174.あの子の命① -逃げないこころ-
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そして従順で曇りなき、その輝き。
まだ痺れの抜けない身体の可動域を確かめようと立ち上がるさなか、ニカナグはその視線に気づいた。
(わ、わあ……?!)
それは、直視するのも眩しいような忠犬の視線であった。小柄がニカナグを真っ直ぐに見上げている。ふんすふんすと鼻息は荒い。
「そっ、それで、姐さん! 自分は何をすればいいッスか? 自分、姐さんの為ならなんでも――……!」
そのまま勇んで彼も立ち上がろうとする。
けれど案の定よろけて転んだ。力が入らないのか、ついた尻餅のまま背中から倒れこむ。
「わあ!? だ、大丈夫かいっ?」
「そ、それで姐さん、これから何を……」
それでも小柄は仰向けにこっちを見て、まだ下生えの草の隙間から尋ねてくるのだ。ニカナグなんかより、相当痺れて辛い身体を抱えているはずなのに、キラキラ笑顔なのが怖い。
「ひぇ無謀……」
しかしニカナグも徐々に動けるようにはなってきているとはいえ、あまり機敏には反応できなかった。
脚は、まだ生まれたての雪分ケのようにぷるぷるしている。気持ちだけは忙しないものの、見てくれはなかなか滑稽である。
それでもどうにか膝をつき直すと、まだ、「自分、どうすれば喜んでもらえますか?!」と危ない薬をキメた中毒者みたいに声をあげる小柄を、上から覗き込んだ。
拗ねたように口元だけきゅっと引き結び、ニカナグは手を伸ばす。
ぺん! と鈍い音が彼の額から響いた。ちょっと強めのデコピンである。
「ほわっ?!」
「え、えっと、落ち着いてくれ、小柄くん。
こうなった以上、まずはワタシも君に訊きたいことと、話したいこと。あとは確認は必要だけど、——と、とりあえず、色々あるんだ。
ちょっと長くなるけどまずはワタシの話を……」
「おわ……お話をきくだけ、ッスか……?」
「その……。意気込みは嬉しいけど、もっと自分を大事にしてほしい、かな……?」
まさかこんなに興奮されるとは思わなかった。
小柄は自分のすぐ上にあるニカナグの顔を、一時きょとんと見返してくる。それからおぼつかない指先で、弾かれた箇所にそっと触れた。
「ッス! ニカナグ姐さん!」
「うん……?」
「ありがとうございやす。……姐さんの"お許し"は、やっぱ優しいッスね――」
その言葉ひとつに、もう彼の中にはニカナグへの明確な隷属の芽があることを知る。
デコピンから引っ込めた指先を彼女がきゅっと握ってしまう間に、小柄はとても素直にいつもの態度を取り戻していた。
「――わかりやした。ちゃんと言うこときくッス」
「あ……うんうん、えらいよ? 小柄くん」
うなずいて細まる海色の瞳。その裏側で自らが彼へと結んだ覚悟を反芻しつつ、彼女は祭祀面を首へかけ直した。
すわりと長さを変え、生えてくるシーナバーナの長い金髪、黒い三角の耳。
薄紫に変わる瞳で助手を見つめ、身を起こそうとする彼に手を貸しながら話す。
「まず、ね。小柄くん。あの双子の能力について……、私が見たものについて話しておきたいんだけど……」
ニカナグは自分の〈眼〉だけが捉えていた、妖獣と妖魔の双子をつなぐ『妖力の糸』について、小柄にも説明する。
双子は〈緒〉と呼んでいたもの。その〈緒〉をつたって、あの二人があの場に来たこと。
だが話しながら、ふと同じように異常な魔力の糸でフィーを縛り、強制的に命令に従わせる力を持ちながら、その力に全く無自覚な様子だった彼―――イチヘイの横顔が思考を横切る。
"狗"たちの森の家襲撃のさなかに見た、あの光景。仲のよさそうなあの二人の魔力的な関係性は今思い出してみても異常で、首をかしげてしまう。
(――あれって、フィーくん側からも、どうみても『お大師さま』の力でできているとしか推測できない魔力の鎖が伸びていたけど、あれも一体……。もしかして今回のことにも何か繋がっていたり――……いや流石にないか……)
「――さん? 姐さんどうしたんッスか?」
「うっ、うん! すまない」
気付けば枝道に逸れて考えすぎ、話し終わりに変な沈黙が生まれていた。
唇から指先を外しながら慌てて応じる。
説明を聞き終えた小柄は明らかに焦った様子を浮かべだしていた。
「あ、だからあの双子、あんな急に自分たちの前に現れたんッスか……?!
姐さん、今の話、ホントならヤバいっすよ?! どの異状体でも、相手にすることになった時点で、いつそこにあの『親玉』が参加しに来るか分かんないってことなんッスよね?」
「あ、いや……! 今言った〈緒〉は全部の異状体に視えていたわけではなかった、から。
その糸みたいな繋がりをもつ個体だけが、双子の中継地点になる、のかもしれない。……そこはまだ情報が足りないからなんとも、なんだ。
ただ、異常な再生力を持ってたのは、彼女たちの言う〈緒〉から、そのための妖力を供給されてたからで間違いない、かな……」
すると目の前の少年は、とても深刻な表情を浮かべて、ごくりと唾を飲む。
「……自分、本当は矢でしか戦えないッスけど……、この先もしまたあいつらと向き合うことになったら姐さんのために剣も持って、それで、身代わり一回くらいなら――――」
「いやだからなんでそうなるんだいっ」
岩に凭れる頭にもっかいデコピンすると「ほわっ!?」と変な声が上がった。
「だ、だって、センパイも、いなくなっちゃって……もう生きてるって保証も、無いじゃないッスか……」
小柄の声は、響きの縁取りが震えていた。
「見てたんだ……」「その辺で気を失っちゃったんッスけど……」
ニカナグはわずかに押し黙る。
どこか触れないように努めてしまっていたが、それは、あんな眇目でも慕っていたこの少年のためでもあった。
だからその言葉を皮切りに、二人の視線は自然と草むらの中に流れる。
そこに転がるのは脛下半分、黄土色の、眇目の脚。
小柄から発される言葉も、問うておきながらあまり希望を抱いているようには聞こえなかった。
「……姐さん。その。センパイって、まだ生きてると思うッスか?」
「すまない。ワタシも、はっきりとは……」
なんとなく、可能性が低いことだけはきっと互いに理解できている。
だがそれゆえに、今は彼の命より優先せねばならぬことが彼女にはあった。ニカナグは本題に戻る。
「でも、だ! それはそれ、これはこれなんだよ、小柄くん?!
そもそも君、いま弓はもちろん、その身体で歩くのも難しそうなのに、戦いになんて出せるわけないだろう?
そんな、命をすりつぶす前提の『使い道』のために連れていくわけがないじゃないか? 自分を大事にしてって言ったの、聞いてなかったのかい?」
そのままデコピンした指を彼の鼻先に突きつける。
「君はっ! お、る、す、ば、ん!!!」
「ほわあ?? ……でも、そ、それじゃ……、自分やくたたずッス……。ちゃ、ちゃんと動きますから……連れてって……」
しょんぼり肩を落としだす猫目の少年。その意気込みの高さに頭を抱えつつ、どう話せば届くのか、彼女は考えながら話した。
「まずはね? 小柄くんは、身体に不調があるなら先に治すこと。それから、君には自分の得意なことで役に立って貰うから、出来ない分野で無茶はしないこと。だからこそ、治ったら字を覚えること。
いい? これは約束だよ。……ワタシの奴隷として働きたいなら、この先ずっと、この三つは守って貰うからね? 特に二つ目は絶対」
眉を吊り上げて、彼女もめったに出さない気迫に小柄は呆気に取られた様子だったが、
「『姐さんの、奴隷として』……。スッ……!」
一番深く刺さったのはそこらしかった。キリッとした顔で頷く。
だがすぐに、やっぱり彼は心配そうな顔をし始める。
「で、でも、そしたら姐さん? 姐さんのことは、誰がお守りするッスか? ご主人さまに、新しい人をつけてくださいってお願いしに行くッスか??」
ただその瞬間、小柄は何かを思い出したのか、ハッと眉根に深刻そうなシワを寄せた。
「あわ……でも下手に行って姐さんが、ご主人さまにケジメつけさせられるなんてことになったら――」
腕一本。足一本。眇目の不祥事には、監督責任としてニカナグもどちらか片方を切り落とされる。
(あっ、しまった! ソルスガさまそんなことも言ってた……)
正直色々ありすぎて、そっちの問題を忘れていた。その間に、小柄は一人で納得して鼻息を荒くしてしまっている。
「――ま、まさか、それでお一人ででも妖魔を探し出して調査に行こうと……? いや、そ、それだったらそれこそ自分が身代わりになるッスよ?! それだけは姐さんにいくら言われようと……!」
言いながら、『そのつもりなら行かせないぞ』とばかりに地面に垂れる巻きスカートの裾を、痺れて震える手で掴まれた。
ケジメの話を思い出すニカナグはまだ動揺を引きずっていたが、ひとまずは慌てて彼に向き合う。
「まって待って?! さすがにそれはないから安心してくれないか?! そんなことしないよ!」
「おわ?」
ニカナグは数度の瞬きと共に一度唇を引き結ぶと、改めて口を開いた。
「……小柄くんも会ったことあると思うけど……、ワタシはとにかく、森の家で会ったあの三人に会いに行かなきゃって思ってるんだ」
「……それって……〈稀人〉のあの子を、今保護してるあのお二人に、ッスか……?」
不思議そうに首をかしげる助手をよそに、ニカナグの胸の内には一気に苦いものが暴れだしている。遠い目で、すこしあの片目への恨み言を口にしてしまう。
「うん。でももし無事な彼とまた会えたら、聞かなきゃいけないことは沢山あるね。
妖魔を追い払ったあと、後で話してくれるって言ってた事情が、まだ聴けてないし。あの双子はなんなのかとか、『お客』の知り合いって言ってたけどその『お客』との関係性とか……色々されたから、さすがにもうワタシも怒ってるけど」
「それは、ご主人サマに話さなきゃいけないからッスね……?」
「そう。今回、ソルスガさまが調べてくれとワタシたちに命じた異状体の妖獣たちが、あの妖魔と繋がっていたのは今回のことで確定したしね。……ただ、いまはその報告も、ケジメの話なんかも置いておいて――――」
そもそも、ニカナグがここまでして、あんな人を信じない獣のような男に固執していたのは、ソルスガとの約束よりも先——あの森の家の三人……特にハナトの「声封じ」の呪いを解いて、助けになりたいという思いが原点だった。
しかし術式を編んで魔力を流す魔法と違い、とくに思念の糸で紡がれる呪いは、人の魂を侵す。
地下へ張り巡らされた根のように対象の魂に深く食い込み、法則がないため基本はかけた本人にしか解けない。たとえ術者本人が先に朽ちてなくなろうとも、呪いは地面に残った切り株のようにしぶとく残り続ける。
ニカナグのように〈魔法族の眼〉が使えたところで、解呪には途方もない時間を要する。
図書館で調べつくして得られた、たったそれだけの収穫を思い返して、苦い思いを抱える。
そのままニカナグは彼に向かい、深刻な表情のまま続けた。
「……妖獣が子供たちを浚ってた基準、がさ。判っちゃったかもしれないんだ。
だから、ワタシの仮説の立証のためにも、今すぐハナトくんにも会いに行かないといけない。
会って、確認しないといけないんだ」
「ヘェッ……? な、なにを? どうしてッスか?」
「もし仮説が合ってると……危ないんだよ、ハナトくんが」
「あの子、が??」
ポカンと、口を半開きにされる。発言が突飛すぎる自覚は、もちろん彼女にもある。ゆえに仕方のないことだ。
眇目が生死不明で失踪し、この仮説が立ってしまった今、まだ無事なハナトにすら、危機が差し迫っているかもしれないのは確かだった。苦しいが、ニカナグも大事なものを選び取らなければならない。
だから、あの三人のもとに行く。眇目はもう探さない。そして事情を話すにあたり、ニカナグは今度こそ、自分がこれまでにしてきた行いを小柄と共に彼らにも聞いてほしかった。
彼女は、もう迷わないと決めたのだ。
「……理由を説明するから聞いてくれるかい?」
「もちろんッス!」
頷き返してくれる少年を前に、ニカナグは微笑む。
彼の未来を自らの信念とエゴで縛ったように、ニカナグはニカナグのために、いま救わなければいけない人の命すべてに、きちんと責任を負う。
そのために、泥を啜っても辛酸を嘗めることになっても、出来ることは全部やる気でいた。
ぎゅっと拳を握り込んで、ニカナグは口を開く。
――――「あの〈稀人〉の子ハナトくんは、やっぱりトルタンダにおいて、〈大巫女〉、と言い伝えられる存在なのかもしれないんだ――――」
次の更新は 10月29日(木) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。




