない。
でももう、ここまで腹に穴が空いてしまったら、さすがに助からない。もう、どこも痛くない。死の匂いが這い上がってくる。
眇目はさっさと諦めた。
こんなの、何もかもはじめから、全部糞みたいな人生だったのだ。もう今さら、何だっていい。
だから良かった。
これで良かったのだ。
何だかとても、楽しくなってきた。
痛みだって、気付けばもう感じなくなっている。
知らず口元が、笑みの形を作った。
「はは……。なんか、今が一番、生きてるって……感……」
ずしゃり、と流した血の海の中に崩れ落ちる。薄れる意識になぜか一瞬、こちらを見上げるあのお花畑の顔がよぎっていく。
二匹の妖魔はクスクスと笑い合い、彼に覆い被るとまるで甘露を吸い出すが如く、その唇へ、交互に口付けを始めた。
死にかけの生き物から魂を吸い取る、妖魔の食事だ。
そうして光を失う美しい空色の瞳ごと、眇目の体は跡形もなく霧散する。
着衣だけが、静かに血だまりに沈み、首にあった兆嘴の紋章が、カチャンと音を立てて鳴いた。
――――その瞳の内側に、彼が最後に覚えた感情がなんだったのか。
知る術は、すでに無い。
次の更新は 11月2日(月) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。




