154.彼の魂の価値⑥ -通り嵐-
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波乱の到来を告げるように、遠く近く雷鳴が響く。
この時期エナタルの麓を襲う通り嵐は、一度降りだすと雨足も相当に激しい。
だがここの〈門〉には、屋根がなかった。
見渡せば屋根が無事な家はまだあるが、この状況で『出るな』と言われた〈門〉の下から出ていくわけにもいかない。
ニカナグはやむなく、降りだした雨へめいめいに暗い顔を見せる二人に魔法をかけた。〈水避〉と呼ばれる、『身体に落ちてくる雨の角度を外向きに散らす魔法』だ。
一方、彼女は藍色のローブのフードを被るだけにしてしのぐ。有限の魔力を継続的に削る魔法のため、三人分は勿体なかった。
ざあああ、と降りだした雨は薄い天鵞絨のようで、向こうで〈虚棲ミ〉に対峙する眇目の気配や音をかき消してくる。
それでも灰色の雲と雨水の幕に、足元の泥は跳ね、銀閃が輝く。
〈虚棲ミ〉はいまだに素早かったが、じわじわと動きが鈍っているようにも思えた。小柄が穿った穴から隙を突いた眇目が削り刀を引き抜いたことで、徐々に血を失っているのだ。
加えて、眇目手ずから刺突した剣が一撃、二撃、惜しくも急所を外しながらも、確実な手傷として腹や胸に刻まれていた。
ニカナグは、眇目と戦うその異状体をじっと観察する。
この化け物は、さっき追いかけてくる途中から小柄を綺麗に無視しだした……ように見えた。
話を聞く限りずっと子供ばかり狙っていたのに、あの瞬間は丸腰の小柄よりも、殺気マシマシで目の前に立っていた眇目の方を脅威ととらえた、のだろうか。さすがに違うだろうか。
(まあとりあえず、こっちはこのまま倒せてしまいそうだな……)
ちなみに今、もう一頭の方を〈魔法族の目〉で気配を探ってみても、いまだに木立の向こうで立往生したままになっている。小柄の足止めが効いているようだ。あれはうまく行けば生け捕りにできるかも知れない。
その薄い安堵で、ニカナグはここでの自身の役目は終わったと感じた。
急にどっと疲れを覚えて、森に入ってからずっと開きっぱなしにしていた〈魔法族の眼〉をようやく閉じる。
この能力には魔力は使わないものの、広範囲の探知に神経を割きだすと精神的にかなり疲れる……ということを、ニカナグも今日初めて知った。
その上、足止めを食っている妖獣の位置が大樹の下にいたときより離れたせいで、探知範囲を無理に広げる羽目になった。無理やりなので端に行くほど正確性にも欠け、そのくせ必要以上に磨耗する。
こんなに長時間、この用途で〈眼〉を開きっぱなしにしていたことはなかったが、あまり長くやるべきではないのだろう。
ニカナグは後ろを振り返る。
降り出してしまったこの雨が、二人に投げかける意味はそれぞれに重たい。特に小柄が暗いのは、アネアの期待に応えきれなかったせいなのだろうとニカナグは思っていた。
「その……追跡は失敗しちゃったけど、異状体は一頭は捕獲できそうだし、……それに小柄くんがさっき言ってた、『ヒラヒラしたもの』も、後で確かめに行こうか? きっとウルシンくんに繋がる何かだよ」
どうにか元気になって貰えないかと主に小柄に向かって語りかける。
「……ッス」
しかしやはり、表情は変わらない。
どうすれば良いのだろうと手をこまねいた瞬間、しかしフッと顔を上げた小柄の視線がニカナグの顔を――、
「……お……わ?」
――……いいや正確には、ニカナグを通り越して雨幕の向こうにけぶる景色を、訝しげに細めた目で見つめ出していることに気づいてしまう。そしてそれは、小柄の声につられて顔を上げたアネアもだった。
「どう、したんだい……?」
「ね、姐さん……」「特使さま、アレって?!」
同じタイミングで口を開く二人の声を聞きながら、ニカナグも振り向いていた。
「いったい、な……」
『に』までを声にするまでもなかった。まばたきと共に数瞬、目を凝らしたニカナグは、その存在に気付いて一瞬で自身の油断を後悔する。
――倒れ伏した大木の枝葉の陰に、錆色斑の塊が現れたり隠れたりしていた。
それは、異状体の〈虚棲ミ〉に違いなかった。横たわる幹と枝葉をジグザグに跳躍しながらまっすぐにこちらへ近付いてくる。
背後から、小柄の動揺する声が上がった。
「お、おわ、何で……!? さっきのあれは、確かに家の下敷きで動けなくなってたッスし?!」
言わんとしている事は伝わるため、即座に再開した探知で探りを入れる。
「い、いや、あれは別の個体が現れたんじゃなくて、同じ個体、っぽい……」
「ヘェッ?!」
すっとんきょうな声が聞こえる。だがすぐに、彼女はもっと大きな問題に気付くのだ。
(うん? まって? それよりアレは誰を襲おうとしてる?! いま眇目くんは何をっ――?!)
慌てて片目の男の所在を確認する。
彼はまだ、戦っていた。
大樹には背を向け、いまだ二頭目の存在を察知している様子はない。
あんな巨体がおおっぴらに走り回ってなぜ気付かないのかと言えば、理由なんて一つしか思い当たらない。音だ。雨音が激しすぎる。
ニカナグは自責した。こんな状況で、一瞬でも油断した自分が全部悪かったのだ。
それに、
(こ、このまま眇目くんが、異状体と二対一になったら――――?)
瞬間、ニカナグの思考の火花が、目の前を白く染めるほどにばちばちと散る。
敵は猛然とこちらに向かってくる。
物理攻撃で食い止められる者はいない――つまり魔法で迎え撃とうにも、迎え撃つための魔法を、ニカナグが詠唱するだけの時間は稼げない。
しかも眇目と魔法の連携は取れない。下手をすると、彼も巻き添えになる。
……しかしそれでも、ニカナグの懐にはエニの手で浄化してもらい、彼女の魔力を貯めさせてもらった魔法石があった。
さらにあれの走ってくる道線を考えると、異状体はニカナグ達を狙うにしても、眇目に襲いかかるとしても、一度はこの〈門〉の側を通る。
このまま眇目に飛びかかられたら、ここから呼んでも叫んでも、彼は奇襲される形になる。最悪の想像が胸をよぎる。
……だからパチン、と彼女の中でぜんぶ何かが勝手にハマる音がして、
「……すまない、二人とも。多分その〈水避け〉の魔法、構築式も魔力もめちゃくちゃになって、解けてしまうと思う……」
夢遊病者のように呟いていた。
それからニカナグは、〈門〉の下から外れていく。
一歩目は、ふらりと。
しかし二歩目からは緩やかに駆け出している。
アネアの驚く顔も、小柄の止めようとする声も、もう彼女の意識には入らない。
「――眇目くん、危ない!!」
気付けばそんなことを無我夢中で叫びながら、彼女は異状体に向かって突撃していた。




