159.ニムドゥーラ①/4 -大鐘楼の中央広場-
読了目安→5~8分
ここまで結構重いお話が続きましたので、すこし視点をずらして、口直しに二話続きのイチ・フィー・花登回です。
車輪が回る。座席が揺れだす。
翌日の朝は、昨夕の嵐のことなど忘れたような快晴だった。
まだ湿り気を感じる朝の空気の中、イチヘイたちを乗せた乗り合い挽獣車は、都市ニムドゥーラの大門をくぐろうとしている。
白い壁に囲われた、都市の新市街を囲う門の前では、やってくるすべての人間に対して身分の提示が求められる。
全ての確認が終わった今、再び動き出した車両に警備兵たちが軽く敬礼を送ってきた。
傭兵として働いてきたゆえに、彼らが都市内に武器を持ち込む者に対して、入門税を求めてくる事はイチヘイも知っていた。治安維持の為と聞かされ、それは納得している。だが、
「……まさか、連れてる獣にまで税金を取ってくるとは思わなかったな?」
ぼやく。
五百ビニー、毟られた。モノに換算するならばパン一個と酒一杯分ほど――、本来は別に、大きく痛手になるような額ではない。入門税に比べても半額だ。
しかしそもそもイチヘイは、この猫に金を使わされたということの方が釈然としなかった。
赤い房飾りのピアスを揺らしながら、イチヘイは自身の前列にある席を覗きこむ。窓際で、兵士を物珍しそうに見つめる少女に抱かれた〈刷毛尾猫〉に向かって、乾いた視線を向けた。
『ニャァーン?』
しかし猫は、尻尾をゆらりと一つ振って半笑い。自分は関係ない、悪くないと言わんばかりだった。
ムカつく。
「……なあ、フィー。今取られた金の分、感謝もできねえ猫チャンの飯から抜いていいよな?」
半ば本気の目で自身の右隣を向くと、彼女は杏子色の耳を片方斜めに倒し、楽しそうに笑って応えてくる。
「んへええ? 良いのよぅー、ミミちゃんいっつもお行儀悪いしー……。『ありがとう』大事よぅ?」
『ミャッ、ニャアッ!?』
不満そうな叫びが花登の背中越しに聞こえるが、しかしその反応があまりに『人語を解している』ように聞こえすぎたせいだろう。通路を挟んで隣に座る客たちが、不可解そうな視線を送りだした。
その途端、縞の口は頭に青い額飾りを巻く少女に塞がれる。ムミュッ、と変な鳴き声が上がった。
《ミミ、静か、ね》
それから花登は、これでよし! と言わんばかりのどこかすました笑みで二人を振り返ってくる。するとその黒髪を、フィーが「さすがハナトちゃん、これなら獣使いになれるのよぅー?」と、によによ笑いながら撫ではじめた。
イチヘイは自身の前を斜めに横切ったそのしなやかな腕から、持ち主の横顔へと視線を滑らせる。
花登が来てから、今日で九日になる。
――あれからフィーは、かなり安定していた。
態度は相変わらず無邪気で、時々はまともだった時と同じような表情を覗かせ、それでも不安定で、やはりどこか様子はおかしい。
だが、前より良く笑うようになったことだけは確かだった。
〈音消し〉は、まだストックがあるため使ってはいる。夜になると響く哭き声と笑い声も相変わらずだ。ただその慟哭も前よりは少し大人しく、耳に届く頻度も下がっている。
やはり花登が来たせい、だろうか。イチヘイは目を細める。
それとも――、
(それとも、俺が部屋の前に付くようになったから、か……?)
そうだと、いい。
気にかけることは無駄ではなかったのだと思いたい。
花登に他愛ない言葉をかけて、んへへへ、と細まる翡翠の瞳に、イチヘイは心を向ける。
すると彼の胸の底は、やはりざらりと、言い知れぬものに浸されるのだった。彼は黙って胸に手を当てる。
イチヘイはフィーを守りたいと、思っている。
それは確かだ。それでもここ数日過ごしてみて、この感覚には何か、やはりそれ以上の何かが隠されている気もした。
これは何なのだろうか……?
理由を求めたとき、ふと、じっと見つめていた横顔がこちらを向く。
「......どうしたの、イチ?」
「いや……」
とりあえずまた、控えめに頭を撫でておくことにした。杏色の頭頂はふわふわと柔らかく、暖かい。
フィーは一瞬、意表を突かれたように眉を上げたが、すぐに半分昇った月のようなその両目を綻ばせる。
「んえぇ? ありがとうなのよぅ」
「おう……」
祈る神など持たない。
それでも、こんな穏やかな日が続けばいい。もう無理はさせないゆえ、このままいつか昔のフィーが戻ってきてくれればいい。彼は願う。
女々しいだろうか。
そんな思いを抱いてしまうことを誤魔化すように、イチヘイは逸らした目で騒がしくなりはじめた窓の外、ニムドゥーラの人ざわめきを静かに眺めた。
◆
時刻が九時を回った。
途端、ほぼ真上から響いてくる大鐘楼の鐘の音は、信じられないほどに五月蝿い。朝の四突きと呼ばれる鐘だ。
イチヘイはその大音量に顔をしかめながら、乗ってきた輓獣車の荷降ろしを待っていた。ここはニムドゥーラ大鐘楼のすぐ隣に位置する、乗り合い輓獣車の集積ターミナルである。
ただ、そうでなくてもここは獣の嘶きと、出発を告げるベルの音と掛け声、さらにいろんな種族の旅客たちがひしめいていて、鐘楼の鐘が鳴りやんでも単純に騒がしい。そしてかなり広い。
客車を牽いてくる獣が落とした糞の臭いが薄く立ち上るなか、イチヘイはぼんやり、新しく出立する旅客便の群れを眺めている。さらにしばらく待って、ようやく花登の鞄が屋根の上から引き下ろされてきた。
「はいよ! これで最後だっ!」
獣人種の御者から、四角い革鞄が引き渡される。服と一緒に揃えたその背負い鞄を両肩で負った花登は、ニャーとしか鳴けない縞にその上へ乗るように促した。
それから三人は明日のソルスガとの面会、さらに翌々日、カナイナに花登の声が出ない症状について詳しく調べて貰うため、旅荷を携えて歩きだす。花登の背中には追加で、
「ニャッ!」
縞が、追加のお荷物には見えないふてぶてしい面構えで鎮座していた。その表情を目にしない花登は、満足そうに魔石具の筆記板と自分の言葉とで話しかけてくる。
【イチ兄、見て。この鞄、ミミ、上に乗せるのにぴったりだよ。買ってくれて、】
《……あい、がと!》
ただその文字も、言語も、今は同郷のイチヘイにしかわからない。お師匠の魔法の有効範囲を出てしまったせいだ。花登本人は〈天賜〉らしき能力でこちらの言葉を理解するが、彼女が話す言葉そのものはこちらの言葉には変換されなくなっている。
イチヘイは、目が合う猫の勝ち誇った態度と満足げな花登の善意とに引き攣れるような戸惑いを覚えつつ、とにかくは
「よかったな……?」
とだけ返しておく。
それから一行は中央大広場に出るが、花登は周囲の全てが珍しいのか、『あれは?』『これは?』と自分の意思を理解できるイチヘイだけでなく、フィーまで突っついては身振りで質問する。
ただ、それは広場中央に聳える〈門〉の前を通ったとき、だった。問いかけられたフィーが口を開く。
「アレはねぇ、〈門〉なのよぅ」
《げーな……》
相変わらず騒がしい広場の喧騒。
周囲にたなびく五色の旗。
くゆる香の煙。
そんなものに包まれながら、呟いた花登の顔色が、やや変わる。
これは、花登の話を聞いたかぎりでも彼女が『来た』時の〈門〉とは絶対に別のものだ。
それでも思う所はあるのか、彼女は瀟洒な彫刻に埋め尽くされた、白亜の古代遺物を見上げている。
――【ホントに、もう帰れないの?】
そうして唐突にポン、と黒い板面に浮かんだ言葉を、読めるのはイチヘイだけだった。意表を突かれつつ答える。
「……前にも言ったが、残念ながら。な。〈門〉は、どれも一方通行だって言われてる。
そもそも、俺たち人間の力では操れない古代異物だ。お師匠も、人間が扱える魔力と帯びてる力の性質が違うから無理だと話してたし、発動の瞬間に立ち会うこと自体まれって話だ。
ソルスガも言ってただろ? 俺の来訪記録からお前が来るまでの間に、〈稀人〉がきた記録はない、ってよ」
神妙な表情が静かに彼を見上げてきた。
彼はその瞳に僅かにたじろぐ。
彼女は、家に帰りたいのだろうか。だがその感覚は、イチヘイには分からない。少なくとも彼が帰りたい場所は、向こうの世界にはない。
そこへイチヘイの一連の返答でなにか察したのだろう、フィーが横から割り込んでくる。困ったように耳を倒し、花登を覗き込んだ。
「んええ……。ハナトちゃん、行こう……?」
ピンクの肉球のついた手が、そっと差し出されていた。
「ボクもねぇ、もう父さまとマァマが待ってるお家には帰れないの。だから、一緒なのよぅ……」
花登にはフィーの境遇について、イチヘイが彼女から聞いた限りのことは既に話してある。だからだろうか、一瞬、狂人うさぎよりも少女の方がどこか大人びた顔をする。
それから花登は《ぬ……》と小さく頷いて、その手を取ると並んで歩きだした。
「んえぇ、イチも行こ!」
「…………」
彼女に手を握られて安堵した様子で、フィーがこちらを振り向く。
その瞬間 彼もなんとなく、この小さい居候にも絶妙に無理をかけていることを察した。
「んええ、ほら行こう、早くお宿見つけなきゃ!」
が、やはりどうしたら良かったのかなぞ、イチヘイには分かる訳もない。はっきりと言い過ぎたことだけは自覚する。
ただ今は、相棒の声に引きずられるように黙って歩きだすだけだった。二人の後ろ姿をじっと眺める。
「……なあ、宿に荷物を置いたら、」
それからしばし考えたあと、イチヘイは振り向く二人へ提案した。
「花登にも小遣いやるから、後で買い物に行かないか……?」
――その対応が正解だったのかは分からない。
ただ、それを耳に入れた途端にフィーが、
「んえっ……。イチが……イチがハナトちゃんに今までで一番すごく優しい!?」
と驚愕の表情を見せだし、終いには、
「――イチ、イチどこか身体たいへんだったりしない? 大丈夫?!」
「あ゛? ……嗚呼? いや、しない。別に熱もない。落ち着けって」
至近距離からイチヘイの深紅の両目を覗き込んで、なにやら大仰に心配をしはじめる。
そんな相棒を苦笑いで押しやりながら、それはつまり、選択としては外してはいないのだろう、と彼は考えることにした。




