153.彼の魂の価値⑤ -ウロズミ-
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小柄に声を向けてから十数秒もない。
それは小柄が〈烈鏃〉と呼んでいた矢の、二発目の爆発だったのだろう。突然眇目が駆け戻ってきて、ニカナグの腕を引く。
〈門〉の柱と彼の身体の影に庇われた直後、白い閃光と爆音が再び炸裂した。
そのまばゆさにニカナグが目を瞑った瞬間、五十メートルほど離れた爆心地から、頭のすぐそばを
『ビュンッ!』
となにかが音を立てて掠めていく。
一瞬の輝きの終わりにこわごわ振り返ると、〈門〉が建つ台座の端に、尖って切り口も新しい生木の木っ端がいくつか転がっている。
木の根、のようだった。
(……え、今の爆発で飛んできたという、こと?)
じわりと背筋が凍った。
「――……二人とも怪我は? 傷はできてませんね?」
そして声に頭を戻すと、眇目の身体の近さに改めて気づく。
隻眼は相変わらず器の罅割れを検品するような目付きでニカナグを見ている。なのに、今はそこへアネアに向ける猫かぶりが肉付けされ、パッと見では本心が何なのか本当にわからなかった。
おかげでアネアの方はすっかり絆されている。が、
「ないです。護衛さん……」
「う、うん? ぴんぴんして――――え、ちょっと眇目くん?!」
それでも彼を目に映した瞬間、ニカナグは少女とは別の意味で彼に向かって目を見開いていた。
なんとなれば、〈門〉には個体差がある。ニムドゥーラ中央大広場にあった〈門〉ならいざ知らず、ここの〈門〉は全体的に小さく、細く、華奢なのだ。
ゆえに女子供二人が、咄嗟に並んで隠れ切れなかったぶんの横幅を爆風から遮ったのは、眇目の長身だったのである。
ニカナグが見上げた彼の左の側頭部には、ぱっくりと裂傷ができていた。だらだらと垂れて滲む血が、黄土色の毛並みをつたい黒布の眼帯に染み込んでいく。
「……す、眇目くん、血が……!」
慌てたニカナグはとっさに懐の汎用魔法石を握りしめ、治癒魔法を当てようともう片手を伸べた。
「あーいいです、あるじに怪我がなければ」
「い、良いって言っても……!」
「っ、……今は、やめていただいても???」
その思いやりは、アネアの憧憬の表情を前にしても、硬い肉球のつく手で迷惑そうに振り払われる。
だがそれに薄紫の瞳が反応するより先に、ギギ、ギシリ、ばきり、と響きだす尋常でない何かの軋みに二人の動きは止まった。
広場を挟んで、太い道の突き当たり。アネアも加え、三人の視線が一斉にそびえる大樹に吸い寄せられる。
烈鏃は、その根元に直撃したのだ。目にした大木は、根元から幹の半分以上をごっそり抉られていた。
爆心となった地面も半径五メートル程が球形に爆散し、凄まじい爪痕が残っている。
ギギィ……、ミシミシ、バキリッ……。
不穏な軋みはそこから響き、鳴り止まない。
ニカナグはもう一人の大事な仲間の安否が分からないことに不安になってしまった。
「っ! 小柄くん?! どこにいるんだい?!」
叫んで飛び出ようとしたところを、眇目に無言で制止される。しかしその声に応えるように、よろめきながらも樹上からひとつ人影が落ちてくるのが彼女の目に飛び込んだ。
他でもない小柄である。
彼は全身で落下の衝撃を受け止めるように転がりながら、爆発で開いた穴の中に一瞬消える。息を呑むニカナグをよそに、すぐに彼は土まみれになりながら穴の縁から駆け出してきた。
怯えたような目は、こちらに視線が合った瞬間からなぜか気まずそうである。
彼は一度だけ不穏な音を立てる大木を振り返ったが、どちらかと言うと木よりも何故か自分の右側に意識を取られている様子だった。
(うん? いま何を見て……?)
ただ疑問に思うのと共に彼の右脇からは〈虚棲ミ〉が、胴長の巨体でしなやかに躍り出てくるのだ。
尾と背中の毛は焼け焦げ、前足の辺りに一本、細長い木っ端が刺さっている。さらに小柄の突き立てた削り刀の傷口からも蒼血を滴らせているが、ギシャー! と怒ったような唸りを一つあげると、こちらも小柄の後ろを走り始めた。
この化け物も爆発に巻き込まれていたはずだが、嬉しくないことにまだまだ元気そうだった。
さらには雲に呑まれゆく空の下、異状体に追われるような形で小柄が遁走を始めるのと一緒に、抉れた大樹も根元からゆっくり、こちら側に傾ぎだしている。
ニカナグの面からはいろんな意味で血の気が引いた。
「ひぇっ、小柄くん、早くこっちに!!」
――チッ!
同時に、眇目が明確に舌を打つのが彼女の耳にも聞こえる。何かの感情を潜め、ゆらゆらと揺れる長い尾。
「……まあ、あの『助手くん』が弱々なのはわかってましたたけど……、――はは、こりゃー最悪だわ……」
「うん?」
見上げると刺々しい口調で話しながらも、その顔は笑っていた。
それは、アネアを前に小柄への不機嫌さを隠しているのか、それとも路地裏で見たものと同じ、戦闘を前にしての高揚なのか。ニカナグにはどちらともつかない。
だが小柄は頑張ってくれたはずだ。それで十分ではないのか。彼女はそう思ったが、なにか声にする前に、眇目は既に花蔦の剣を抜き、戦闘の場へと身を翻している。
一方、大樹の倒壊も、倒れはじめてしまえば一瞬であった。
耐えることを諦めた幹は『ばぎばきばき!!」と雷のような音を放ち、あっという間に地面に伏す。太く長い枝葉は幹の根本から広場へと繋がる道を塞ぎ、道沿いに建つ、腐った家屋数軒を紙細工のように押し潰した。
激しい地鳴り。風圧。
地面の枯れ葉は舞い上がり、周囲の木立からは騒がしく、幾種類もの鳥たちが飛び立っていく。
その倒壊の圏内から、小柄の身体が辛くも逃れきる。ニカナグがそれに安堵するのと同時、彼が食いしばっていた歯の隙からは情けない声が聞こえてきた。
「おわあああ?! すいやせん、すいやせん、しくじったっスぅぅセンパイぃぃ……!!」
しかしこのド派手な倒壊の巻き添えを免れたのは、どうやら異状体も同様だった。緩慢に蒼血を滴らせながらも、ひしゃげた枝葉の隙間から、赤錆色の毛皮が再び覗く。
《ギャ、シャー!》
そのまま再び、小柄の後ろに迫る。何の能力も持たないただの人間の少年は、あっという間に背後に肉薄された。
「ひわあああ?!」
後ろをチラと見た小柄が悲鳴を上げるも、眇目はそれにまるで血の通わない視線を向けている。
「小柄ぁお前、なにこっち来てんのさ!? そのままソイツの餌になってくれた方が僕はよっぽどら、く……」
……ただ、その皮肉のような言葉が最後まで紡がれることはない。
〈虚棲ミ〉の異状体が、背を向けて逃げる少年の横をさも当たり前のようにすり抜けたからだ。そうして、最初からそれが目的であったかのように、眇目の目前へと立ちはだかる。
これには、その場の誰もが目を瞠る。
特にまるきり無視された小柄は、身のやり場を無くしたように、その場に立ち尽くす。その痩せた上背に完全に尻を向け、錆色斑の巨躯は片目の男に向かって威嚇の声をあげだしている。
ニカナグはそこで、話に聞いてきた妖獣の姿を初めて目に収めた。
異状体の〈虚棲ミ〉も、通常体と同様に足は短く胴は長い。ただそのサイズ感だけが、噂に聞いていた通り優に山狼か、騎獣に珍重される雪分ケと同程度はある。
これなら、ウルシンくんくらい、やや大人よりの体格をした少年までも易々と餌食になってしまってもおかしくない。
ヴルルルル……。
異状体は血のように赤い目でまっすぐ眇目を見つめている。ふわりと吹いた森の風が、ニカナグの鼻にまで腐敗した魚のような妖獣臭さを運んでくる。
「ふーん、なに? 僕の方が美味しそうってコト……? 化け物の舌ってどうかしてるっ、ねっ!!」
半笑いの眇目が踏み込んだ。しかしその斬り込みは、サッと背後に飛んだ錆柄に難なく避けられる。
剣を持つ彼から充分に距離を取りながら、異状体の〈虚棲ミ〉はまるで誘うように箒に似た尻尾を揺らした。
◆
――そこから数撃は、ニカナグの目では速すぎてよく動きが追えなかった。判るのは互いに飛んでは跳ね、避けては飛びかかっているということだけ。
汎用魔法石がある以上、戦闘向けの魔法も使えはするニカナグだが、もちろん『戦闘は自分の仕事』と威張るこの男と連携の打ち合わせなどしている筈もない。
一度だけ、〈虚棲ミ〉が剥き出したカミソリのような牙に眇目の刃が当たり、ギャリ! と鳴いた鉄に火花が散るのは見えた。一体どんな素材の歯をしているのだろう。
しかしそれ以外は素早すぎて動く先も読めない。下手に手を出したら眇目にまで当ててしまいそうだ。
今は、本当に危なくなったら手を貸せるよう、石の中の魔力を練りつつ、手をこまねくしかなかった。
それでもまだ、ニカナグにしかできないことはある。
彼女は開いたままの〈魔法族の眼〉で向こうのもう一体にまだ動きがないことを確認しながら、その眼帯の背中にとても大事なことを教えた。
「――ち、ちなみに眇目くん! ソイツの核、胸じゃなくてお腹の真ん中に埋まってる! みぞおちの下当たり!」
おせっかいかもしれないとは思った。しかし眇目はニカナグにたいして、中身はともかく能力には信頼があるのか、存外素直に返事を返してくる。
「――――了解、あるじー」
その瞬間から、ニカナグにも判る程度に彼の戦い方が変わる。狙う場所を変えたせいだろう。
(役に立った、といえるの、かな?)
ただ一方の〈虚棲ミ〉は、いまだ眇目以外に関心を示す様子がない。ニカナグはハッとして、向こうでいまだに狼狽えている小柄をなんとか手振りで呼びよせる。
遠慮するような足取りで小柄が横を過ぎる時、隻眼がほんの刹那、彼を睨んだ気がしたが、気のせいだったのだろうか。
「……小柄くん! 無事でよかった!」
「助手さん、かっこよかったわよ!」
無事に門の下、安全圏に入った小柄を、彼女は安堵のあまり肩口で軽く抱きしめてしまう。アネアもほっとした様子だった。
「ッス……、生き残ったッス……、自分には、弱点も、わからなくて……」
しかし返ってきたのは、どこか浮かない表情だった。その顔色をニカナグは意外に思って覗き込む。どうしたのかと声をかけようとしたとき、ぽたり、と上から冷たいものがニカナグの〈祭祀面〉の毛皮に染み込んで来た。
直後、稲妻が白く周囲を染め、ゴロゴロゴロ……と雷鳴が響く。
「ああ、ウソ……」
後ろでアネアが切なそうにか細く声を漏らした。残る二人も思わず空を見上げる。
――いよいよ雨が、降ってきてしまった。
次の更新は 9月15日(火) 22:10~22:20の間くらい(手動更新)です。




