168."狗"の言葉⑧ -ヨツアシドリ-
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太く乾いた木材が跳ね飛び、割れて裂ける音。冗談のような激しい衝撃。
荷台が宙を舞い、まるで雷が傍らに落ちたかのような轟音が、森に響く。
上下も左右もなにも分からなかった。
気付いたら眇目の胸に抱え込まれ、近くの茂みに転がり込んでいたニカナグだった。
息づかいに体温を感じるほど距離が近くとも、もちろんこの隻眼相手にそんな浮かれた感情は微塵も湧かない。
薄紫の目を見開き、ばくばく跳ねる心臓を抱えて草むらから起き上がる。とっさに探したもう一人が見当たらない。
「――――な、な、何、今の?! 小柄くんはどこ?!」
「痛っ……は、クソチビ? 生きてりゃその辺にいるでしょ、んなことより、」
ゆえに同時に身を起こした眇目がこちらを見てくる瞬間に、ニカナグはもう先んじて申告している。
「あ! 怪我はないよ! ありがとう!
ついでにいうとさっき言ったようにワタシの魔法石は暴発の危険もあるので使用不可、魔力吸収もさっきの妖魔への『警告』で打ち止め!
ほぼお荷物です! お守りお願いします!」
「は? 急になに、キモ……」
気味悪そうに眉をひそめられるも、次の一瞬、立ち上がって背を向けた彼の腰からは剣が抜き放たれる。でもやはりニカナグは気が気ではない。
「ねえ、ホントに小柄くんは……」
「うるっさ、黙って」
目をやれば、乗ってきた幌なしの輓獣車は道の分かれ目に生えた岩に激突し、見るも無惨に大破していた。
ニカナグが探している助手と、ついでに言うとこの荷車を牽いてきた〈雪分ケ〉二頭の姿も見当たらない。
しかし輓獣車の手前、もうもうと薄く立ち込める砂煙の中には、それらとはシルエットから明らかに違う、大きな茶色い生き物が一頭いた。
驚いて閉じてしまっていた〈眼〉をもう一度開いたところで、ニカナグも気付く。『それ』は巨体から生える太い尾をこちらに向け、車を牽いていた〈雪分ケ〉の内一頭の喉元にガブリと噛みついている。
(た、魂を吸い上げてる! 雪分ケの……!)
次の瞬間、長い毛並みを生やす大きな蹄の身体は、鋭い鉤爪の下で跡形もなく霧散してしまう。
息を呑んだ。
その化け物は体長はニカナグたちが乗ってきた、この輓獣車くらいはあるだろう。肩までの高さも、ニカナグの目の高さくらいまでは容易にありそうだ。
曲がった鋭利な嘴は、人間の頭にすら噛みつける程度には大きい。灰地に黒の、汚い斑もようの羽毛に覆われ、顔面にあたる残りの余白は、赤くて切れ長の四つ目にほぼ埋め尽くされる。
四本ある脚は鳥のような鱗で覆われ、全ての指に尖った鉤爪を生やしていた。
もはや〈虚棲ミ〉と言える形はしていない。大きさも比較にはならない。
妖獣として、捕食者として――――それは圧倒的な存在感だった。
「ところでなに……アレ? 僕ら、〈虚棲ミ〉の死骸運んでたハズなんだけど?」
不機嫌そうに訊かれるが、責めらたところでニカナグも困る。
あの妖獣は、さっきまでは確かに死体だった。ニカナグが気付いた瞬間には、もう荒布の下で、確かに死んでいるその体が不定形にうねって蠢きだしていた。
同時に感じた、強烈な妖力。
呆然とする間に、布の下にあった塊はめきめきと軋みを上げ、水を入れられた革袋のように膨らむ。
場の全員がそれを異常として認知した時には――――確かに〈虚棲ミ〉だった――――剥がれた布の下から現れた死骸は、二人が今、目にしているアレになっていた。
――そうして、今に至る。
どう見ても、生きて動いている。
あり得ないことだった。
ただ、形は全くの別物になれど、見た目に関してだけは何の妖獣か、ニカナグにも覚えがある。ソルスガの邸宅の応接室で、見せられたアビ士族の図鑑の内容と一致している。
「あ、アレは……〈四ツ足禽〉、だね……、つ、翼はもう退化して、背中に痕跡しか残ってないから、成獣のほうっ!」
「んな、はいそうですかって納得できないんだけど!」
説明したのに眇目は半笑いで、尻尾の毛をざわつかせながらキレ始めている。
「あーもー……まじでメチャクチャじゃん。つまりあいつら、子供の種類まで粘土細工みたいに変えてくるわけ……?!」
「こ、子供? あの双子のって、こと……?」
問うも、チラと睨みが返るだけで無視された。それは肯定なのだろうか。
今回の異状体にはこれまでのものと違うところがある。細くてもはっきり〈眼〉にできる妖力の糸が一本、まるでへその緒のように生え、何処へと延びているのだ。
どんな理由なのかは調べてみないことにはわからないが、眇目の発言やタイミングなどを考えると……、いまの状況に追い込まれている理由なんて、もうあの双子の妖魔が関わっているからとしか考えられない。
推測されるその因果に、一瞬、呆然と立ち尽くしてしまう。その一方で、取り乱しきらなかったのは、やはり助手の行方が気がかりだからだった。
あんな化け物に襲われて、無傷でいるとは思えない。
ニカナグの〈眼〉は目視の範囲なら魔力の波長まで見透かすが、気配探知となると、ある程度強い魔力や妖力のあるものでないと知覚できない。
小柄が今どこにいるか、全く分からなかった。思わずまた口を開いた。
「あの、すまない、ホントに小柄くんは……!? ちょっと呼んでみても――」「おい、しつこい」
気の立った視線がこちらを睨む。追加で、『殺すぞ』あたりを意味する下品なハンドサインまで返ってくる。
同時に、〈四ツ足禽〉はこちらに気づいた様子だ。
「アンタのせいでこうなってるの。ねえ、自覚ある? ……こっから無駄に口開いてくるなら、暫定サマも二度と喋れなくしてあげるけど?」
「うぇっ……」
低めた声が刺さる。言いながら彼が突っついているのは自身の喉元だった。
彼女は、この男が使える魔力的な力について改めて思い出す。慌てて口を噤みコクコクと頷く。
怖かったが、それでもあの妖獣が片付いたら、そろそろハナトの件についてもきっちり談判しなくてはならないとも思った。このままではいられない。
その間に、十メートル向こうに立つ〈四ツ足禽〉は完全にこちらを次の標的に定めたらしい。
大きくて赤い四つ目が、不揃いなまばたきの下からニカナグたちを凝視する。
しかし目前のこの成獣は、これまで見聞きした異状体らと違わず、大きさもパワーも規格外すぎた。
本物は山狼くらいの大きさだと図鑑には記載されていたはずなのに、実際のところ輓獣車は、あの小山のごとき筋骨隆々な体躯に突進され、宙を舞ったのだ。
《ケーティリ ケーティリ! ギャあギャあギャあ!!》
どこか人の声を思わせるも、異様に甲高い不快な鳴き声。
直後、再びこちらに突進してくる。ニカナグは今更、目の前の耳長族の男と迫りくる巨体とを見比べてしまった。
(――あれ?! いっ、いくら眇目くんでも、あんな小山みたいな生き物に真っ正面から襲われて、無事で済むわけがなくないか――!?)
一瞬胸をよぎる良くない結末に、背筋が凍る。
しかし、そうはならなかった。それはいずこからか音もなく飛んできた矢が、鮮やかに〈四ツ足禽〉の目玉を貫いたのだ。
――――黒い、矢羽根。
見間違うものか。突き立ったのは、〈青頭禽〉の風切り羽根だった。
《――ギョワァァァア゛ァァ!!》
……この茂みのどこかに、小柄がいる。ニカナグの中に安堵と高揚が同時に走った。




