156.彼の魂の価値⑧ -″自己満足の自慰″-
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「やーっぱりお花畑ちゃんは、どこまでいってもアタマくるくるお花畑ちゃんだったわ! ちょっとはマシかもなんて思った僕が馬鹿だったね。
これじゃー、クソチビの方がよっぽど物分かり良いよ」
そうして気だるげな仕草が、ため息とともに足元の少年を示す。
「……んじゃ、なーんにもわかってない、僕たちみたいな哀れな奴隷にも激甘な暫定サマにも、教えてあげようか? ……まずさぁ、この役立たずのクソチビがやらかしたのは、職務怠慢と職務放棄なわけ」
小柄はその言葉にピクリと震えると、明らかに肩を落とす。眇目は怒りも露わに、鼻にシワを寄せて続けた。
「僕さー、昼間もあんたに言ったよね?
『いくら僕が仕事したって、当の荷物にそんな勝手されると護衛のしようもない』って。
……ねえ、さっきのアレ、なに? あんな、自分の立場も、後先も考えないクソみたいな蛮勇に、僕がシッポ振って感謝するとでも思ったわけ?
暫定サマさー、忘れてない? 僕とコイツは、そもそもあんたみたいな日向育ちのお嬢さまとは、立場が違うってことをさ」
――そんなの、理解しているつもりだった。違うからこそ、ニカナグなりに歩み寄っているつもりだった。
他人に興味を持つこと。
できうる限り優しくすること。
なのに何を間違え、ここまで拒絶されるのか、彼女には理解が追いつかない。
「それ、は……、どういう……」
「はーっ、流石だね!? まだ履き違えてんの? ここまで言わないと分かんないんだー!」
眇目は心底 蔑むような視線をニカナグに向けた。ひどく面倒臭そうに舌打ちをする。
「あのさぁ……。結局、あんたはただ、かわいそーうな道具に優しさを振り撒いて、無邪気な顔で足引っ張って、自己満足の自慰に浸って気持ちよくなりたいだけでしょー?
その、ゲロみたいにくっさい偽善でさ」
「う、ぇ……?」
その下卑て苛烈な罵倒に、ニカナグはとっさには返す言葉を見失う。そこへ追い討ちをかけるように、この片目の男は言うのだ。
「ホーント、あのアネアとかいうメスガキも、その家族も、自分が気持ちが良くなれるような妄想に好き勝手に浸ってさ。
……ウルシン? だっけー? ソイツのしたこと考えたこと必死に解釈して、納得しようとしてたねー?」
ポカンと開いた口と目の隙間のぶん 無防備に驚く心を、眇目の冷笑がじわじわ侵略してくる。
「『人が、人をおもう』?? はっ、アイツらの会話、聞いてて吐き気がしたわ。
僕に言わせればさ、愛ってマジで気持ち悪いよ――――」
◆
――――ぴちゃり。
水滴が一つ、水小屋の天井から落ち、湯船に波紋を広げた。
眇目はそうやって言いたいことを言いたいだけ吐き出すと、思考の停止するニカナグの顔を眺め、『じゃあねー』と楽しそうに笑んで小屋から出ていった。小柄も一度だけ取り残される彼女を振り返り、やはり無言で去った。
そうして気付けば一人、風呂の湯に浸かるニカナグである。
ぐるぐる考えを巡らせ過ぎて、どう服を脱いだのか、どのように髪にこびりつく泥を落としたのか、振り返ってみてもその実感が全部不鮮明だった。
〈祭祀面〉のままの白い鼻先を、湯船に浸ける。
『結局、あんたは優しさを振り撒いて、自己満足の自慰で気持ちよくなりたいだけでしょ』
『はっ、人が、人を想う?? ホーント、愛ってさ、気持ち悪いよね』
『違う』とも言いきれる反面、『そうなのかもしれない』とも不安になる。かと思えば、『理解に苦しむ』と首をかしげて拒絶したくなる。
眇目が吐き気がすると鼻で笑っていた、ウルシンに関する結末についてもそうだ。
ニカナグは回想する。
あの後、旧村の広場には雨具を纏い、どこか緊迫した様子の男たちが数人、武器を携えて現れていた。
そぼ降る雨の中、どこか気まずい空気を纏い、まだ屋根の残る家の軒先で黙って雨宿りするニカナグたち。
そこに、彼女らを見つけた町の男たちが声をかけてくる。
ちなみに男たちの中には、娘を心配して付いてきた父ダンと、工房の前では姿を見なかった先ほどの祖母の姿もあったため、顔を合わせた瞬間からアネアは二人のそばに駆け寄っていく。
裂鏃の炸裂で小柄が倒した大樹の地響きは、どうやらウィミテーラの町にまで届く凄まじいものだったらしい。
彼らは町の有志で結成された自警団で、一部の者が様子を見に来たということだった。
『北の旧村からすごい音がした、何事かと町で騒ぎになっている』
『原因はもしや、あの大木が倒れたせいか?』
『ここで何があったか、よかったら教えてくれないか』
丁寧にそんなことを尋ねられた。
思えば異状体の〈虚棲ミ〉を、ニカナグが消し飛ばした瞬間から眇目はずっと不機嫌だったのだろう。ただ部外者のいる手前 張り付けた笑みは絶やされず、男達が来るまでも来た後も、特別なにかを話しかけてきたりはしなかった。
ゆえに眇目ではなくニカナグが説明を交えながら、彼が倒した〈虚棲ミ〉の死骸の前に案内する。彼女の護衛は結局、核を潰さずにこの一頭を倒していたのだ。
『なん、だ、このバケモンは……』
蒼血を流し、赤眼を見開いて絶命している異状体を前に、一同はあからさまに怯えつつ驚いた様子を見せていた。まあ、こんな居るはずもない巨大な〈虚棲ミ〉を目にしたら、誰だってそんな反応になるだろう。
また、小柄もあの時から終始消沈し、ほぼ黙り込んだままだったが、それでも自身が木の上で目にしたものについてだけは、まるで義務のように口を開いていた。
『赤色が目立ってて……服の生地みたいに見えたんッスよ……風でヒラヒラ動いてて……』
するとその言葉には、ダンと隣の祖母の表情が微妙に曇る。そうして二人に請われるままに、小柄はその目にした『ヒラヒラ』の元へ皆を案内しはじめた。
ニカナグたちも、黙って付いていく。
『見えたのは、多分ここッス……』
彼が示したのは、崩れて斜めにひしゃげた家の屋根である。
そこには男物の衣服が一式、通り嵐にびっしょり濡れて、腐りかけた屋根の上へ標本のように張り付いていた。
『……お兄ちゃんの、服だ』
その瞬間の、アネアの乾いた声が、未だにニカナグの耳から離れない。
小柄が目にしたという赤は、当日、ウルシンが腰からぶら下げていたという汗拭きの手拭いだったのだという。
『ありがとう、特使さま。助手さん。護衛さん。
私のこと、励ましてくれて……』
男たちの手で引き下げられてきた手拭いを、アネアは胸に抱いて口を開く。縁かがりに刺繍をして、兄の誕生日に贈ったものだと、彼女は語ってくれた。
その、どんどん潤みながら紡ぎ出されていった彼女の言葉も、ニカナグはきっとこの先も忘れないだろう。
『……ホントは、ね? 全部分かってたんです。お兄ちゃんは、もういないって……。
でも、やっぱりどこにも見当たらないから、分かってるのに、どこかにいるんじゃないかって、諦められなくて……、それでもあたし、お兄ちゃんに会いたいって、ずっと、思って……』
ついにぼろぼろと泣き出すアネアを抱き寄せて、父と祖母も唇を噛み、沈鬱な表情をしていた。
けれど、誰もニカナグたちを責めない。出会い頭にはあんなに取り乱していたダンですら、事情を聞いて、小柄に向かって口にするのはやはり礼の言葉なのだ。
『うちの息子を、見つけてくれてありがとう。きっとウルシンは、ここにいたという最後の痕跡だけは、見つけ出してほしかったんだ。だから円環の河に還れない代わりに、最後の力で必死に、祈ったんだろう……』
するとそれに、ウルシンの祖母も絞り出すように同調する。
『そうだね、ダン。きっとそうに違いないね。
怖かったし、苦しかっただろう。これはきっとあの子が、私たちに最後に残していった魔法……。いや、『呪い』なのかもしれないね……』
(呪い、だなんて言い方するのか……)
そして戸惑うニカナグに向き直り、彼女もまた礼を言う。
『特使さまたち、孫を見つけて下さいまして、本当にありがとうございました。……それにこれで、街の皆もまた安心して森を歩けるようになりますからね』
その言葉には、周囲の男たちも確かにそうだと頷きだす。
どの言葉にも、どう反応していいかニカナグはわからなかった。それは、ここまで彼らを案内した小柄も同じであるようだった。
ニカナグが視線をやった時には、小柄は重く戸惑いを潜めた瞳をしていた。握手を求めるダンに手を取られながら、彼と全員を見渡す。
『いや……。……自分は、結局は何の役にも立てなかったッスから……』
けれどそのとき、輪の外に立ってそれを聞いていた眇目がどんな顔をしていたのかなんて、……あの瞬間は気にも留めなかった。
故にあんな風に考えていたことすら、ニカナグは気付きもしなかったのだ。
「…………。」
彼女が、眇目の突き刺してきた言葉の群れに全く傷ついていないかと言えば、嘘になる。けれど正直、考え方があまりに違いすぎて、傷付くより先に衝撃を受ける度合いの方がよほど大きくなってしまった。
水面にぶくぶくと泡を吐き出しながら、彼が、何をどうしてそのように考えるに至ったのか、ニカナグは考えてしまう。
考えれば理解できる、解り合えるという暖かな望みを、この学者上がりの逃亡者は、まだどうしても捨て切れないのだった。




