169."狗"の言葉⑨ -灌木の狙撃手-
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《――ギョワァァァア゛ァァ!!》
……この茂みのどこかに、小柄がいる。ニカナグの中に安堵と高揚が同時に走った。
眇目は、それを目にしてもどこか小馬鹿にした調子で感嘆の声を上げている。
「おー、やっぱクソチビは煽てたほうが踊らせやすいわー」
一方 奇妙なことに、明らかな急所への一撃を受けているはずのこの異状体には、倒れ伏す様子が一切なかった。
ただ痛みにか、脚だけは止まる。その咆哮が、周囲の空気を震わせだす。
汚い悲鳴のような鳴き声が鳴り止む前に、ニカナグの目前からは眇目が駆け出していった。
「つーか、これでも死なないわけ?!
……ははははー、切り刻み甲斐があるバケモンだねー!」
……なんだかバケモノより獰猛な言葉が聞こえるが、とりあえずニカナグはそそくさと手近にある太い木の陰に隠れた。
覗き見る。
叩きつけるような眇目の斬擊が、歩みを止めた異状体の喉に入る。
蒼い血が迸り、着地を決める眇目はどうやら余裕の表情を浮かべていた。しかし次の一瞬でその笑みは意表を突かれた驚愕に引き攣るのだ。
先にニカナグが唖然と呟いていた。
「ええ?? き、傷が……塞がってく……」
今の剣は一閃、〈四ツ足禽〉の首左半分を確実に切り裂いていた。頸動脈なんて、急所中の急所だ。しかし蒼血は見る間に流量が減り、すぐに止まってしまった。
「……はは、これも効かないんだ?!」
《ケーティリ ケーティリ! ギャあギャあギャあ!!》
気のせいかもしれないが、その鳴き声はどこかこちらを嘲っているようにさえ聞こえる。喋るなといわれたニカナグだが、さすがに口を出さずには居られなかった。
「――眇目くん! それに小柄くんもどこかにいるよね?!
そのバケモノ、核は胸のほぼ中央に埋まってるんだ! 狙うならそこを――」
途端、ピリついた隻眼がどこか迷惑そうにニカナグに刺さった。しかし目が合った途端、特に文句も言われず目をそらされる。
同時に、また先ほどと少しずれた方角から矢が飛んできて、音もなく〈四ツ足禽〉の胸の側面ど真ん中に突き刺さる。
見るからに深さが足りないため致命傷には至らないが、また異状体は身をよじって叫びだす。
……小柄も眇目も、これは『了解』ということで良いのだろうか。
何もできないニカナグは、しばし、小山のような獣と対峙する二人の戦闘を固唾をのんで眺めることとなった。
◆
眇目が斬って、小柄が射る。
〈四ツ足禽〉は巨体の癖に異様な俊敏さだった。しかし戦闘職ではないニカナグからみても、最初から攻撃の息はぴったり決まっていたように見えた。
〈四ツ足禽〉は目前で執拗に攻撃を加えてくる眇目を敵と定めたのか、彼が前にくると猛然と前足を振る。後ろに回ると、成獣にしか生えない、竜のように太く長い尾を振るって彼を追い詰めようとする。
核の大まかな位置は分かっても、ニカナグも口頭では正確無比な位置までは伝えきれない。
妖獣は狩り慣れていないのか、眇目は俊敏な獣の隙を突いては貪欲に刃を刺し、刃の届く位置を探っているようだった。
そうして立ち回る彼が少しでも窮地に立ちそうになると、またどこからか空を裂き、矢が飛んでくる。
《ギョワァァーー!!》
これで四本目となる矢が背に突き立った。決して決定打にはならなくとも、その度に獣は大なり小なり必ず一瞬は動きを止める。
戦いの場はほぼ変わらず、二股に分かれる道の分岐点付近が主だった。
小柄の正確な位置は藪に隠れて全く分からないが、射撃の角度だけは毎回少しずつ、ニカナグ側に寄って来ている気がする。
……そうして五本目の矢が飛んだ直後、ニカナグは一度だけ、射手が茂みから飛び出てこちら側へと道を突っ切る姿をとらえた。
さらに六本目の矢が異状体の喉に突き刺さった後だ、茂みを掻き分ける気配と足音が、森を駆けてきて彼女を呼んだ。
「カナイナ姐さん!」
小柄が、どこか安堵した表情でニカナグの横に飛び出してくる。
「小柄くん……! ――ってその怪我?!」
だが、顔はこめかみを枝かなにかで切ったのか、首もとの服まで血が垂れて真っ赤だった。
「だ、大丈夫?! ちょっと見せて!」
「あわ? ああ! 必死すぎて気付かなかったッス……!」
指摘されて初めて触ったのか、指先につく血を前に「へへっ」と笑う彼へ、ニカナグは慌てて駆け寄っていく。懐から出した手巾で、血を拭って覗き込んだ。
しかし見れば幸いにもかすり傷である。
「デコの傷って、派手に見えるッスよね! ……この格好なら、姐さん、自分、冬至にある死霊祭にも出れるッスかねー?」
背後で戦う眇目を気にしながらも、冗談めかして手振りで化け物の物まねをしてくる小柄。
「冬なんてまだ先だよ。いいから、ちょっとじっとしてくれないかい?」
苦笑しながら、ニカナグは優しく彼の肩を抑えた。
この程度ならいける。いま、手元の魔法石は使えないのだ。自前の魔力でも魔力切れにならない範囲で、軽い治癒魔法をかけた。
薄青い光が彼を包むと小柄は急に黙り込む。それから、
「……こんな傷、ツバつけとけば自分みたいなのはそれでいいのに、姐さんは、やっぱり優しいッス……ありがとうございやす」
染み入るような静かな声。やはり自分とは違う世界の眩しいものを見るような顔つきで、ニカナグを見つめてくる。
それから彼はハッと表情を改め、「おわ、そうだ、相談があるんでした!」と片手を上げた。
「相談?」
「さっきから矢、射ってて気になってるんスけど、なんかあの妖獣、眇目センパイばっかり狙ってるんッスよ。 獣は、妖獣でもそうでないのも、普通は弱い獲物から狙うものなのに」
「……確かに、ここで順当に考えるなら襲いやすいのは私か君だね?」
言われてみればそうだ。小柄は強く頷きかえす。
「ッス。だから今まで子供ばかり狙っていたのかと思ってたんスけど……。
でもあの妖獣どもって、今になって良く考えると他にも変なとこありましたし、自分の獣の知識もどこまで通じるか、ちょっとわかんないッスね……」
その視線は、話しながらもやはりずっとちらほら眇目の方を注意を向け続けている。
確かに奇妙ではある。気になるもう少し意見を聞いてみたい。
「小柄くん、具体的にはその、『他にも変なところ』っていうのはどういう――――」
ただ、ニカナグが問いきるより早く、小柄は振り返った視線を戻さぬまままた一射、眇目に援護を加えていた。今はさすがに難しいか。
「……あっ、あっ? 話すのは後でもいいよ!? ……で、相談っていうのはっ?」
「――ッス! 実は自分、その妖獣が先輩ばっかり狙うって動き使って作戦、考えたんッス! それで、センパイのトコ行く前に先に姐さんにも話しとかないといけないなって思ったんで……」
そう前置きして、小柄は今射った普通の矢と一緒に取り出し、手に握っていたもう一本をニカナグの前に掲げる。
先端に付くのは通常とは異なる、どこか玉石のような光の反射を見せる赤黒い鏃だ。
「これッス! 自分、烈鏃使わせてもらいたいッス! パーンて吹き飛ばすッスよ!!」
「おお……!」
ニカナグは一旦は感嘆の声を上げるものの、すぐにあの凄まじい爆裂の瞬間が鮮烈に記憶をよぎっていく。
「おわ……大丈夫ッス、きっちり改良してあるッス!」
すると顔色を読んだのか、小柄は自信ありげに言葉を繋いだ。
「昨日の爆発の威力、アレはスーラの山で採れてた石よりもモノが良すぎたせいだったんで……。
さすがにあれは、自分でもちょっと引いたッス。センパイにもぶっ飛んでった破片で怪我させちゃいましたし……。
だから昨日の夜から作った分は、その鏃をちょっと小さく削り直したヤツも作ったッス! これを真上から背中にぶちこんで、パーン! って!」
だいぶ血なまぐさい内容を軽快な手振りで語っている。
それでもとりあえず説明の続きを促すと、烈鏃の爆発の規模は、おおむね石の質と鏃そのものの大きさで決まることを話してくれた。
「今度は、いい感じの爆発になる大きさには削れたとは思うんッスけど。……でも危ないんで、自分が合図したら姐さんには今いるこの太い木の陰からは出ないでいて欲しいッス! 自分は来た道戻って大回りでセンパイのとこまで行って、一緒にあの大岩の陰に隠れるッス!」
「わかっ……うん? でもあのでっかいのに真っ正面から射って、ワタシに合図する暇ってある……?」
「……おわ? 胴体を狙うのに正面からは射たないっスよ……? 熊とかもそうなんッスけど、矢は頭蓋骨に弾かれちゃいますし」
思ったことをつい素直に問いかけてしまったが、だめだ、今はこんな会話に時間を割いている暇はないはずだ。何もできない自分よりは、今は彼の方が有能にちがいない。
「……わ、わかった。小柄くんを信頼してまかせるよ」
言ってニカナグが頷くと、小柄は矢軸をギュッと握りながら、やっぱりふんふんと鼻息を荒くした。
「……ッス! ということでお役立ちッス! いざとなれば自分、今度こそお役目のために命をかける覚悟で……」
「いやいや! かけなくていいんだよ???」
すかさず突っ込む。
すると彼は、咎められた悪戯を反省しない子供のような顔で「へへっ」と明るく笑い、木漏れ日を浴びて、来た道を駆け戻っていった。
次回は奴隷になる前の小柄の過去が明かされます。




