161."狗"の言葉① -並列-
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眇目はどうやら、朝帰りをして来たらしい。
彼が帰って来ないことを気にしつつも、アネアのおしゃべりに付き合いながら眠りについたニカナグだ。すっかり懐かれてしまった。
ちなみに小柄にも寝る部屋は別にあてがわれていたが、ニカナグの部屋の前で、
『姐さんのこと、ちゃんと監視......っ、じゃなくてセンパイはそう言ってましたけど自分もちゃんとお護りなきゃなんで!』
と大真面目な顔で譲らなかった。矢作りは火を使う作業だけを先に全て終え、のこりは削り仕事などになるらしく、狭い廊下の隅っこへ道具を広げて陣取っている。
(せめて尻に敷くクッションと羽織るものくらいは使ってくれ、と渡したけど……ちょっとは寝てくれるだろうか……)
ニカナグはそんなことを考えながら眠りについた。
夜、ひっそり泣いているアネアに気づいて、静かに寝返りを打った。
それから朝、洗面以外の身支度を整えて部屋を出ようと扉を開けた瞬間だ。
――こちらへ直立姿勢をとる小柄のすぐ脇には、あの隻眼が何事もなかったかのように一緒に待機していた。
耳を傾け尾を揺らす、猫かぶりの爽やかな笑顔が、扉を開けた瞬間ニカナグと目を合わす。
「ひぇっ?!」
「おはようございます、あるじー」
「……おっ、おはようございます姐さん......」
自警団の男たちに連れられて酒場に一杯、引っかけに行ったらしいという話まではアネアから聞いていた。
……だが、今、この男が少し身動ぐと、なぜか女物の香水が甘ったるく、ふわりと香ってくる。
(うん……?)
隣の小柄はその匂いが苦手なのだろう。眇目本人からは見えない微妙な角度まで俯いて、微かに背けた顔の鼻頭にうっすらシワを寄せている。
そんな、あからさまに嫌そうな小柄の態度すら無視して、眇目は笑顔で彼と肩を組んでいた。
しかし昨日、門の下で爆発から庇われたときにはこんな匂いはさせていなかったのをニカナグは覚えている。
一方、何も気づいていないらしいアネアは、眇目の顔が目に入った途端、明るい表情で口を開く。
「あら? 護衛さん、なんだかいい匂い……」
……あさがえり。女のこうすい。ニカナグにだけ目を合わせてくる、どこか申しわけなさそうな小柄。
刹那、鈍いニカナグもギリッギリで口をつぐむことができた。
危ない。もう少しでアネアに同調して尋ねるところだった。
(……うん! 多分これ小柄くんも突っ込むなって言ってるし、絶対気まずいから、どこに行ってたかは訊かないでおこう!)
「んんっ、行こうか?!
――……本当に朝ごはんまでご馳走になってもいいのかい、アネアくん?」
すると昨日より砕けた態度をとってくれるようになった彼女は、明るく頷いた。
「え? うん、もちろん! 特使のお姉ちゃんたちは、もうウィミテーラの恩人さんなんだから……!」
「ありがたいよ、ありがとう」
ニカナグは変な言いまわしで変な汗をかきながら、そのまま階下への階段を降り始めた。
◆
……それからそんなこんなで、乾いた服に着替えて出立の時間となった。
ウィミテーラの広場中央で、鐘衝きの男が正午の七衝きを打つ。
面識のある正式な見送りと、噂を聞いて集まってきたらしい野次馬の見送りが集結して、やや寂れた雰囲気の小さな停車場はそこそこの人口密度になっていた。
三人は乗り合いの輓獣車に乗り込む。その後ろにはもう一台、別立てで〈雪分ケ〉の牽く荷車がついていた。
昨日眇目が倒した異状体の死骸を都市ニムドゥーラまで運ぶため、倒した本人が、気付けばどこぞから借りて来ていた車だった。
ちなみにこの荷車の随行を願い出たとき、荒布を捲って死骸の頭と目が合ってしまった乗り合い輓獣車の御者は、ビビって腰を抜かすなどしていた。
『ここここんな死の匂いしか運ばねぇデケえクソ妖獣を、オレらの車の後ろにつけろってか?! とんでもねぇ! 縁起がわりぃゼ! 何なんだゼあんたら!?』
しかし、御者の前に出てきて同じく難色をしめす車掌と輓獣車の警備兵には、小柄が慌てて事情を説明しだす。そこへニカナグが恐る恐る特使のメダルを見せたところで、手のひらを返したように許可してもらえたのだった。
(や、やっぱりこのメダル、凄いし怖い……)
ニカナグの性分には合わない。
そんな感想を抱きつつ、ニカナグは紫のリボンごとそれを懐にしまい直した。客車の木窓を開くと、アネアが笑顔でその下まで近づいてくる。
――「特使のお姉ちゃん、それに護衛さんに助手さん、元気でね! お兄ちゃんの最後の『魔法』、見つけてくれてありがとう……」
「ありがとう」「ありがとう」
好奇や親しみや感謝を向けて、見送ってくれる人たち。
しかしアネア含め、ウルシンの血縁や友人と見られる者たちの肩には、確かに今この瞬間も喪章の黒い布が袈裟懸けされている。よく見ると泣き腫らした痕跡のある顔で笑っている者もいる。その死は、一見明るく笑っている彼らの底にまだ流れているのだ。
そこにニカナグから言えることなんて、何もない。
だが横を見やると、小柄もぜんぶ分かった様子で、それでも笑顔で外に手を振っていた。
故に彼女も窓から身を乗り出すと、
「アネアくんも元気で! また、会えたら――!」
吹きだした風に〈祭祀面〉の淡い金髪をなびかせながら、そんなことを言って手を振り返す。
その様子を眇目だけが静かに、まるで奇妙なものでも眺めるような視線で見物していた。
そうしてアネアたちが見えなくなるまで手を振り終えたとき、客車の背ろに変わらず目に映る人間と言えば、騎獣に跨がる、この乗り合い輓獣車の護衛たち。
それから、死骸を運ぶ方の輓獣車を操る御者二人だけになる。
あの二人は聞けば町の自警団に属する男女らしい。
いつの間にか あの幌なしの輓獣車ごと手配していた眇目が、そう説明してくれた。
シルエットからして一人は人族か魔法族、もう一人は耳長族だ。
ただ、二人とも日よけの薄いフードを被っている。風で落ちないよう顔の前面をほぼ覆うため、顔つきは終始よく分からなかった。しかし幌屋根もない車なので仕方ない。
さっきニカナグも一応、荷主として『よろしくお願いします』と声をかけては見たものの、男の方に沈黙と首肯で返事をされただけだった。なんと言うか、
『――暫定さま、コレ、ご主人さまに献上するんでしょ? 僕偉いから自警団に掛け合ってきたの、感謝してー?』
と、この二人と妖獣をつれて不遜に話しかけてきた眇目以上に態度が悪い。
それでも三人の移動にあわせて、ソルスガの屋敷まで随行してくれるらしい。……まだ帰路の途中に寄るところはあるし、ありがたいことである。
(小柄くんも、妖獣を捕まえて献上したいとは言っていた。生け捕りではないけど、これで少しは調査が進めばいいな)
ニカナグは窓枠から身を離しながら思う。検死は専門外のため、着いたら死骸の調査は人に頼むことになる。
(そういえば眇目くん、『僕の仕事は護衛だけ』って、威張ってたのに……、やっぱりそうは言っても成果はソルスガさまに見せたいんだな?)
中身はどうあれ、やる気はあるし有能ではある。
祖国を逃げ出す以前まで、ニカナグについてきてくれていた助手を思い出す。彼も皮肉屋で口も悪いが仕事はした。そして口調は、小柄にちょっと似ていた。
「……どうしてるかな、彼」
「――彼って誰?」
「え」
問いかけられて、ここまで驚くこともそう無い。
今日、護衛の眇目は彼女の背後を取らなかった。
ニカナグを一番後ろの列に座らせ、その目前の席に座っている。――その問いは確かに、そこから聞こえたのだ。
「え……? え……っと……?」
「彼って誰?」
振り向いて彼女を見る隻眼に、三角耳が斜めに垂れるくらいには困惑する。彼の隣に座る小柄も、ニカナグとだいたい同じ表情をしていた。
答えてもいいが、それよりはいきなり、どうしてそんな――。
「わ、ワタシに興味ないんじゃ、なかったのかい……?」
不気味に思って思わず問い返してしまう。すると途端にその顔は、ふい、と猫のような気まぐれさでまた前を向いてしまった。
「あー、そう。ないんだったね。んじゃいいや」
(え、ええ……?)
質問されたのも予想外だったが、その態度自体も、ともすると昨日、水小屋で詰め寄られる以前の彼のように――ただ不遜なだけの態度に戻っているようにも思える。
猫かぶりで優しさを振り撒いてくる時をのぞき、もう周囲に誰もいなくてももういつもと変わりない調子だ。
それも、朝からずっとである。
どうしたんだ。なにがあったんだ。ニカナグに怒っていたのではなかったのか。
……これではまるで何事も、なかったかのような。
「眇目くん……」
「は? なに?」
「すまない、その……。酒場でなんか変なものでも食べてきた?」
「なに、バカにしてる? 昨日のこと別にちゃんとぼくも記憶してるよ? ナメてると暫定さまでも〆るからね?」
「ヒェッ?! すすすすすいませんでした~!」
しかし凄まれるとやはり怖い。違和感を覚えつつ、ニカナグはあわてて目を逸らすのだった。
◆◆◆◆
軽快に走る輓獣車のすぐ後ろ。吹きさらしであるこの場所にも、心地よい温度の風が吹き抜けていく。
太陽も明るい。御者台の上で、彼女は心地よさそうに目を細めた。フードを外すと、灰色の長髪が風に靡いた。魔法族の尖り耳。陶磁のような白い膚と人形のように整った目鼻立ちが、陽に透けてどこか無機質な美しさを放つ。
彼女が妖魔の証であることを示す角は、今は術で隠されていた。
「……ねぇ、片目耳長。ハリは上手くできてると思うかしら?」
「知らない。ここからじゃ車輪の音の方が五月蝿くてなんも聞こえないしー。……ていうかあんまり話しかけないでくれる? 別にこっちは、アンタらの事情に深入りしたくない」
ジョセが問いかけても、隻眼の耳長族はそっけなかった。




