171.″狗″の言葉⑪ -掬い上げたは正か誤か(上)-
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「そんな、辛辣な言葉を吐く眇目くんが瀕死だったあの時、君の生を誰より願っていたのは、今、眇目くんが殺そうとしている、その小柄くんなんだよ?! だからワタシは、君を助けた! なのに!!」
形振りなんて構わなかった。誰か通るかもしれないなんてことも忘れて、ニカナグは祭祀面の首飾りを乱雑に外す。本気で義憤に駆られていた。
ふわりとうねって揺れる青い髪の中で、海の底のような色をした目がつり上がる。
「わー怖い怖い! ……え、まじ? 怒ってんの? 偉そうに言うようになったねー?」
しかし眇目の調子は一切くずれない。むしろその必死さをおちょくるように、彼女を覗き込んでくる。
「……で、だからなに?」
「……なに、って」
「お言葉だけどさー、暫定サマには僕がそーんな、ゲボの出そうな恩着せとキズナで動く、優しい聖人にでも見えてるわけ? ……だとしたらキモいしウケるんだけど」
それでニカナグは、涙目になってしまう。怒ると泣きそうになるのは、昔から彼女が嫌う自身の癖だった。
それでも、例え無様に思われようとも、一歩だって退けない。湿っぽくなりだす声で叫んだ。
「み、見えないよ!? みえないさ、でも! 小柄くんは眇目くんにすごく懐いて……!」
けれど、返ってくるのは冷笑ひとつ。
「……あー、それ?
ははっ、アンタにもみせたかったなー。コイツが、バケモノに噛まれかける僕の前に勝手に立ちはだかって、いいかんじに盾してくれる瞬間! ――ほーんと扱いやすかったよねー、このクソチビ……――――あー、いーや? この便利な道具は、さ?」
言葉をなくす。
それが本当ならば、あんな扱いを受け続けてなお小柄は眇目をかばったことになる。それでなお、この隻眼は少年の献身に、冷笑を浴びせていることになる。
なぜだろう。どうしてだろう。
「君、は……」
ただそう呟く瞬間、ニカナグは、天啓のように一つだけ理解する。
不安定に積み重なった泥の地層が崩れるように、これまでの全部が覆い被さってきた。
――……そう、か。
(人を想うなんてこと。愛なんて下らない、と、眇目くんは本当に本気で突っぱねて、ここまで過ごしてきた、んだ……)
胸にはこの男に対しての、哀しみに湿った重たい諦めのようなものが、確かにスッと降りてしまう。
それは、絶望よりもなお深いところを覆うものだった。
この耳長はニカナグを硝子の置き物くらいにしか思っていないのは知っていたし、お前も他人を道具として扱うような最低な人間になる気になったかと揶揄してくる。
基本的に自分のことしか考えていない。本当に最低だと思っていた。
それでも、めちゃくちゃに嫌われてはいても、さっきこの男は、ニカナグには敵対しないと宣言してくれた。
ならば最初と比べたら薬匙一杯ぶんくらいは、自分たちにも絆のようなものができたのかもしれないと、思えていたのに。
それが今、こんなどうにもならない形であっけなく裏切られようとしている。
苦くシワを眉間に寄せ、唇を噛んだ。
ニカナグの言葉は、この男に届かない。
それは動かしようのないことであるらしい。
どうしたら良いのか解らず、小柄を前に追い詰められたニカナグは、気付くと足元に転がる、折れて尖った枯れ枝をつかんでいる。
「……なら、小柄くんを連れていかないなら、ワタシがワタシに傷をつけるって、君を脅したら……?」
それでも、諦めきれなかった。蒼血が染みて滑るそれを、首に突きつける。無謀だったのかもしれない。
その瞬間、眇目の耳がピクリと動き、苛立たしげに目をつり上げだした。舌打ちが飛んでくる。
……正直、契約の内容を振り返れば、『眇目とは反りが合わない』とソルスガにぶちまけるだけでも彼の首は飛ぶ。なのにこの期に及んで、ニカナグはそこまでの脅しはしたくなかった。
彼女が犯してきた罪の落とす影が、ニカナグの胸を締め上げている。人として対等でない立場から誰かを支配するのが、祖国を捨てたあの日以来、彼女には忌避すべきものに思えて仕方なかった。
「……。ナメたマネしてくるね?」
ゆらりと揺れる尾。余計に苛立ちだしたのは目に見えたが、確実に動揺はしていた。
しかしそれもほんのわずかの時間稼ぎにしかならない。
次の瞬間、握った枝は彼女の手から向こうの茂みへと弾き飛ばされていた。パン! と響いた。ニカナグには見えない早さだった。
「……今さぁ、アンタのそういうゲロ甘くてキモイわがままに付き合ってるヒマとかないんだけど」
慌てて枝から向き直ると、眇目はすでに一切の笑顔を剥ぎとって、影のようにそこに立っている。
言うことを聞かない駄犬に向けるかのような蔑みの視線が、もはや隠すこともなく彼女に向けられていた。低い声が、苛立ちを含んで投げつけられる。
「もういいや。お遊びはここまで。いつまたアイツらが来るかわかんないのに、暫定サマはそんなことも僕が教えてあげないと解んないんだ?? やっぱこの死にかけのクソチビの方がものわかり良いわ」
「でも! でもそれじゃ、小柄くんがあまりにも可哀想じゃないか!!」
そこでざわり、と、ここにきて彼の魔力が初めて動くのをニカナグは目にする。呪いを孕む、歪んだ魔力だ。
「――そろそろホントにその口封じようか? 僕の邪魔ばっかりしてくるどっかのクソアマと違って、こんな処理、一秒も待たせないで済ませられるし」
さすがの彼女も思わずたじろぐ。
その時だった。
絞り出すような囁きが、足元から彼女の耳を撫ぜる。暖かい温度が、眇目を挟んで屈むニカナグの手首を力なく掴んだ。
「――ぇ、さ……」
ハッと視線を伏せると、穏やかな眼差しがニカナグを見上げていた。眇目の瞳も、無感動ながらも一旦はそこへ落ちる。
……しかし横たわってフルフルと力なく振られる首は、決してニカナグを奮わせる力にはなってくれないのだった。
「姐、さ……からだ、だいじにしてほし……ス。
うけいれる、ス……。使えないどう、ぐ、いらな……、ッ、ゲホッ。じぶん……死んだら、かえ、る……ごぽっ」
苦しそうに血泡を吹き、それでも必死に伝えてくる、その意思。もう喋らないでと気遣いつつも、彼女は再び、それ以上の言葉は紡げなくなってしまっている。
『受け入れる』『死んだら替えて』
……耳にできた言葉は、ニカナグにはそう受け取れた。
自分のために身体を張るな。獣追いだって探せば代わりはいるのだから、死は受け入れる。自分が死んだら、役割は別のものにすげ替えてほしい。
……そう、言っているのだろうか。
よもやそれを、遺言にしようというのだろうか。
彼女の首が、無意識に拒絶の形に振られる。
やめてほしかった。そんな言葉、使わないでほしい。よもや彼までもが、自分を道具なんて言い出すとは思わなかったニカナグだ。
『ソルスガの管轄下で奴隷二人を御す主』などと、そんな偉くて角ばった責任を背負う覚悟は一向に決められなくても、そんな度量だって一切持てなくても、これまで人として心を注ぐことだけは、それだけは拒絶されても諦められなかった。
人に感心を持つこと。できうる限り優しくすること。
この男がクズなことも分かった上で、最初から『花登のために』と抱え込んだのだ。
だって人は変われるものだとニカナグは思ってきた。彼女自身がそうなろうとしてきているように。
何が足りなかったのだろうか?
もう少し時間があれば、どうにかできたのだろうか?
それとも、いつか分かって貰えると、信じてきたニカナグが馬鹿だったのだろうか。
彼女の宝物である祭祀面を握りしめる拳に、行き場のない力がこもる。
だがもうその問いも言葉にするには大きすぎて、彼女の口からは一欠片だって紡ぎ出せはしなかった。
その無言へ被せるように、刃のような笑みを剥き出して眇目が言う。
「……じゃ、合意の上ということで。僕は暫定サマが健やか~に、無事でいてくれればそれでいいわけー」
さっきも聞いたはずのその言葉。その裏側に潜んでいた温度のなさに、胸を切り裂かれる。
切っ先が、小柄の咬み潰れた胸の上に翳される。
全部受け入れたように、小柄が目を閉じる。
ニカナグの手首が、軽く力を込めてくる少年の手の温かさを感じている。
背後でぼろぼろと崩れていく〈四ツ足禽〉の最後の灰が、風に乗ってニカナグの横を掠める。
どこにもいけない一瞬が、永遠のように引き伸ばされた。
――ああ、ワタシは何を、みせられているんだろう。
意識が現実から遠のいて、そんなことを考えてしまった。
こんなのは、地獄だ。
瞳には全てが焼き付くのに、もうこの理不尽を止めることも、目をそらすことも、自分の甘さから逃げることも、彼女には出来ない。
けれど結局――……その終焉は訪れなかった。
なぜなら眇目の手にする切っ先が動き出すより先に、何かおぞましい気配が、三人の直下を疾って近付いてきたからだ。
ざわり。ぞわり。
訪れるそれに言葉も発せないまま、ニカナグの身体中が誰よりも先に総毛立つ。反射的に顔を上げた。
直後だ。
「あぶなかったわ、可愛い子に、せっかく繋いだ〈緒〉だったのに」「ええ、ゴミみたいなあなたたちのせいよ。全部消えちゃうとこだったわ」
――……そうして彼女の絶望の中に割って入ったものは、新たな絶望なのだった。
次の更新は 10月19日(月) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。




