172.″狗″の言葉⑫ -✕✕✕✕の還る場所-
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あれからどれくらい経ったのだろう。ニカナグは枝葉の隙間から空を仰ぎ見る。夕暮れにはまだまだ早いが、影の射す位置はかなり変わってしまった。
果樹園を出たあと、近道のため太い筋の街道を外れたのが災いして、ここはあまり人が通らないらしい。
おかげでニカナグはひとり、どこにもいかず岩に凭れて助手の目覚めを待っている。
結論だけいえば治癒魔法は、肉体の修復だけならなんとか成功したと言えた。小柄は骨も中身もきれいに繋がって、ひしゃげていた胸も元通り。魂も、変わらずそこにある。
……しかし、顔色が良くない。
さらには魔法石の力を扱ったニカナグの身体も、あれから全身をちりちりと刺すような痺れに苛まれていた。
妖魔の片割れから吸い出した妖力が石全体の汚染を高めていて、結果、即席で組んだ魔法式だけでは浄化しきなかったのだ。自身の少ない魔力も、式の強化にギリギリまで使ってしまった。ゆえに魔力切れで頭もふらふらする。
この状態で、魔力切れで死ななかったのは幸いとしか言いようがない。
……けれど、そうやって穢れを薄めても、コレなのである。
吸い出す時もいやな感じがしたが、やはり妖力混じりの汚れた魔力を使うなど無謀だった。
ただ幸いにもニカナグの方は、治療直後よりはいくぶんかはましになってきている。きっともう少し経てば、とりあえずは彼を支えても動けるようになるはず。
「小柄くん……起きて」
ニカナグはこれで何度目になるのか、力なく彼に呼びかける。
使い手がこうなるのだ。こんなものを直接流し込まれた小柄がどうなっているか、目覚めたあとの体調が少し心配だった。
その時、ピクリ、と彼の指先が動いた。祭祀面をつけ忘れたまま、彼女の海色の瞳が丸くなる。痺れが身体に響くのも意に介さず、ニカナグは慌てて側まで這っていった。
「小柄くん?!」
すると呻き声と共に、瞼が苦しそうに一度強く瞑られる。それからパチリと開いて、目前の彼女の姿を捉えた。
「……姐、さん?」
「よっ、良かったあぁぁぁー!」
「おわ」
思わず半身、上から覆い被さるように抱き締めてしまう。すると耳元からは、苦しそうな掠れ声が上がった。
「ッ、うっ、い、痛いッス……びりびり……」
「あっ、す、すまない!」
やはり同様に痺れがあるらしい。動きも緩慢で、見たところニカナグよりはるかに重症である。
起き上がりたそうにするので介助をする間も、彼は触られると呻き、重たく苦しげな顔をしていた。
けれどこの少年を助けられたことだけは、確かだった。
「だ、大丈夫かい? 動けそう? あっ、無理はしなくていいよ――」
ニカナグは安堵で泣きそうになるのをこらえながら、少し詳しく容態を聞く。やはり今すぐ歩くのは無理そうでも、意識がはっきりしていることを確かめると、ひとまず胸を撫で下ろした。
俯いた姿勢のまま話しかける。
「ほ、本当に良かった……ワタシ、小柄くんまで居なくなってしまったらどうしようって。……身体、そんなふうにしてしまってすまない。でも、きっとその痛みも、何日か休めば良くなっ……」
「――なんで、死なせてくれなかったんッスか?」
「――――……え?」
一瞬言葉の意味を受け止めきれず、ニカナグは顔を上げた。
彼はこちらを見ない。
「――なんで死なせてくれなかったんッスか、って、訊いたんス……」
その時初めて、彼女はこの少年が、身体の痛みのためだけにこの表情をしていたわけではないことに気付いてしまう。しかしやはり理解が追い付かない。
責められる理由も解らないまま、苦笑してその顔を覗き込む。
「なんでって……。そんなの、助けるのは当たり前じゃないか。仲間だろう?」
すると小柄は、「なかま……」と反芻し、それから余計に俯いてしまった。くぐもった呟きのような声が聞こえる。
「姐さん、は……、自分が――『小柄』がどうして奴隷になったか、ご主人さまとかに理由をきいたことあるッスか?」
突然の質問に、ニカナグは手のひらをピクリと微かに広げた。
「えっと? ない、ね……?」
「……自分、最初はただお金を、たくさん手に入れたかっただけだったんッス。ピカピカしたお金で、好きなもの、もっといっぱい買いたかった。
だから、山の掟で、絶対に狩っちゃいけないって決められてた獣をこっそり狩ったんッスよ。すごく立派で綺麗な金色の獣だったから……、毛皮も角も、きっと高く売れると思って。
でも、 後で知ったんですけど、その獣はスーラの国のコッキョウ? で、セイジュウ? とかって言われてる獣で。
とにかく自分、それが国で神さまの化身だって言われてるなんて知らなかったんッス……。
それで、一人で山を降りて町まで売りに出たら、あっという間にバレて、兵士を呼ばれて捕まっちゃって、それで……」
急な身の上の開示を、ニカナグは呆然と聞く。
……しかし『国教』に『聖獣』。とくると、それは人を十人殺すより、よほど重い大罪だった。
「鎖に繋がれて、引き出されて、スーラの偉い人が自分のやった悪いことを読みだした場所は、街のど真ん中だったんスよ。色んな人が見にきてました。その中には、父兄も母姉も、他のきょうだいも何人か混ざってましたけど」
そこまで言って、彼は緩慢な動作で、唐突に上半身の上着と肌着の紐を解きはじめた。
半分見せた背中には、見るも無惨に盛り上がった古い火傷の痕が、目を潰された男の生首を象っている。……奴隷の焼き印だった。
「コレ、押されるとき、山のみんな、もう自分のことは兄弟じゃないっ、て……、掟に従って二度と会わないって、自分を睨んでました。
……それ、から……『付けた名前は二度と名乗るな』……って……」
その消え入りそうな声は、いつの間にか涙声になっていた。
ニカナグは昨夜、小さな明かりを囲んで彼と語った冗談を、小柄の表情を思いだし、頭を殴られたようになる。
その間に、また震える指で衣服を着直しながら、彼は続けた。
「だから、居ても許される場所はもう故郷にはないから、自分、昨日センパイに殴られたときに目が覚めたんッス。
……姐さんには言いましたよね、スーラの山人には、もう死ぬしかない人にトドメをさす風習がある、って……」
「あ、あ、あの、瀕死の眇目くんを、助けようとした時の……?」
問いかけにどうにか返すと、彼はのろのろと顔を上げた。けれどこちらを見るその視線には何故かニカナグを責める気配が含まれている気がして、余計に彼女は戸惑ってしまう。
「……その、辛い役を引き受けてくれる山人は、〈刃のきょうだい〉って呼ばれて、みんなから優しい人、気高い人だって尊敬されてたんスよ」
「…………」
「それで、センパイは……。
センパイは、狗のみんなが重い病や瀕死の傷で動けなくなると、もう助からないってなると、……いつもすぐ殺してくれる人でした」
「ま、まってまって、それってつまり……」
背筋が凍る。感情が追い付かぬまま、それでも視線がかち合う瞬間、全部 繋がった気がしていた。
武器屋で小柄が眇目について語ろうとしたこと。あんな、どうしようもない暴力男をずっとずっと慕っていたこと。
この少年についてよくわからないと思っていたことが、嫌になるくらい符に落ちていく。
「だから、も、もう、故郷に帰れないのなら……」
ただそこからの小柄は半分取り乱しながら、ついにぼろぼろと涙をこぼし始めていた。
ニカナグが思わず伸べた手すら、おぼつかない動きでぱしりと振り払われる。
「もう故郷に帰れないのなら、せめて、せめてさいごだけはっ、センパイの手で故郷に還して貰えると思ったのに!」
その叫びに、彼女は絶句していた。
次の更新は 10月25日(日) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。




