176.あの子の命② -消える空色(上)-
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都市ニムドゥーラの旧市街には貧民窟があり、外壁に近づくほど寂れ、人が減る。
住民も、目も当てられぬほどに貧しくなっていく。
ただ、ここはそんな貧しい旧市街の区画の中でも、とくに異質な場所に当たる。周囲に目にできるのは、縁者も不明な死者の埋葬地と、寂れた林と、崩れきった廃屋の群である。人はほぼ住まない。
妖獣の嘴に摘まれたまま、眇目はそんな場所に運ばれてきた。
崩れかけの古い邸宅の敷地に入ったところで、彼はようやく、その嘴から地面に咥え落とされた。
眇目の両脚は、片方を脛下から噛みちぎられ、もう片方には曲がるはずのない場所に関節が増えている。しかし負傷したばかりの今は、見た目ほど痛くない。
ただ、何もかもが不快だ。
「ふふふ、おかえりなさいだわね、片目」「おかえりなさい、ふふふふ」
起き上がるのも億劫な彼を、妖魔の双子がくすくすと覗きこんでくる。
彼の視線の先で、双子の片割れが不意に指先へ濁った色を灯した。何かの妖術なのか、その指先はスッと眇目の額に当てられた。
けたたましく鳥が鳴くなか、ここでは金色の日差しが落とす影すら不穏に映えた。
「っ?!」
しかし、なにも変わらなかった。いや違う。傷は一切塞がらないまま、足からの流血だけが、止まった。
「なん、の、つもり」
「出ていく『流れ』を封じたの。死なれたら食べられないもの」「そうよ、生きててくれないと、殺せないわ」
「……ぜんぜん、笑えない冗談なんだけど」
出した声は、彼が思うより掠れている。
さらに、冗談ではない出来事はもう一つあった。
湿っぽい風の中、双子の背後には灰色の石壁と屋根が不気味に佇んでいる。この辺りに建つ廃屋の中ではいくらかマシな状態で残る、三階建ての建物だ。
……ここは、"群れ”の隠れ家だった。
あの輓獣車の上でお花畑に呟きを聞かれた通り、この場所に戻る予定など、本来なら毛頭なかったのだ。
「ほらこっちよ片目」「行きましょう片目」
眇目の後ろにいる〈四ツ足禽〉が彼を乱暴に咥えなおし、悠然と後に従いだす。
加減を知らない噛みつきが、眇目の胴をみしみしと軋ませた。耐えかねた肋が一本、二本折れる。
「……何ですぐ殺さない……?」
「だって、よくわからないけど、人間って『ふつう』は、仲間を殺さないのでしょう?」
「でもあなたがやざへの仲間かどうか、ジョセとハリはよくわからないもの。……あなた、とても美味しそうだけど」
眇目の目端が引き攣る。すぐにへらりと笑った。
「…………仲間だから、見逃してくんない?」
「嫌。亜人種も獣人種も、人はみんな嘘つきなの。ジョセは知ってるわ」「ええ、嫌よ、ハリも信じないわ」
「だから、今はやざへに訊かなくちゃ」「そうよ、やざへが教えてくれるでしょう」
その即答に、眇目はスンと真顔になる。
ヤザヘ。
輓獣車の上でもあのお人好し女に説明しかけ、面倒になって話すのを後回しにした『客』の名だ。直接顔も見たし話もした。どこかの国の軍人らしい、魔法族の男だ。
……ただ、異状体がこの妖魔どもに操られ、さらにそこに件の「ヤザヘ・フロリ」が関わっているのは、既に確定となってしまった。
ここまで気づかなかったとはいえ、もし、あのバカ女より先にこれを情報として提供していれば、眇目に対するソルスガの扱いも、もう少し寛容になっていたかも知れない。
痛恨の失態である。
なにせあのお花畑は愛だ仲間だなどと確証のないものをふりかざし、眇目の仕事を台無しにする。あの女のヘマでこちらまで割を食うのも、冗談抜きに割に合わない。
アレはもうだめだ。
向こうが眇目の手綱を握る気がないなら、次からはこちらがその首に鎖を巻いてやりたかった。
(……ま、この状態じゃ、こっからどうすんだってハナシではあるんだけど……)
そうして見知った薄暗い天井を、奥へ奥へと運ばれていく。管理する者もなく、天井が落ちた箇所さえ散見されるこの廃屋敷の中でも、双子の足は比較的、損耗がマシな区画へと向かっていた。
やがて太い柱が、等間隔に高い天井を支える部屋に連れ込まれる。ここだけで下手な家一軒くらいの広さはある。
奥の高座には穴だらけの絨毯が敷かれ、その上におんぼろの箱椅子と塗装の禿げた机が置かれていた。
「ただいま、やざへ」「あら、いないわ……」
その声に、机を囲む種族違いの男たちがめいめいに振り返った。全部で四人いる。
そいつらは眇目の帰還に……というよりは、眇目を咥えて室内を覗き込む、巨大な〈四ツ足禽〉を目にして俄かに血相を変えていた。
「……は、そ、その妖獣は一体?!」
勢いよく立ち上がったのは壮年の人族である。森の家で、稀人のガキの所有権をイチヘイと争っていたハウアザラだ。
双子は悠然とそのあごひげへ歩み寄っていく。
「あざらし、答えて」「ヤザヘはどこ? 教えて」
「ふ……フロリ少佐なら、新市街を視察に……」汚い石床に吐き出される眇目をよそに、アザラは年甲斐もなく取り乱したような声を上げる。「――いや、それよりあなた達、なぜそんな妖獣を引き連れて……?!」
双子は一瞬顔を見合わせ、それからどこか投げやりに、ハウアザラへ視線を戻した。
「そう言えば、やざへが秘密にしてって言ってたの、忘れてたわ」「妖魔なのはまあいいけど、奴隷にも三下あざらしにも、こっちはキミツジコウ? っていってたわ」
「ふふ、バレちゃったわ」「バラしちゃったわ、アタシたちが、卵の仔を操れること」
「っ、あの若造、まさか裏でこんな……」
眇目はそばの柱に縋りつき、どうにか身を起こしながら、その様子を耳だけで意識にいれる。
一方何かを察したように、ハウアザラは独り、奥歯を噛み出す。双子は、仮面が浮かべるような表情で微笑んでいた。
「あら、大丈夫よ。だってあなたたち、やざへの『仲間』なんでしょう?」「そうよ、『仲間』の手足を引きちぎったり穴を開けたりなんて、もうしないわ」
「『仲間』じゃないってバレちゃうもの。私たち『ふつう』だもの。ね、ハリ」「ええ、ジョセ、『ふつう』だもの」
そう答えると、仲良く白い指を絡めた。そのまま、それがさも当然のように部屋の奥、男たちの輪に割り込む。布張りの箱椅子にすとんと腰を下ろした。
「さあアタシの仔、もういいわ」「ほら、そこで『おすわり』よ」
すると異状体は小さく喉を鳴らし、椅子や机が置かれた広間の片隅とは、対角線にある隅の空間に丸くなる。
「ねぇジョセ、でもやざへがいないなら、この片目が『なかま』なのか聞けないわね」「そうねハリ。この片目は、食べていいかしら?」
不穏な会話だった。しかし敵意の露出でないことは明白だった。
張り詰めていた緊張の糸は、他に手立てのない男たちが顔を見合わせる中でゆっくり緩んでいく。
すると居並ぶ"狗”の中から、硬い表情で彼を呼ぶ者が出た。
「――眇目……、お前、何がどうなってそこの妖魔の女どもに連れられて戻ってきた……脚はどうしたんだ」
灰茶の毛皮におおわれた耳長族だった。その片耳と、さらに尻から生える尾は、それぞれ長さが半分しかない。
"群れ”の頭目である 五分だ。
また、五分の周囲にいる残りの二人も、彼の見知った"群れ"の残党である。
この中では最高齢の、人族『爺』。
龍凛族の『鱗』。
他にも数人、小柄のような下っ端がいるのだが、ヤザヘ同様、今は姿がなかった。
……しかし、眇目が思っていたよりも、こちらを見る三人の表情は険しくない。
(裏切ったとは、まだ断定されていない……?)
群れの掟は厳しい。慣例に則れば、逃亡者は戻った時点で殺される。
急に前触れもなく、群れから姿を消した眇目だ。 結果的には"群れ”を排除しようとしているソルスガ側に、自身が引き抜かれているという事実も、正直都合が悪い。
眇目と"狗”たちの視線が互いにかち合う。
「ねえ、そうだわハリ、なら狗たちに聞こうかしら」「あら! いい考えだわジョセ」
「ねえ、半分耳、それはヤザヘの仲間?」「あなたの、仲間?」
……その瞬間、眇目は内心で流れが変わったと思った。
まさかこの化物が、まさかエモノの生殺与奪の権利を、汚い奴隷どもに丸投げしてくるとは思わなかった眇目である。
これは、彼を裏切り者か断じる裁判となるのだろう。
どうすればここを出ていけるか。あるいはこの三人を味方につけられるか。うまく回せばこちらが再びあの女と合流し、うまく丸め込んで折れた脚の治療もかなう。
眇目の頭が生き意地汚く回り始めた。
「……あのさ、そろそろやめない? こんなこと」
ゆえに彼はイチかバチか、肩を竦めてへらりと笑って見せる。口に出すのは事実だけ。
「僕さー、実はご主人サマに捕まってて、色々あってやっと戻ってこれたんだよねー。ほら、僕たちのやってたおいた、ちょっと前にエナタル森林に建ってた家まで『金の卵』ちゃんを捕まえに出張ったときに、ご主人サマにうっすら気づかれちゃったみたいでさ?」
しかしその事実はうまいこと歪曲させ、例えこの場限りでも、この場の全員を言いくるめる為のダシに使う。
「……で、実は今、領主サマの領地をこのデカい妖獣が領地を荒らし回っててさ。僕、ほんとはいま、その調査をご主人サマから依頼されてる最中だったんだよねー。
お前らがしたやらかしの埋め合わせをさせられてる感じ、かなー?」
返ってくる無言は、この"群れ"においては常に先を促す傾聴の証である。眇目は手ごたえを感じて続けた。
「で、さ? その調査の途中でそこの妖獣に捕まっちゃったんだけど、いざふたを開けてみたら、全部の元凶ってそこの双子とその男じゃん? さっきの反応見てるとさ、お前らも知らなかったんでしょ?」
まだ無言。彼は、折れた骨から響く鈍痛さえ糧に、一つしかない瞳をギラつかせる。
「……なあ、ご主人サマ、僕らのおイタに気づいて、だいぶ怒ってるよ??
僕も最初、ご主人様の"影”に殺されかけたんだけど、どうにか信頼してもらってさ。
今んとこ、僕はご主人サマのとこで仕事して無事に首はつながってんの。……でもほかの"群れ”のお前らのことは、今んとこ刺客放って、全員殺そうとしてるみたい」
すると目前の三人は何かを確かめ合うように、眉間に深い皺を刻んで互いを見つめた。
「……ほら、今言った金の卵ちゃん以外のこともさ。焼き印押して売り捌きまくってきたじゃん?
僕もアレ、今思うと『準備』の段階からやりすぎたなーって反省しててさー」
いいや、それだけは調子に乗って吐いた口八丁の嘘だ。
それはずっと呪いの使える眇目にとっての『楽しみ』だった。
"群れ”はこれまで内密に奴隷へと堕とす人間の出自を眩ますため、『準備』と称しては声や聴覚を奪い、生きたまま意思を封じてきた。
二度と口を利けないよう、それでも泣き声と悲鳴だけは聴けるよう、上手い具合に呪力の糸で魂を縛り上げた奴隷たちで、眇目はずっと遊んできたのだ。
とくにあの稀人の子供に関しては最高の出来栄えだったように思う。




